『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』(2015年)。遠藤ミチロウ自身が監督・主演の映像作品を先月偶然目にしていた。本人は昨年膵臓がんであることを発表していたらしいが、わたしは知らなかった。ただ『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』は、35年ほど前、授業料を払う監獄(愛知県立の新設高校)へ通っていた生徒の中でカリスマ的な人気のあった、あのミチロウが「自分語りを始めたのか」と、正直なところ驚きと落胆を感じさせられる作品だった。
元スターリンの遠藤ミチロウが逝った。享年68歳。合掌。
◎[参考動画]お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました
『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』でミチロウは、「自分語り」に終始していた。故郷を訪れ、幼少時代に遊んだ場所を歩き、生誕した家のある場所を眺める。あるいは各地の知人を訪れ、昔話やライブの様子を短く挟む。メークなしに、若い女性の詩人だか誰かと、「人生」について語る。ベットに寝ころびながら映像を見ていたわたしは、予想外の進行に半ば耐えられなくなり「もうやめてくれよ。ミチロウ、あんたもう最期が近いのかい」とひとり口ごもった。
ミチロウが「自分語り」をするのは、もちろん自由だ。でも往時のファンとしては「人生観」だの「生き方」だのを話で表現せずに、生き様だけで表現してほしかった、との勝手な思い込みと期待を持つことだって許されるはずだ。
わたしがあの時、直観的に思い出したのは晩年の高倉健のことだった。無口で私生活をさらさなかった高倉健。亡くなる2年ほど前から朝食の様子や、毎日通う散髪屋、果ては珍しくもない人生観を語りだし、興ざめした記憶がよみがえった。平気で軽い涙を流すこともあった。高倉健はおそらくあの時期最期を予期していたと思う。医師からも余命宣告を受けていただろう。映画の中で充分すぎるほど存在感を示した高倉健にしたところで、最後は語ってしまいたくなるものなのであろうか。
◎[参考動画]★THE STALIN ★ 爆裂都市☆メシ喰わせろ
この10連休の乱痴気騒ぎに、生きていればミチロウは何らかの反応を期待されたことだろう。「もうそれは勘弁してくれ」、「あんたらの期待にはもう応えただろう」とはいわないだろうけども、この時期にミチロウが逝ったのは実に劇的なタイミングだ。映画にはがっかりさせられたけども、さすが、旅立ちのタイミングはミチロウらしい。
だいたい奇抜なメークをしていたり、舞台で破壊的なパフォーマンスを演じるひとには、常識人が多く、直接話すとあっけにとらわれるほど善人が少なくない。忌野清志郎はそうだったし、ミチロウもそうだ。メークをしないミチロウは恥ずかしがり屋の常識人で、どうして自分がメークをするのか、豚の頭を掲げたり、臓物を観客に振りまいたりといったパフォーマンスをするのかを、実冷静に分析的に語る。
◎[参考動画]ザ・スターリン246 – 虫 世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!(2011/8/15)
「中途半端」がミチロウにとっては気になることであったらしい。だから、日本と琉球の中間、奄美への興味が高まったのだろうか。「奄美には瓦屋根がないんですよ。琉球には古い文化伝統がある。でも奄美は貧乏だからトタン屋根なんです。薩摩と琉球に挟まれて中途半端なんですよ」細部は確かではないがこんな言葉でミチロウは奄美を紹介していた(この解説が事実かどうかは定かではない)。
また、「自分は家族を持たず子供がいなかったので、いつまでたっても子供のまま」といった内容の発言もあった。そうか。ミチロウはぶっ飛んでいたのではなくて「中途半端」をいつも意識して(あるいは悩んで)いたのか。散々がっかりしたと酷評したけれども、ミチロウが「中途半端」にここまでのこだわりを持っていたことは『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』を見なければ知ることはできなかった。やはり作品には意味があるのだ。
ミチロウを長年注視し、聴いていたわけではない。ただ35年ほど前、授業料を払う監獄(愛知県立の新設高校)へ通っていたころ、スターリンのレコードは、誰だったか忘れたけれども必ず録音して聴かせてくれる友人がいた。「先天性労働者」、「STOP JAP」は今こそ、大音響で街に響かせたい名曲だ。
また懐かしさと、悔しさのかけらが旅立った。
◎[参考動画]STOP JAP〜仰げば尊し / THE STALIN
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。