年末になると必ず宝くじのニュースが一回は放送される。今年の年末ジャンボは1等5億円、初夢宝くじは1等1億8千万円、年末ジャンボミニでも7000万円と世の景気に関係なく羽振りがいい。

「宝くじは夢を買うものだ」という話も聞くが、宝くじを買いつつ当選を全く期待しない人はいないだろう。毎年大勢の人が長蛇の列を作って買って、殆どの人が外れるのだから、そう自分に言い訳しないと買い続けていられないといったところか。庶民の夢にケチは付けられない。どこの売り場で買えば当たりやすいだの、当選率を上げる方法だの、眉唾な情報にも注目してしまうのは悲しい性ではある。1等当選したら仕事辞めます、と公言する人も多い。それはいいが、当選しても恋人には絶対言わない、と答えた人が60%以上(マッチ・ドットコム調べ)にもなるのは如何なものか。生々しい現実を取り込んでしまうと、忽ち夢から覚めてしまう。

私は長いこと宝くじは買わなかった。当たるわけないものになぜ金を払うのかわからなかった。1口買っても大体3000円だ。それならちょっと美味いものを食べた方がよほどいいじゃないかと思っていた。夢を買うも何も、大金が欲しければ実力で稼ぎ出せばいい。能力がある人は実際に数億ぐらい稼げるのだから、夢を買うと言う人は自分に能力が無いと言っているようなものだ、と考えていた。

若いうちは過剰に自信を持ちやすい。それが社会に出て、いつの頃か自分が凡人だと気付く。いくら働いても大金など掴めず、日々の生活費に稼ぎを使いながらどうにか生きている。少しずつ貯めた金額は、詐欺や所得隠しで見るような金額にほど遠い。毎日心身すり減らしながら働き、つつましい生活をしていると、宝くじの当選金は正に夢の金額に見えてくる。

30半ばにして、私は初めて宝くじを買った。ひどく悲しい気分になった。それは自分が特別な人間ではなく、凡人であると認めた証左であるように感じた。いくら働いても億単位の金は稼げないし、一度に大金をせしめるような犯罪ができるほどの悪人でもなかった。全くの凡人だった。凡人だから、残業代の出ない職場で働くのは辛かったし、転職で給料が下がるのも辛かった。宝くじが当たれば、心身を悪くしながら働かなくてもいい。それならば1口3000円からで夢が見られるなんて、いいことだと思えた。

ただ、どうせ買うなら当たって欲しい。確率がどれだけ低くても、当たらなければ意味がない。3等や4等でもいいなんて言いたくはない。買うからには当てに行く。そう思いつつ、今年も宝くじを買う。いつの間にか私は「夢を買う」と言っていた人よりも俗物になってしまった。

(戸次義継)