本欄をご愛読の方々は、すでに「しばき隊リンチ事件」およびそれに付随した論争はご周知のことと思います。Mさんリンチ事件の民事裁判は最高裁まで争われ、下級審控訴審判決どおりMさんの勝訴で決着した(2人の被告に114万円余の賠償金)。刑事事件も同様に、被告2人に有罪罰金刑となっている。不十分ながら、被害者が勝訴したのは幸甚です。

それはともかく、当該リンチ事件に批判的だった(「救援」紙に2度の論考を掲載)前田朗さんが、しばき隊の「関係者」とイベントで同席することに関して、鹿砦社の松岡利康さんから批判があった。

その件で双方の応酬があり、本欄はしばらく論争の場と化した(前田さんは、ご自身のブログで応答)。これを揶揄して「リンチ事件の場外乱闘」などと評すことはできない。言論人としての誠実さ、論旨の精緻さが問われる論争であって、そこから「リンチ事件」の本質を抽出し、その解決、謝罪や和解にむけた道筋を明らかにする内容がもとめられたはずだ。これは今も変わらないだろう。

「鹿砦社・松岡利康さんへのお詫び」(2019年6月13日付け前田朗氏ブログ)

3度にわたる応酬ののち、前田さんから松岡さんへの「お詫び」が明らかにされた。前田さんが「(鹿砦社の)炎上商法」と揶揄した批判が、不適切だったというものだ。その他の論点には触れられていない。したがって見解は変わらないものと理解します。

謝罪した前田さんの誠実さは、本欄での論争の帰趨を落ち着いたものにした。しかし前田さんが「資格がない」として今後の発言を自制されたのは、ちょっと残念なことである。というのも、いくつかの点で誤解や性急さがあり、事件の本質および「謝罪」あるいは「和解」への脈絡が閉ざされたやに感じられるからだ。

前置きはこのくらいにしたい。じつは松岡さんからわたしに、第三者的な意見をという要請があり、不肖ながら論点の整理をしようと思った次第である。およそ論争というものは論軸を逸らしたり、別の議論にすり替えたりしてしまうと、何も生み出さない。批判のための批判、収拾のつかない言い合いになってしまうからだ。今回はそんな様相(第三者への批判のひろがり)を見せながらも、前田さんの真摯な態度で論争は「中断」した。いずれふり返られて、反差別運動への何らかの教訓が提言できれば良いのではないか。

ともあれ、ここでは松岡さんと前田さんの議論にかぎって論点を整理し、読者諸兄姉の解読の一助となるのを目的にしたい。それがリンチ事件の解決・和解に向かう道筋の糸口になれば幸いである。ただし論争のジャッジメントではなく、あくまでも現在のわたしの批評にすぎない。読者諸兄姉のご批評をたまわれば幸甚です。

そこで論点を拾ってみたが、細かい点はともかく、わたしが気になったのは以下の3点、いずれも前田さんの論点およびわたしが読み込んだ論点である。

《1》処分なしの判決が出たのだから、李信恵さんのリンチ事件関与はなかったのか?

《2》たとえリンチ事件に関係する団体の関係者でも、同席することに問題はない

《3》被差別当該・複合差別の当該は、無条件に擁護するべきか

このほかに前田さんが云う、リンチは複数犯であることが構成要件との認識は論外であり、また判決は複数被告に有罪であるから、前田さんの論法をもってしても「リンチ事件」であるのは明白で、あえて論点とはしなかった。

◆《1》処分なしの判決が出たのだから、李信恵さんのリンチ事件関与はなかったのか?
  ── 法的責任はなくとも、リンチ事件への関与は批判されるべきである

前田さんは「李信恵さんについて言えば、共謀はなかったし、不法行為もなかったことが裁判上確定しました」(第1回返信)「受け入れがたい事実であっても、双方の立証活動をふまえた上で裁判所が下した判断が確定したのですから、社会的に発言される場合には、確定した事実をもとに発言されることが肝要です」(第2回返信)と述べている。

これでは、すべての事件・社会問題の解決は裁判所の判断にゆだねるべきで、事実誤認があっても受け容れよということになる。前田さんは「批判は自由だ」としながらも「社会的に発言される場合には、確定した事実をもとに発言されることが肝要」と云っているのだ。これは肯んじかねる。

松岡さんの反論はこうだ。

「先生は裁判で私たちの主張が否定されたのだから、これに従うようにと諭されています。しかし、住民運動や反原発の運動で、ほとんど住民側が敗訴し、裁判所の周りでがっかりしている住民の姿をよく見ますが、これでも裁判所がそう判断したのなら従えとの先生のご教示は同義だと思います」

