3月1日に実施された、「東京マラソン」で、大迫傑選手が4位ながら2時間5分29秒(速報値)の日本新記録を打ち立てた。一般参加者から参加費を徴収しておきながら「新型コロナウイルス」のため参加を断り「来年の出場権を約束しますから、返金はしません」と無茶苦茶なぼったくりで、顰蹙を買った大会運営も、さらなる「新型コロナウイルス」に関する騒ぎの拡大と、日本新記録により希釈され、大会実行委員会は留飲を下げていることだろう。
◎[参考動画]3月1日 東京マラソン2020~Tokyo Marathon 2020~兼 マラソングランドチャンピオンシップファイナルチャレンジ ~東京2020オリンピック日本代表選手選考競
日本人の2時間5分台は立派な記録である。けれども、参考記録ながら世界は既に2時間を切るところまでマラソンは高速化している。どのくらい早いかをわかりやすく示してみよう。マラソンは42.195キロだから時速20キロで走っても2時間は切れない。時速20キロは平たんな道で自転車をスムースに漕ぐようなスピードだ。
常日頃トレーニングされているかたは別にして、一度時速20キロの世界を安全な場所で経験されることをお勧めする。とんでもなく早く、これを2時間続けるのは人間業とは思えないことを、体感していただけると思う。
そして、余分な話かもしれないが、大迫選手は日本新記録を出したので、賞金1億円を手にした。それくらいの価値はあるだろう。が、他方わたしのあたまには、まだ、マラソンが純粋なアマチュア競技であった時代の、偉大な選手の声が残っている。宗兄弟は瀬古利彦と同じ時期に活躍した双子のランナーだった。ある取材で宗兄弟のどちらだったか忘れたが「ゴルフがあんなに楽をして何千万円ももらえるんだったら、僕たちは2時間以上苦しんでいるんだから正直1億円位ほしいですよ」と本音を吐露した。
生まれた時代が違えば宗も億万長者になれていたかもしれないなぁ。ちょっとかわいそうに思える。宗兄弟や瀬古、伊藤国光が活躍していた時代、日本の男子マラソンは世界レベルにあった。調整さえ間違わなければ五輪でメダル獲得も夢ではなかった。1984年8月のロス・アンジェルス五輪では二人とも完走し、猛は4位入賞を果たした。瀬古は時差を無視した直前の現地入りにより、調整失敗で活躍できなかった。
◎[参考動画]1984 LA OLYMPIC MARATHON
◎[参考動画]ロサンゼルスオリンピック男子マラソン後インタビュー
大迫選手の奮闘には拍手を送りたいが、残念ながらあと4分近く世界とは差が開いている。
そして、日本新記録樹立に「東京五輪近づく」のクレジットが目に入るが、「東京五輪」強行は、恐るべき惨状と背中合わせであることを、読者諸氏にはご理解いただけるだろう。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。