去る1月31日、いわゆるスキャンダル雑誌の先駆者で月刊『噂の眞相』(1979年3月創刊。以下略称『噂眞』と記載)編集長、岡留安則さんが亡くなられました。肺がん、享年71歳。「スキャンダリズム」という語を生み出したのも岡留さんでした。
毎号著名人のスキャンダルを満載する雑誌を発行しながら、これほど愛され高評価されたのも岡留さんぐらいで、その後、残念ながら『噂眞』を超える雑誌は出てきていません。『噂眞』休刊(2004年4月号。事実上の廃刊)からしばらくして、わが鹿砦社も、その「スキャンダリズム」を継承せんとして月刊『紙の爆弾』(以下『紙爆』)を創刊(2005年4月)し、もうすぐ14年が経とうとしていますが、発行部数も内容の密度も、まだまだ足下にも及びません。
類似点といえば、両誌とも創刊直後に廃刊の危機に瀕する大事件に遭ったということでしょうか。『噂眞』は創刊から1年後の1980年6月に、いわゆる「皇室ポルノ事件」に遭いました。張本人は、いまや鹿砦社ライターとなった板坂剛さん。皇室に対する不敬記事で、右翼からの総攻撃を受けますが、攻撃は張本人の板坂さんではなく、岡留さんが一身に受けます。それでも偉いのは、印刷してくれる印刷所を探しながら1号も絶やさず毎月発行し続けたことでしょう。なかなかできないことです。
鹿砦社も、『噂眞』休刊を受けて、多方面からの要請を受け、上記のように、新米の中川志大を編集長に据え、彼がみずから取次会社を回り、新規の取得が難しいといわれる雑誌コードを取り月刊『紙爆』を創刊しました。それから3カ月経った後、警察癒着企業の大手パチスロメーカー「アルゼ」(現「ユニバーサルエンターテインメント」。ジャスダック上場)創業者らからの刑事告訴を受け「名誉毀損」容疑で神戸地検特別刑事部により大弾圧を受けました。大掛かりな家宅捜索、聴取は製本会社や倉庫会社へも及び、取次各社へも調査がありました。私は逮捕され192日間も勾留され鹿砦社も壊滅的打撃を蒙りました。創刊したばかりの『紙爆』も、ライターさんや取引先などの支援で(私が“社会不在”だったこともあり『噂眞』のように月刊発行はできませんでしたが)断続的に発行を継続し現在に至っています。
岡留さんはその後、雑誌の部数も増えるにつれ多くの訴訟攻撃を受け、なかでも作家の和久峻三氏からの刑事告訴によって東京地検特捜部に「名誉毀損」容疑で在宅起訴され有罪判決を受けます。岡留さんがなんで在宅起訴で私が身柄拘束され長期勾留されたのか、いまだに判りません。岡留さんのほうが圧倒的に大物なのに……。
晩年(といってもまだ50代で)岡留さんは、情報が乱れ飛ぶ東京を離れ沖縄に渡り飲み屋を経営しながら執筆活動を行なってきました。まだ50代から60代で、勿体ないといえば勿体ないですし、ある意味、うらやましい転身です。僭越ながら私も、それなりの資金を貯めたら帰郷し、岡留さんのような生活をしたいな、と望んでいましたが、起伏の激しい出版業、少しお金が貯まっても、すぐに出て行きます。
おそらく、岡留さんの死去について、ジャーナリズムや論壇で、安全地帯からあれこれ“解釈”したり、したり顔で講釈を垂れる人が出てくるでしょう。いや、ほとんどそんな人ばかりだと思います。
私たちがやっていることが「ジャーナリズム」だとは思いませんが、岡留さんのように身を挺してスキャンダルや権力、権威に立ち向かうという気概だけは学んだつもりです。そのことで手痛いシッペ返しを受けましたが(苦笑)。今は「苦笑」などと笑って語ることができますが、弾圧直後には、明日銭(あしたがね)にも窮する有様でした。
今のジャーナリズムや論壇で、岡留さんを美化したり持ち上げる人は数多くても、岡留さんが文字通り身を挺して体現した〈スキャンダリズム〉の精神を、わがものとしている人が果たして何人いるでしょうか?
岡留さんが周囲の友人らの出資を受け『噂眞』を創刊した頃、1970年代後半から80年代にかけては、こういう雑誌を出すことの機運があったように想起します。まだ30になるかならないかの時期に、月刊誌を創刊するなど無謀としか言いようがありませんが、この無謀な冒険も若さゆえやれたのでしょうか。今はどうでしょうか?
岡留さんとは一度、3日連続で対談をやり、『闘論 スキャンダリズムの眞相』というブックレットとして上梓しました(2001年9月発行)。もう18年余り経ったのかあ……本棚から出して来ました。今では懐かしい想い出となりました。ここで展開した“闘論”の内容と問題点は、今でも継続していると思います。あらためて読み直してみたいと思います。古い本ですが、少し在庫がありますので、みなさんもぜひご購読ください。
岡留さんは、数多くの訴訟を抱えたり刑事事件の被告人となり有罪判決を受けたりしましたが、晩年はみずからの希望で沖縄で悠々自適に暮らし、ある意味で幸せな人生だったと思います。誰もが、望んでもできるわけではありませんし、私もできません。
岡留さんは遺骨を沖縄の海に散骨して欲しいとのこと、綺麗な海で安らかに眠ってください。合掌。