松岡さんが指摘するとおり、前田さんは不当判決とされるものも「確定した事実をもとに発言」するべきだというのだろうか。この論法だけ切り取っていえば、袴田巌さんは有罪、狭山事件の石川一雄さんも有罪ということになる。裁判所の政治権力寄りの、あらゆる不当判決を是認することになるではないか。被害者側の視点・立場が欠けているから、このような裁判所無謬論とでもいうべき立論に陥ってしまうのだ。

前田さんは「この件で『冤罪』と言えるのは李信恵さんだけ」というフレーズを入れている。まさに李信恵さんの立場に立ってのみ、この裁判を見ていたのではないだろうか。

裁判判決が不当なものであれば、判決を批判するのは当然のことである。必要ならば再審を訴えることで、被害を回復するのも当然の権利である。そのための大衆運動は、これまでにも多くの被害者たちが行なってきた。それを知らない前田さんではないはずだ。一般論になってすみませんが、そのうえで加害者には道義的責任も問われるべきである。

前田さんも、李信恵さんの道義的責任を指摘している。

「法的責任はないとしても、道義的責任は残り、かつ大きいはずだと考えます。その意味で『救援』記事を訂正する必要はありません。関係者の行動にはやはり疑問が残ると言わなければなりません」

前田さんの「救援」の記事中、李信恵さんの道義的責任に関する箇所は以下のとおりだ。

「C(李信恵=引用者)をヘイト団体やネット右翼から守るために、本件を隠蔽するという判断は正しくない。Cが重要な反ヘイト裁判の闘いを懸命に続けていることは高く評価すべきだし、支援するべきだが、同時に本件においてはCも非難に値する」

そう、李信恵さんは、本件については非難に値するのだ。したがって法的には無罪が確定したとしても、道義的責任は相互の論争の場において、あるいは表現の場において批判に晒されるべきであろう。言論において判決に従がう必要などまったくないのだ。そうであればこそ、前田さんが「救援」で述べられている内容は「社会的に発言される場合には、確定した事実をもとに発言されることが肝要です」という教示とは明らかに矛盾し、みずからMさんの立場から李信恵さんらを批判しているのだ。 

◆《2》たとえリンチ事件に関係する団体の関係者でも、同席することに問題はない
  ── 論者には多面性がある

もともとこの論争は、松岡さんの側から前田さんがイベントで、事件に関係する団体の関係者3人と同席することへの批判だった。関係者の個々の関与については、寡聞にしてよく知らないので、かなり一般論に傾くことをご容赦ねがいたい。

わたしの立場は、たとい暴力事件に関わっていたとしても、表現の場は保障されなければならないというものです。ただし大衆運動の局面では、今回のようなイベントの場合はとくに、主催者および当該団体が出席の可否を判断するべきだと考えます。そこには生身の人間が介在するからだ。しかし、表現の場では自由でいいのではないか。

じっさい、わたしが編集している雑誌に、しばき隊の運動に過去に参加した論者が社会運動に関する論考を発表している。そのことについて、松岡さんから批判を書かせて欲しいとの要請があり、これを了解している。当該の論考には書かれていない事実についての批判になりそうなので、これには事実関係のみを先方に確認してもらう作業が必要となる。もちろん批判された論者にも、反論の場を提供するつもりだ。論争は事実関係が鮮明となり、論点が明確になる貴重な成果が見込めるからこそ、誌面を解放する意義があるのだ。したがって、事件に関与したから排除する、あるいは同席しないという立場は、わたしは採らないのです。

そこで、前田さんの見解を引用させていただくが、これには大いに賛成せざるを得ない。

「人間人格は多面的であり、決して一次元的ではありません」「社会的には立派な医者や弁護士と思われていても、自宅ではDVに励んでいる夫がいるのではありませんか。道徳教育の重要性について熱弁を振るっている政治家が、セクハラ常習犯というのは良くある話です。世の中には、マイノリティ女性に激しい憎悪むき出しでストーカー状態になっている人物が、孤立した被害者救済のために立ち上がった義侠心溢れる好漢ということもあるかもしれません」「一面を取り上げて鬼の首を取ったように決めつけ、全否定する論法は時として誤りにつながることもあるのではありませんか。人は多面的であり、しかも可変的でもあるのです」(第3回返信)

松岡さんは今回の事件に関連して、長らく仕事をともにしてきた方と訣別しなければならなかったと云われています。個々のケースがあるので一概には言えませんが、わたしはそうはしなかっただろうと思います。出版活動・出版事業はどこまでも理論闘争であり、相手を排除するのは政治闘争だと思うからです。

今回のリンチ事件は、加害者側が隠ぺいをするという政治的な対応をしてきたので、いきおい政治的な応酬(排除・訣別)となったのはやむを得ない。ことは運動内部の暴力であり、なかったことにするのは運動に対する無責任、事件を見ないふりをするのは思想的な頽廃です。

