5月28日付け「デジタル鹿砦社通信」に対して前田朗教授より再び「返信」が公開の教授のブログ(https://maeda-akira.blogspot.com/2019/06/blog-post.html)でありました。
出張先で資料なども手元にない中での執筆のようで、あらためての意見表明を望みますが、とりあえず私からの再反論と再質問を行っておきます。ぜひお答えいただきたく望みます。
前田 朗 先生
拝復 さっそくの再「返信」、ありがとうございます。
思えば、この「カウンター大学院生リンチ事件」について、リンチの現場にいた当事者(加害者)ら5人や周辺の人たちから、これまでこうした真正面からの意見なり反論などありませんでした。「デマ本」とか「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」などばかりで真正面からの意見や議論、反論などありませんでした。
わずかに第5弾書籍『真実と暴力の隠蔽』にて木下ちがや(こたつぬこ)氏が座談会で正論を述べられていますが、のちに謝罪、撤回されています。木下氏が発言を撤回されるに至ったのには、先生にもあったような激しいバッシングがあったものと推察しております。
さて、まずは『救援』での2度の論評を撤回されないという先生の固いご意志、確認させていただき、正直嬉しく思います。これをしかと踏まえた上で、以下、再度私見を申し述べ、あらためて質問を行わせていただきたく思います。
【1】
まず、先生のおっしゃる「リンチ」の定義に従っても(実際の加害者で刑事・民事共に賠償を下されたのは2人なので)この事件がリンチであることは明らかになりましたが、再「返信」でも前提となる事実認識から誤認されています。そのことは非常に重要な点です。
さらに、先生の「リンチ」の定義自体が間違っています。リンチとは「私刑」です。手を下した人間の数に関係なく特定の人間に対する暴力的制裁(私刑)です。「カウンター」界隈の方々は「リンチ」という言葉に殊更神経質のようですが、実際に集団で1人の大学院生M君を呼び出して暴力を振るっていることは紛れもない事実で、これを許されるとお考えでしょうか?
【2】
この事件直後、少なくない人たちが動いています。東京在住で言えば、事件直後の2014年12月20日に中沢けい氏が大阪に駆けつけ、事件のもみ消しを図っています。
また、5月27日付け「デジタル鹿砦社通信」 で挙げられているように、事件直後の2014年12月22日、師岡康子弁護士が金展克氏に宛て、被害者M君に刑事告訴を思いとどまるように説得してほしいとのメールを送っています。
このことについての私たちの意見は同日の「通信」に縷々述べていますので、ここでは繰り返しませんが、とても「人権」を語る弁護士とは思えない、いわゆる「師岡メール」について先生はどう思われますでしょうか?
このメールをどう思うかで、その人の人権についてのスタンスや人格・人間性が判ります。人権に対する、師岡弁護士の本音が露呈されたメールであると私は感じますが、先生のご意見をぜひともお聞きかせください。
【3】
私(たち)は、このリンチ事件を、事件発生から1年以上過ぎてから知りました。先生もご存知なかったように、事件の隠蔽、もみ消しは成功したかに見えたでしょう。
被害者は、一部の人たちが彼を支えたことを除いて、かつての仲間はじめ多くの人たちから村八分(いわゆる「エル金は友達」活動はその最たるものでしょう。M君本人も、これは精神的にきつかったと言っています)にされ、正当な補償もなされていません。
村八分という行為が差別だということは先生もご存知でしょうが、加害者や周辺の人たちが、こうした〈隠蔽〉を行っていた事実、また被害者M君が正当な補償もなされていないことについて、先生はどうお考えでしょうか?
【4】
私はなにも「自説に固執」しているわけではありません。幾度となく公言していますように、加害者らが真摯に謝罪するのであれば、和解に向けて汗を流すことに努めます。
しかし、李信恵氏ら3人は、いったん出した「謝罪文」を破棄し開き直っています。前田先生にご提案いたしますが、李信恵氏や上瀧浩子弁護士らを説得し、あらためて被害者に謝罪し和解をしてはどうかと、お勧めになりませんか? そうすれば問題は一気に解決すると思われませんか?
