12月3日午後パソコンで作業をしていると、ニュースサイトに「中村医師撃たれる」のニュースが掲載された。
当初は「命に別状はない」との記載に安堵したのもつかの間、数時間後には中村医師ご逝去の報道がなされた。
◆ペシャワール会と書家・龍一郎さん
鹿砦社は今日に至るまで微力ながらペシャワール会を継続的に支援してきた。鹿砦社に中村哲医師と直接お会いしたスタッフはいない。
しかし11月10日同志社大学で開催された同志社学友会倶楽部主催の、書家・龍一郎(本名:井上龍一郎)さんの講演会『教育のあり方を問いかけた ゲルニカ事件から30年の想い』の演者、龍一郎さんはペシャワール会の事務局スタッフであり、講演の中でペシャワール会の紹介を予定されていた。
講演に熱がこもったため、講演内でのペシャワール会の紹介時間はなかったが、その後開かれた懇親会の席で、龍一郎さんは熱心にペシャワール会への支援を呼びかけ、チラシを配布された。
龍一郎さんご自身もアフガニスタン出向かれたことがあるそうで、現地のお話を個人的に伺い大変興味深く「一度中村医師に取材させていただけませんかね」と問うたところ「無理やと思うわ。現地に張り付いとるからね。日本医師会に頼まれた講演も現地の事情でキャンセルしたことがあったしね」とのお答えに、「お話を聞くにはアフガニスタンまで伺う必要があるな」と中村医師の迫力を間接的ながら感じさせられた。
◎[参考動画]「アフガンに”水と食糧”を 洪水と闘う日本人 中村医師」TV朝日「ニュースステーション」より(LunaticEclipsAfghan3 2011年2月18日)
米国を中心とする多国籍軍が、アフガニスタンに不当な侵略戦争・爆撃を続けた時期であったと記憶する。中村医師がどこかのメディアで「殺しながら支援をするということがありうるだろうか」と、静かながら怒りを秘めて発言された姿が忘れられない。
あの時、首相小泉(=日本)は米国を中心とする多国籍軍の侵略戦争へ全面的に加担し、アフガニスタンの市民虐殺に手を貸した。「タリバン政権」が狂気の独裁政権のように報じられる中にあって、中村医師は「現地に居ると日本の報道とずいぶん感じ方が違うんです」と淡々と、善悪2元論でしか実態を報道できない日本のマスメディアに、根底的な問いかけと批判を展開されていた。静かな言葉と頑固と表現してもよいほどの断固たる意志をもった行動。医療から灌漑事業まで手を広げた中村医師は10月に外国人として初の「アフガニスタン名誉国民」に任命されるほど、アフガニスタンでの尊敬が厚かった。
◆日本が世界に誇れるものなどほとんどなくなったこの時代に……
そして、龍一郎さんのお話によれば、現地の状況は、いまだに簡単な構図ではないようだ。報道ではひたすら「タリバン」、「IS」ばかりが登場するが、歴史的部族社会のアフガニスタン国内の力学は、それほど単純なものではなく、その中での長年の継続的支援活動は超人的ともいえよう。
日本が世界に誇れるものなどほとんどなくなったこの時代に、ひたすら現地の人に寄り添って生涯を終わられた中村医師に、軽率な言葉はかけられない。ただし中村医師の生きざまと行動を現在のわれわれを自己点検する「かがみ」として捉えることは許されるだろう。「集団的自衛権」、「改憲」、「武器輸出解禁」、「アジアへの侮蔑」……。中村医師がアフガニスタンから日本を語ったらどんな言葉が返って来ただろうか。
合掌
◎[参考動画]誤爆続くアフガンで中村医師 密着「緑の村と学校を作る」02(LunaticEclipsAfghan3 2010年3月16日)
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。