スリランカ僧のナンマラタナさんと、メコン河沿いを歩く

◆3度目のビエンチャン

親しくなったブントゥーン(左)とワンナー(中央)と

殺されるんじゃないかと大袈裟にも思った前回より余裕あるビエンチャンの入口に立つと、そこへ予想どおりタクシー運転手が群がって来た。

「ワット・チェンウェーを知っているか」と聞くと、「知ってる知ってる、乗れ!」と言う運ちゃん。「幾らだ?」と聞くと「100バーツ!」。この前より安いじゃないか、じゃあ行こう。

今回は呑気な30分あまりの乗車で、あの托鉢で歩いた集落に入った。もうワット・チェンウェーは目の前。ここまで来て道に迷った人のいい運ちゃんはその辺で人に聞こうとするが、私は「もういいよ、この辺分かるから!」と言って降りた。
2ヶ月半ぶりのワット・チェンウェー。前回はお腹壊したままのお別れだったから、去り際がカッコ悪かった。今回はカッコ良く過ごしたい。まだ受け入れてくれるかは分からないが、また泊めてくれる期待を持って門を潜るところであった。

シーポーン(左)、ワンナーとパトゥーサイまで来た

◆ワット・チェンウェーでの再会

境内を掃き掃除していたのは英語の学習熱心なあの英語ネーンだった。歩いて来る私を一瞬、「誰だこいつ!」といった目で見て、掃除を続けようとするが、ほんの2秒後、再び私を見て笑顔になった。この間(ま)はやっぱり面白い。何人目だろう。姿が変わったことに気付かず、間が出来てしまうのである。もう喜びが顔に溢れる互いの接近。

「還俗したんだね!和尚さん居るよ!」と言ってサーラー(講堂)へ引っ張るように招き入れてくれた。ブンミー和尚さんはネーン達3人ほどに勉強を教えているのか、テーブルの上に教科書を広げるようにしてネーン達に話し掛けていた。

皆の視線が私に向き、やがて笑顔に変わった。すぐ三拝し、またビザの申請の為に来たことを告げた。

「ホテルに泊まって居るのか?」と言われて、「今、サパーン・ミタパープ(タイ・ラオス友好橋)を渡って来たばかりです」と言うと「じゃあ、ここに泊まっていきなさい」と言ってくれたのは想定内。そこからは想定外の親切さに驚くばかり。12月に来た時はまた増築中だったクティ2階の部屋に案内されると、それはエアコンの効く部屋だった。トイレ水浴び場は共同だが、温水の出るシャワーもあった。

「前回泊まった外の木造小屋でいいですよ」と言ったが、「あんな粗末なところは申し訳ないから行かなくていい」と言われる。そう言えばお爺さん比丘が居ない。「あのお爺さんは?」と聞くと、「もう居ないんだ」とだけ言われて、どうしたのかは言ってくれなかった。病気がちであったし、亡くなられたのかなと思う。

寺にタンブンに来ていた老婆と息子さん

◆スリランカのお坊さんと歩く

滞在中、外国から来たと見える比丘がやって来た。スリランカのお坊さんで、バンコクのサイタイマイバスターミナルに近い寺に在籍して居て、やっぱりビザ取得の為に来た、タイ語は完璧の“ナンマラタナ”という名前で38歳。過去、シンガポールやマレーシアにビザ取得申請に行き、今回はビエンチャンに来てみたという。ノンカイ駅から真っ直ぐ歩くと、ワット・ミーチャイ・ターがあってそこで泊めて貰い、このチェンウェー寺を紹介されたという。何だ、俺達と似た道じゃないか。藤川さんが歩いた道は外国人比丘の定着したラオスへの道かもしれないな。

このナンマラタナさんのビザ申請をお手伝いし、ノンカイへ帰る日も一緒に向かったが、去り際に持っていた着替え用の黄衣をブンミー和尚さんに渡して行った。捧げるというより、極力荷物を減らそうと見える動きだった。比丘の巡礼とはこんなものだろう。必要なものは現地調達。要らないものは置いていく。私なんか旅する度に荷物が増えていった。そこは藤川さんも言っていたが、「旅もそうやが、暮らしも生活必需品だけあればええやろ」と言った言葉が思い出される。

