若い頃、ミュージシャンになりたかった。だが、天性の音痴であった。だから、自分でチューニングする必要のないキーボードを選んだ。それでも、音感をつける必要があると思って音叉を持ち歩いていたことがある。ムダな抵抗だった。
音楽家が表現者としていちばん素晴らしい、とうらやむ気持ちが今でもある。
成功すれば、その楽曲はテレビやラジオ、インターネットを通じて、あまねく広がっていく。ライブをすれば、その場で観客からの反応が得られる。

文章は、読者が手にとって読んでくれなければ伝わらない。手紙を瓶に詰めて海に流すようで、一体誰にどうやって伝わっているのか、反応は分からない。
だが文章ならではの伝わり方があるのだなと、最近は感じることがあった。獄中にいる日本赤軍兵士から『エロか?革命か? それが問題だ!』を読んで面白かったと、人づてに聞いた。一審で死刑判決を受け控訴中の女性死刑囚から、『女性死刑囚』を読んで感銘を受けたと聞いた。
流れ流れて、誰かに届く。瓶に詰めた手紙も、悪くないものだ。

だがそれでもやはり、音楽家は羨ましい、と思えることがある。歌に想いを込めることができることだ。
ビリー・ホリディは『奇妙な果実』で、リンチにかけられ木に吊された黒人を歌っている。だが、注意深く聴かなければその意味は取れない。
ポール・マッカートニーの『ブラックバード』は、黒人解放への願いを込めたものだが、そうと知らされなければ分からないだろう。

ジョン・レノンや忌野清志郎のように、ストレートにメッセージを歌い上げるのも、人々に勇気を与える一つの方法だ。
だが、それまで聴き慣れていた曲に、そんな意味があるのか、と知った時に、心に訴えかけてくる力もあなどれない。

THE BOOMの宮沢和史の『島唄』は、敗戦前の沖縄戦での集団自決を歌ったものであり、平和への祈りが込められていることをご存じだろうか。
宇崎竜童が歌う『沖縄ベイ・ブルース』は、男と女の関係に託して、いつまでも沖縄に対しての約束を果たさない日本政府を現していることをご存じだろうか。
『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』(鹿砦社)を開くなら、本人達の言葉で、その意味を知ることができる。ぜひ、手に取っていただきたい。

(深笛義也)