【5】
先生がつらつらとご自身の活動について記載されていることほど立派なものではありませんが、この際、私自身の経験を少し申し述べておきましょう。
私が大学生の頃(大学は異なりますが有田芳生参議院議員と同期です)、ノンセクトの学生運動に関わっていたことは隠しません(このことからいまだに「極左」呼ばわりする李信恵氏の代理人弁護士がいますが)。
当時(1970年代前半)、ミーティングの際に新入生の後輩が自らが在日であることをカミングアウトし、ショックを与えました。以来私たちの運動に「差別・排外主義との闘い」のスローガンが入り、彼を防衛しようということも私たちの黙約になりました。
また、部落問題では、私の先輩が、教員として赴任した高校で起きた、いわゆる「八鹿高校事件」に巻き込まれ、この頃から部落解放同盟の、いわゆる「糾弾闘争」が激しくなっていきました。
これについては、長らく思い悩んでいましたが、師岡佑行氏(京都部落研究所所長。故人)や土方鉄氏(作家。『解放新聞』編集長。故人)らから糾弾闘争の誤りを教えられ、ようやく納得できました。
私は現在、直接に「反差別」運動には関わっていませんが、自身の経験からも、私なりに差別や人権について考えているつもりで、何がいいか悪いかの判断ぐらいはできます。
さらに申し上げれば、取材班の中には「のりこえねっと」発足時、辛淑玉氏に協力を申し出た者(田所敏夫)もおります(この事件についても取材の電話を入れましたが、うまく逃げられています)。
言葉の本来の意味において差別に対する運動にとって、李信恵氏らが関わったリンチ事件(リンチという言葉が嫌なら集団暴行事件と言ってもいいでしょう)は絶対に許されないものです。そう思われませんか?
裁判の結果がどうかは関係ありません。裁判所がどう判断しようとも、人道上悪いものは悪いんです。このリンチ事件を主体的に反省し止揚しないのなら、将来的に運動に禍根を残すと断言いたしますし、「糾弾闘争」同様、人々を反差別運動から遠ざけるのではないでしょうか?
【6】
このリンチ事件の解決に混乱を与えているのに、李信恵氏らが被害者M君に出した「謝罪文」を撤回したことがあります。少なくとも今、まずはこの「謝罪文」に立ち返るべきではないか、と私は考えますが、先生はいかがでしょうか?
【7】
さらに、このリンチ事件について、先生と「のりこえねっと」共同代表である辛淑玉氏も当初「Mさんリンチに関わった友人たちへ」という文書を出し「これはリンチです。まごうことなき犯罪です」と喝破しましたが、のちにこれを否定し、逆にM君が「裁判所の和解勧告を拒否している」(裁判所の和解勧告など今に至るもありません)などまったく事実と違うことを発信しました。
さらには、木下ちがや(こたつぬこ)氏も座談会での自らの発言を撤回しています。なぜにこうもみなさん、自分の意見をいとも簡単に変えるのでしょうか? 木下氏の発言など正論で、こうした人がこの問題を解決すると期待しましたが、残念です。こうしたみなさんの「豹変」についてどう思われますか?
【8】
「糾弾闘争」は、社会的批判や、解放同盟内における師岡佑行氏や土方鉄氏らのような良心派の内的批判により、今はなくなりました。このリンチ事件についても、先生の『救援』における論評のような心ある批判がもっと出なければ、再び同様の事件を繰り返すと思います。そう思われませんか?
【9】
大出版社のカネとヒトをふんだんに使った取材には到底及びませんが、私たちがこのリンチ事件について、私たちなりに、これまでになく資金を投じ徹底して取材し、本にまとめて出版するや、まともな反論本が出るわけでもなく、単に「デマ本」だとか、「リンチはなかった」、「リンチではない」などと評されました。
しかし、証拠を積み上げた出版物に対する、無根拠な罵倒は、私に言わせれば、「南京大虐殺はなかった」と言うようなものです。
マスコミもこのリンチ事件を総じてタブーにしています。李信恵氏らには、例えば朝日新聞が社説に採り上げるなど積極的に報じながら、一方で李信恵氏らがM君を深夜に呼び出し、「日本酒にして一升」(李信恵氏の供述)ほどの酒を飲み酩酊状態で及んだ、このリンチ事件については徹底して無視です。先生は不公平とは思われませんか? 「反ヘイト裁判に勝った」と表面ばかり報じて、影の部分を報じないのは、人々の判断を誤らせるのではないでしょうか?
