◆還俗の準備!
寺の隣にバスターミナルが出来てから、若いカップルが寺の境内に入って来ること多くなった。「なんと羨ましい、この野郎!」と心の中で叫ぶ。
托鉢中、日本の阪神淡路大震災のことを聞いてくる信者さんがいた。藤川さんからニュースを聞く度に死傷者が増えていた。「被害が酷いからアメリカのクリントンが日本に援助すると言うと、タイ政府も援助すると言うとる」らしい。そんな又聞き情報を教えてあげた。
還俗5日前、還俗式で着る白いシャツはどこに売っているかサンくんに聞くと、「一緒に買いに行こうか」と言われて、二人でトゥクトゥクに乗って“銀座”に向かうと、市場のようなゴチャゴチャした衣料品店に連れて行って貰い、肩幅を見比べて肩に白Yシャツを当てるサンくん。黄衣の上からYシャツ当てても良いのかいな。
お店の人もせっせと選んでくれて、一回しか着ないだろうが、生まれ変わる儀式として必要だから1着買っておく。パーソンナームと言われる水浴び用腰巻も必要らしく、これも買っておく。
私は写真屋や郵便局に寄るので、サンくんには「先に帰っていいよ」と言うも、サンくんは付いて来たが、やっぱり面倒そうになって「先に帰るわ!」と一人で帰って行った。
煩わしい想いをさせて悪いし、「付き合ってくれて有難う」と感謝を言う。歳は離れているが言葉の優しい奴で、寺では心理的にかなり助けてくれた奴だった。
◆着いていきなりトークショー!
1月22日、朝食後、アムヌアイさんに本堂の掃除を頼まれた。何かあるのかと思ったら、頭剃った若い子が歩いているのが見えた。そうか出家者(少年僧)の得度式だ。また新しく入って来るのだ。
そんな朝方、藤川さんが部屋から呼ぶ。すると、そこにネイトさんが立っていた。夜行バスでようやくノンカイからやって来たのだ。
ブリキのオモチャ型のエアコン無しの、シートは硬くて窮屈で暑くて煩くて停車場の多い、その度に物売りが乗って来て「カオニアオ(もち米)だ、ガイヤーン(焼き鳥)だ、コーラだ」と要らねえのにしつこい売り子の声掛けが続く、あの安い運賃のバスだ。乗り心地悪いが、比丘は基本タダである。
このバスはこの寺の脇のバスターミナルに停まるので、迷わずウチの寺に入って来られる。再会を喜び、バスでは全然眠れなかった話を聞いているとまたすぐ、藤川さんに呼ばれ、扉が開いた部屋の藤川さんの声が遠くまで響く。寛ぐどころではない。また始まったのだ、止まらぬ“トークショー”が。
私は掃除を再開。ここを抜けたが、1時間ぐらいして藤川さんの部屋に行ってみると、相変わらずトークショーは続いていた。9時過ぎに着いて、もう10時を回った頃。
私は、「ネイトさん、疲れているでしょ、こっちで少し寝たら?」と声かけるが、藤川さんは「人は寝んでも寝るときにはしっかり寝とる。たとえ3時間でも熟睡すれば大丈夫や!」と言うなり、「それでな……」と話も戻して続いていく。“もうどうにも止まらない♪”である。
昼食はノンカイ以来の同じ輪に加わるとは成らず、ネイトさんは藤川さんらの輪に引っ張られた。それは仕方無いが、同じ比丘のチャーンカーオ(食事)の壇上に居られるのは確かなところだった。和尚さんも国際色豊かになってニコニコ顔。いつも以上に踏ん反り返った田舎者丸出しの満面の笑み。
昼食が終わっても更に藤川さんのトークショーは続く。
この相手の都合を考えない、喋りだしたら止まらない人間の思考回路はどうなっているのか。これで2度目の憤りである。時折、副住職のヨーンさんやアムヌアイさんも呼ばれて日本・タイ・アメリカの賑やかな国際討論会の雰囲気を醸し出していた。
◆藤川さんの次なる計画!