ひるがえって、排除や訣別も相互討論の放棄につながりかねない行為だと思います。被害者のMさんの闘い、鹿砦社と松岡さんの支援の闘いを支持しつつも、前田さんの見識に理があると考えました。もうひとつ付言しておけば、出版・編集という立場は、出版権・編集権という権力を持っています。政治的な対応はきわめて慎重を要し、抑制的にすべき立場にあるのだと思います。

◆《3》被差別当該・複合差別の当該は、無条件に擁護するべきか

このテーマは、一般的な運動論になります。

前田さんの論調には、李信恵さんの差別との闘い、とくに「複合差別」との闘いを「無条件に」高く評価するべき、との力点が感じられました。前田さんをして、今回の事件をめぐる論点を曖昧にしたものがあるとすれば、この力点ではないでしょうか。わたしは《2》に挙げた人間の多面性の観点から、李信恵さんの闘いは評価すべきだと思います。その意味では「救援」の論考を撤回せずに、李信恵さんをリンチ事件では批判するが、在日差別・反ヘイトクライム運動においては評価する立場はあるのだと思います。ただし、それに参加したくなるかどうかは、また別問題です。

わたしが高校生のころの話です。東京で朝鮮高校の生徒と国士舘高校・大学の学生が駅頭や列車内でくり返し乱闘となり、日本人の左翼系の高校生・学生のなかで「無条件擁護闘争」が起りました。乱闘の間に割って入り朝鮮高校生を無条件に護る、ようするに代わりに殴られるというものです。わたしの地元である北九州は在日朝鮮韓国人が多く、地元の不良高校生との喧嘩が少なくありませんでした。大学の学生活動家から一緒に「無条件擁護闘争」をやらないかと誘われたことがありました。

しかし北九州の実態は、朝鮮高校生からわたしたちが強喝されるのが日常茶飯事で、とくにわたしが通っていた高校はいわゆる坊ちゃん学校だったので、喧嘩の強い朝鮮高校生たちに角帽を奪われる(戦利品?)事件が頻発していました。とても「無条件擁護闘争」など参加する気分になれなかったものです。たったひとりでも、同世代として声を交わし合う朝高生がいれば、殴られるだけの闘争に参加したかもしれない。そんなことを後年、筑豊出身の在日の方と飲みながら話した記憶があります。無条件擁護はあってもいいと思うが、現実にはその運動に魅力があるかどうかではないでしょうか。

今回のリンチ事件を、運動の関係者がいち早く隠ぺいに動いたのには、理由があったはずです。運動内部の暴力が露顕すると、運動の広がりが阻害されると考えたからにほかならない。それはしかし、運動の発展をみずから阻害することでしかありませんでした。

暴力事件が起きたのは残念ながら仕方がないとしても、それを謝罪・反省することなく隠蔽しようとしたところに、浅薄で取り返しのつかない問題があると指摘しておきましょう。そこには運動は簡単に操作できる、政治工作で人を操れるという安易さ、社会運動のいちばん悪い面が凝縮しているからです。そんな人を騙すような体質の運動に、人を参加させる魅力があろうはずはありません。

社会運動がつねに清く正しくとは思いませんが、困難ながらも関係者が当初の「謝罪」に立ち返り、和解への途を模索することこそ、運動のおおらかな発展につながると確信してやみません。

[参照記事]
◎松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する!(2019年5月24日付けデジタル鹿砦社通信)

鹿砦社・松岡利康さんへの返信(2019年5月26日付け前田朗氏ブログ)

◎松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の誤解に応え、再度私見を申し述べます (2019年5月28日付けデジタル鹿砦社通信)

鹿砦社・松岡利康さんへの返信(2)(2019年6月1日付け前田朗氏ブログ)

◎松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】「唾棄すべき低劣」な人間がリーダーの運動はやがて社会的に「唾棄」される! 前田朗教授からの再「返信」について再反論とご質問(2019年6月4日付けデジタル鹿砦社通信)

鹿砦社・松岡利康さんへの返信(3)(2019年6月9日付け前田朗氏ブログ)

◎松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗先生、私の質問に真正面からお答えください! このリンチ事件をどう本質的に解決、止揚するかが社会運動の未来のために必須です(2019年6月13日付けデジタル鹿砦社通信)

鹿砦社・松岡利康さんへのお詫び(2019年6月13日付け前田朗氏ブログ)

◎松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授が「お詫び」ブログを公開! 私との公開書簡も、私の質問に答えず一方的に「終了」宣言。はたしてこれでいいのでしょうか?(2019年6月17日付けデジタル鹿砦社通信)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)
 

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