「過去に拘るから荷物が増えるし、それに纏わる悩みも増える訳や、全部置いていけば拘りも無くなるし、楽なもんや」「お金持ちは土地建物、高級車いっぱい持っておっても、あの世までは持って行けんのやぞ。これらを守る為に所得誤魔化したり、余計に維持費が掛かったり、欲が尽きん疲れる人生で気の毒やなあ」と御自身も金にまみれて女遊びに没頭した人生を送っても、まだ欲が尽きなかった悟りを語っていたが、私も上京して狭いアパート暮らしして、新たに買った電化製品、本やカメラ類が増えていき、やがて荷物に溢れ、広い部屋に引っ越す。それらの財産があるからそこから動けなくなり、それらを失いたくない欲望が生まれ、守りたいと悩みが増える。こんなものに縛られて生きて居るのが我々一般人なのだろう。

でも、思い出のビデオや写真、絶対捨てられないんだよなあ。今でも記念に黄衣やバーツまで持って帰ろうとするこの愚かな私。変わらないだろうなあこの性格。それに対するナンマラタナさんの所持品の少ないこと。ノンカイへ渡る際でも托鉢にでも行くぐらいの格好だった姿に、そんな人生の身軽さを感じた。

ここでも記念写真、ナンマラタナさん(左)を加えて

若い先生だがしっかりした授業だった

◆寺の仲間たち

ここで修行する若い比丘やネーンに、今回はしっかり名前を聞いてみた。英語暗記に熱心なのが“ワンナー”という名前で、一緒に学校に通っていたのが“シーポーン”。二人とも英語塾に通っていて、授業にも着いて行って覗かせて貰った。

貧乏そうな幼い女の子が窓から覗いていたが、お構いなしに授業が続けられた若い先生。

昔、私が小学1年生の頃、担任の先生が言っていた、「終戦後に幼い女の子が窓から授業を覗いて居たことがあった」という、そんな思い出を教えてくれた話が蘇えった。女の子は人恋しく授業に引き寄せられたのだろうか。

英語塾もお邪魔させて貰った授業風景

夕食はケーンを連れて歩いた日々

私の小学校の頃も木造のボロボロの校舎だった。そんな日本の昔ながらの木の机もここでは当たり前の存在。

ネーンも一般の学生に混ざって授業を受ける。英語は日本の中学生レベルかな。そんな文法を教わっていた。

私といちばん友達のように接してくれた、“カンペーン”という名のネーンはやがて20歳だが、比丘に移っても学生の間だけ仏門生活を続けるようだった。

今回、カンペーンには街中を一緒に歩いてくれて観光名所を案内してくれた。

カーオトム屋から見たタイ側に沈む夕陽

カンペーンと一緒にいた比丘の“ブントゥーン”も、若くて貪欲な勉強熱心さで読経も上手い奴だった。

幼い男の子はこの寺でブンミー和尚さんが預かっている子で“ケーン”という名前。4歳の時にこの寺に来て、今9歳だという。デックワットというよりはブンミー和尚さんの子供のように扱われているが、当然ながら本当の子ではない。

その辺の事情は詳しくは分からなかったが、ある日、ある人物が寺に預けられていったような様子が伺えた。

比丘らは午後の食事は無いから、ケーンとは夕方の食事に何度か外食に連れて行った。メコン河沿いにあるカーオトムの店は何度も通うと、店に入ると注文しなくても「いつものやつ!」といった感じで“カーオトム”が出てきた。

タイで言うクイティオ(うどん)だが、ここでしか味わえない味。凄く美味いとまでいかないが、これは日本に帰ってから絶対また食べたくなるぞと思う独特の味。

また寺にタンブンに来る近所の親子の信者さんは高齢の母親と暮らす43歳のオカマのオモロイおっさんで、今回はなかなかオモロイキャラクターが揃うビエンチャンの旅となっていた。

カーオトム屋の通り、この道が延々続くメコン河沿い

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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