夕方に差し掛かった15時30分頃、まだ藤川ジジィの話し声が聞こえる。藤川ジジィに聞こえるようにネイトさんに「寝なかったの?」と聞くと、「ハイ……!」と疲れた様子で応える。
私は暫く庭先を掃いていると、やがてネイトさんが現れた。ようやく解放されたか、藤川ジジィは日課のトイレ掃除に掛かったようだった。
ところが浮かない顔をしているネイトさん。
この寺に来た目的は、2月に藤川さんとコーンケーン(ノンカイから南に150km)に行き、その後、3週間の予定でカンボジアに行くこと。その為、明後日にバンコクへビザ申請に行く為だった。更にいずれはミャンマーに行く計画を立てているようだった。
ネイトさんは藤川さんに頼まれて、流暢なタイ語での、ウチの和尚さんに旅の許可をお願いに行ったところ、初めはニコニコしていたが、次第に表情が険しくなり、
「遊びに行きたければ還俗してどこにでも行け!」と怒り露わに言われたらしい。ネイトさんに対する怒りではないが、来た早々、嫌な役を任されてしまったネイトさん。
困り顔のネイトさんに、私は「還俗したら、ノンカイでもう一度出家してみたいんだ」と言うと、「えっ、本当ですか? ぜひ来てください」と笑顔に変わる。
しかし、ネイトさんの予定ではカンボジア関連がかなりの日数を要するので、ノンカイでは擦れ違いとなる可能性が高い。それは後々考えるとして、ネイトさんと新しく出家したネーンと3人で庭掃除をした。ネーンもやること分からないから真似してきたか。
◆寛ぎの時間に
夜はネイトさんが私の部屋に来て、久々に一緒にミロを飲んで寛いだ。私の得度式やカティン祭の写真を見せたが、ネイトさんの得度式の写真もノンカイの寺に送っているが、それは一切届いていないということだった。ネイトさんは御自身の得度式の写真をまだ見ていないのだ。また改めてプリントして手渡ししてあげよう。ネイトさんは藤川さんとカンボジアに行くが、和尚さんの許可得ずに行くつもりだろうか。
大雑把ながら過去に聞いた藤川さんの旅に出る拘りを、多分まだ知らないであろうネイトさんに話してみた。
藤川さんは、一時僧時代のスパンブリーの寺に居た時、日々何をすればいいか分からなくなった時、そこの和尚さんに尋ねると、「比丘としてお前のやりたいことをやりなさい」と言われ、「じゃあ、巡礼に出ます」と応え、そこから長旅に出たと言う。
旅先では各地の歴史や文化、人々の暮らしを比丘視線で目の当たりに感じることが出来、修行寺や学問寺の様子、エイズ患者を介護する寺、不憫な環境の小学校など、報道と違う現実、まだ知らされない現実があったのだった。
更にかつてインド・ミャンマー国境辺りで見てしまった、インパール作戦の失敗で倒れていった日本兵の遺骨。これに心打たれ、弔ってやらねばと心に誓った想いの裏には、幼い頃から戦争の爪痕残る環境を見て来た人生、今ある平和はこの日本兵らの犠牲の上に成り立っていると自覚している藤川さんは、好景気バブル時代まで、好き勝手過ごした人生を反省し、生涯仏門で過ごす決意をする理由のひとつだったと言う。
新たな探究心を持って旅に出る。それを私に見せたい当初の計画があったのだろうが、ウチの和尚の頑なに許可しない方針で、それは叶わぬ旅だった。
私は藤川さんとラオスまでの旅だけだったが、ネイトさんはどれだけ旅が出来るだろう。藤川さんとの旅だけでなく、一人旅の方が遥かに根性要る冒険となるだろうが頑張って貰いたいとネイトさんに促す。
ネイトさんは夜9時に藤川さんの部屋に戻って行ったが、何時に寝かせて貰えるやら。
じゃあまた明日の托鉢で!
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」