古い友人が苦しんでいる。「精神疾患と名前が付くほど状態ではないけど、仕事に行くことができず、本人曰く『エネルギーが枯渇している』と感じる」らしい。メールで「調子が悪い時、お前はどうやってしのいでいる?」と質問が来たので、はて、あの元気者が何を言い出したのか、と疑問は感じていた。
しかし一時的な忙しさ(奴の仕事は定型業務が全くないといってよいほど、バラィエティーに富んだ珍しい仕事だ)ゆえのことだろうと、わたしは深刻には考えなかったので、「とりあえず疲れが取れるまで寝とけ」とメールへ返信した。
◆ある日、朝起き上がる気力がなくなった
ところが数日後、今度は電話がかかってきた。「お前、京都の精神科知ってるだろう? どこがいい?」今回はかなり切羽詰まった声で前置きもなく精神科を紹介してくれという。事情を聴くと半年ほど前から心身の疲労蓄積を感じるようになり、疲れているのに睡眠が浅くなったそうだ。その後症状が徐々に悪化して、ある日ついに朝起き上がろうにも、その気力がなくなったという。
彼には気配りのできる伴侶がいるので、彼女にも体調の変化を聞いてみた。すると「実は半年前から私仕事を始めたので、朝は早く出かけて、夜の帰宅も早くはなくなりました。ちょうどそのころから彼の調子がおかしくなった」とのことであった。ご伴侶は世間でも「先生」と呼ばれる公的資格を持っていて、長年専業主婦の座で我慢してきたが、子供も就職が決まり夫婦二人になったので半年前から現役復帰をしたというわけだ。
◆「そんなふうに俺がなるもんか」という思い込み
私には奴と似たような経験があったので、気心の通じた開業医の精神科を紹介した。診察結果は私の予想通り「抑うつ状態、3か月の自宅加療を要する」であった。
私は出来立てほやほやの、その診断書を目にして「先生、この加療3か月ですが、1年にしていただけませんか。こいつは会社の経営者で会社は順調ですから1年くらい休めます。金も羨ましいほど持ってます。ただ、大学を出てからろくに休まずに四半世紀以上猛烈に働いてきたから」と付き添った私がお願いすると「経営者のかたですか。ならば雇用を切られる心配はないのですね。わかりました。加療はいきなり1年は書けませんから6か月にしましょう。その間には受診に来られますからまた伸ばせばいい」と私の意をくみ取って頂けた。
診察室を出てすぐに奴は「おい、1年も仕事休めねえよ。お前無責任だな」と小声で言うので「じゃあ廃人になるか、自殺に追い込まれたいか?」ときつめの視線で睨んでやると「そんなふうに俺がなるもんか」と視線をあわさずに言うので、「そう思っている人間が危険なんだよ。俺もそうだった。体力はともかく精神的に崩壊するなんて絶対にない、と思い込んでいたよ。俺の場合は20年ほど前だけどね。自分のことを『救急車』みたいに思っていたのさ。『救急車』は病人や怪我人を運ぶだろ。だけど時々運転ミスで事故をするとニュースになる。あれだよ。横転した救急車ほどか原状回復が難しいものだよ」と自信をもって長期療養を勧めた。
◆「俺が鬱になるはずがない」と思っている中年男性こそ危うい
最近奴ほど深刻ではないものの、同様の相談を受けることが多くなった。いずれも同世代の男性からだ。そして医学書にも書かれているが、私はほぼ確信を持ちつつある。これは男性の「更年期障害」というやつと無縁ではないと。ただし私の定義する男性更年期障害は性欲や性機能とは無縁の症状を指す。
女性の更年期障害には研究の蓄積があり、女性ホルモンの投与などで症状を抑える対処療法も確立されているが、男性の「更年期障害」については、「定期的に運動をする」とか「気分転換を心掛ける」など、まだこれといった決め手はなさそうだ。おじさんからおじいさんに転換する時期に男性更年期は起こることが多いようだ。たいていは軽度で1年以内に快癒するらしいが、男性更年期だけでなく「燃え尽き症候群」を伴っている場合には別の危険性もある。
わたしが知人に感じたのはその危険性だった。「俺は大丈夫。俺が鬱になるはずがない」と思っている中年男性が、これまで感じたことのない精神的な壁にぶつかったら注意した方がいいだろう。
「仕事が生きがい」の人でも「このままだったら『死ぬよ』」と警告すれば、ほとんどの人が休みを選択する。こう言っては失礼だが職人さんや小企業の経営者を除いて、「あなたがいないと回らない」仕事などないのだ。そのことに本当に気が付いたときに、思考の転換への好機が訪れるだろう。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。