近年、寝屋川中1男女殺害事件の山田浩二(49)ほど強い批判にさらされた殺人犯は他にいないだろう。2015年8月の事件発生以来、そうなるのも当然の情報が膨大に報道されてきたためだ。

まず何より、被害者の男子と女子は何の罪もない子どもである。しかも、駐車場と竹林で見つかった2人の遺体は、いずれも顔面に何重にも粘着テープが巻かれ、手もテープで縛られた無残な状態だった。犯行状況は不明だが、残酷な殺され方を推測せざるをえないだろう。

しかも山田には、過去にも男子中高生らをわいせつ目的で監禁するなどした前科があり、事件の10カ月前に出所したばかりだった。昨年11~12月に大阪地裁であった裁判員裁判では、法廷で遺族に土下座して謝罪したが、男子については、自分の目の前で病死したように弁明し、無罪を求めた。また、女子については、手で口を押えたら、手が首にずれて亡くなったかのように主張した。結果、判決ではそれらの主張が退けられ、「生命軽視が著しい」と死刑を宣告されたが、この結果に疑問を呈するような報道は皆無であった。

かくいう私も山田に対する死刑判決にとくに異論はない。だが、一方で私は、この山田を「悪人」だとは思えないでいる。本人と面会したり、手紙のやりとりをしたりした結果、悪人というより、善悪の基準がずれた人間だと評したほうが適切だと思えたためだ。

山田が収容されている大阪拘置所

◆死刑判決についても他人事のようだった

今年2月、大阪拘置所の面会室。アクリル板越しに死刑を宣告された時の思いを訪ねると、山田は「あんまりピンとこないですね。自分より弁護士のほうが悔しそうでした」と他人事のように言った。死刑になるのが怖くないのかと尋ねても、「今はまだわかんないですね。あえて考えないようにしているんで」とやはり他人事のようだった。

山田の法廷での土下座については、複数のメディアが「死刑を免れるためのパフォーマンス」であるかのように報じていた。しかし、私が本人と会って話した印象では、山田は生命への執着がむしろ希薄な人物であるように思えた。

実際、山田は5月18日、突如として控訴を取り下げ、自ら死刑を確定させた。本人曰く、拘置所に借りたボールペンを返すのが遅れ、刑務官とトラブルになった勢いで控訴を取り下げたとのことだが、死刑を確定させる事情としてはお粗末すぎる。それも山田が自分自身の生命を大切にしていなかったことを裏づけている。

◆死刑確定後に手記で明かした本音

私の手元には、そんな山田が死刑確定直後、獄中で便箋8枚に綴った手記がある。それには、控訴を取り下げる原因となった刑務官とのトラブルの詳細や、短絡的に死刑を確定させたことへの後悔などが詳細に綴られている。それを見ても、私は山田が決して悪人でなく、善悪の基準がずれた人物なのだろうという思いを強くした。

何しろ、山田はこの手記において、自分のことを悪く報道したマスコミについて、1つ1つ社名を挙げながら怒りや怨みを綴り、さらに「生きたい」「死にたくない」などと現在の本音をまったく隠さずに書いている。山田の本質が「悪人」なら、もっと計算し、好印象になりそうなことを書くだろう。

山田の手記

山田はこの手記を私に送り届けた際、「全文を記事にして下さい」との希望を伝えてきたので、私は手記の全文を電子書籍化し、Amazonで公開した(タイトルは『さよならはいいません ―寝屋川中1男女殺害事件犯人 死刑確定に寄せて―』)。この手記が社会の人々の目に触れて、山田が得することは何もないだろうし、読んだ人が良い気持ちになる内容とも思い難い。

しかし、手記は、山田浩二という特異な殺人犯の実像が窺い知れる貴重な資料だと思う。関心のある方は、ご一読頂きたい。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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