【10】
先生は『救援』の論評で、李信恵氏の人格について、
「反差別・反ヘイトの闘いと本件においてC(引用者注:李信恵氏)を擁護することはできない」
「長時間に及ぶ一方的な暴力の現場に居ながら、暴力を止めることも立ち去ることもせず、それどころか『顔面は、赤く腫れ上がり、出血していた』原告(引用者注:M君のこと)に対して『まあ、殺されるなら入ったらいいんちゃう』と恫喝したのがCである。唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」
と厳しく批判されています。
ところが、このたびのブログでは、
「李信恵さんは、在特会や保守速報による異様なヘイト攻撃に立ち向かい、戦い続けました。在日朝鮮人というマイノリティが猛烈な差別を受け、同時に女性差別を受けながら、ついには裁判所に『複合差別』を認定させました。このことの積極的意義を私たちは認め、李信恵さんの闘いに敬意を表すべきではないでしょうか」
と、まったく人物評価が異なっています。
「唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」とまで激しい表現を用いられていた人物評が、どうしてこのように「豹変」したのでしょうか? 李信恵氏についての今現在の先生の人物評価をご教示ください(繰り返しますが、この質問も「私怨」などとは無関係です)。
差別と闘い人権を守るということは人間の崇高な営為です。そして、その運動はリーダーや中心的なメンバーの人間性や人格が反映されます。畢竟、社会運動とはそういうものだと私自身の経験からも申し述べることができます。「唾棄すべき低劣」な人間がリーダーである運動は、早晩メッキが剥げ社会的に「唾棄」すべき存在となりかねまません。そう思われませんか?
【11】
趙博氏の裏切りについてはリンチ本で2度記述していますし、この箇所をコピーしてお送りしてもいますので読まれていることと察します。彼は戸田ひさよし氏と6月7日の講演会を主催するということですので、彼については、その際に直接本人にお尋ねになって、その後にお答えを頂いてもいいかと思いますが、趙博氏の裏切りは、私も「まさか」と思いましたし、リンチ被害者M君も、私以上にショックを受けておりました。
【12】
同じく6月7日の講演会の主催者の戸田ひさよし氏について、門真市民会館事件の件は以前から承知しておりましたが、私がお聞きしたいのは、一方で、ブログ「凪論」を主宰していたN氏の職場(児童相談所)に突然赴き業務を妨害したことについてです。
これについては資料もお送りしておりますので、ご覧になっておられると思います。戸田氏のブログを更に拡散した「ぱよぱよちーん」こと久保田直己氏がN氏から提訴され敗訴した判決文も一緒にお送りしていますが、戸田氏のこの行為について先生はどうお考えでしょうか?
【13】
先生は裁判で私たちの主張が否定されたのだから、これに従うようにと諭されています。しかし、住民運動や反原発の運動で、ほとんど住民側が敗訴し、裁判所の周りでがっかりしている住民の姿をよく見ますが、これでも裁判所がそう判断したのなら従えとの先生のご教示は同義だと思います。
私たちはあくまでも法的救済を求めて提訴したリンチ被害者M君を支援するために立ち上がりました。確かに法的救済はM君や私たちが望んだものではありませんでした。だからといって、あれだけ酷いリンチを受けながら、実行犯2人に合計で110万円余りの賠償金で我慢しろということですね?
一審は80万円ほどでしたが、これを見た山口正紀氏(元読売新聞記者)は、「『80万円支払うから、同様に殴らせてください』というに等しい」と看破し、ガンと闘う身でありながら意見書まで書いてくださいました。
私(たち)は決して頑なになっているわけではありません。今後も可能な限り解決の道を探り、愚直に被害者M君の法的、人道的救済を求めていきたいと考えているだけです。この姿勢に問題があるでしょうか? あるとお考えであれば、「何が問題か?」ご教示ください。そのどこがいけないのでしょうか?
【14】
最後になりますが、もう一つ。
リンチ被害者M君は、以来ずっとPTSDに苦しめられています。夜中に、うなされて起きることもたびたびあるといいます。それはそうでしょう、あれだけ酷いリンチを受けたのですから。先生は、このことについてどう思われますか? 「人権、人権」と言うのであれば、被害者M君の人権はどうなりますか?
この問題について、まずは被害者M君の人道的救済ということを第一義に始めなければならないのではないでしょうか? M君は果たして救済されたとお考えでしょうか? このままでいいとお考えですか?
李信恵氏は最近、リンチ事件の反省などどこへやら頻繁に講演会や学習会などに講師として呼ばれています。あろうことか大阪弁護士会まで学習会に呼んでいます。違和感を禁じ得ません。
一方のリンチ被害者M君は、1円の補償もなく、リンチの悪夢にさいなまれPTSDに苦しんでいます。それでいながら、時間を見つけては三陸の被災地にボランティアに赴いています。これまでこのことは明らかにしていませんでしたが、M君の人となりを知る一要因となりました。
夜な夜な飲み歩く李信恵さんと、研究の合間を縫ってPTSDに苦しみながらも被災地へのボランティアに赴くM君……私は「頑張れM君!」とエールを送りますが、とてもじゃないが、「頑張れ李信恵さん!」とは思いません。先生はいかがでしょうか?
ご自宅にお帰りになり、リンチ本5冊や資料などを手元に置き、上記の質問にお答えいただければ幸いです。
敬具
M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62