◆原点に返った回想
藤川さんが亡くなって7年が経った2017年5月に旅行代理店の知人に誘われ、タイを訪れることになった。それがこのテーマ、「タイで三日坊主!」の回想となる旅でもあり、当時にそのレポート掲載済みである。短い日程では行けないと思えたラオスまで足を延ばすことが出来、藤川さんと歩いた旅を思い出す時間だった。藤川さん絡みの訪ねる地域は多くなるが、いずれは数週間の時間を掛けてペッブリーの古巣を含め、ノンカイ・ビエンチャンをまたゆっくり訪ねてみたいものである。
◆藤川さんと出会った最初のお店、M&K
藤川さんの若い頃やタイに渡るまでの生き方は、私が直接関わったものは全く無い。藤川さんのビジネスの片鱗を見たのは、わずかにアナンさんのジムの近くで経営していたM&Kミニマートとレストラン(食堂)のみ。
画像は2年程前、タイでムエタイ・イングラムジムを経営している伊達秀騎くんが撮って来てくれた、元・藤川さんのお店である。ここが1993年に藤川さんと出会った運命のレストランであった。
私の記憶と合致しない風景だったが、改めて見直してみると思い出してきた。今は誰も寄り付かない不気味な様相だが、当時は風通し良い明るい雰囲気だった。少々改築されているかもしれないが、この右側の段差の上にあるフェンスのフロアーは、ここにテーブルと椅子が並べられていたレストラン。奥が調理場である。隣接する左側の建屋はタイ語の看板が出ているが、「M&Kミニマート」と書かれたコンビニエンスストアー。当時、三十代ほどの女性一人がレジでお客さんと接していた。
ここの道路を挟んだ対角線上にも別業者のコンビニエンスストアーがあるが、美容室が隣接し、オバサン店長と二人の若い女の子が店員として居た。この店の前は集落から大通りに出るに便利なバイクタクシー乗り場があるところで周囲は人の往来が多い。その反面、M&Kミニマートは一人店員でやや通りからの目が遠く、藤川さんが出家する為、権利を明け渡した後、この女性店員さんが強盗に襲われナイフで首を切られたらしい。命に別状は無かったが、この経営体制で置いて来てしまったことに藤川さんは「この女性には可哀想なことをした!」と悔やんでいたことがあった。その後は新たな展開もすることなく空き家となっていたようだ。
◆男の更年期?!
それから一年後の私が出家の為、寺に入る一ヶ月前頃の藤川さんからの手紙は、過去を振り返る反省の書き殴りがあった。当時は何も気に留めなかったが、これは誰もが通過する悩み多き50歳代の男性が直面するものかもしれない。
「最近、真剣に考え込んでいることがあるんです。“俺、今までの人生で何か無償で真剣に打ち込んだことがあっただろうか”ということです。子供の頃の勉強、あれも本当に何かを学びたいという真剣なものじゃなく、ただ良い成績を取れば親や先生から褒められるし、友達からも一目置いて貰えた。仕事も頑張れば収入が増え、欲しいものが手に入り、好きなことが出来るから。恋も結婚も本当に何の損得無しに相手に惚れ、“彼女を幸せにしてやりたい”といったものじゃなく、ただ女が欲しかっただけ。子育ても本当は子供のことなど考えていなかったのではないか、いつも周りの目を気にし、恰好付けて生きてきたのではなかろうか。人間としてやらなければならない最低限のことすら何もしないで、ただ周りの目と自分の欲望の為だけに生きてきたのではないか。考えれば考えるほど自己嫌悪に打ちのめされます。人に宗教のこと、仏教のこと語る資格は俺には無い。なぜなら宗教とは人間が人間らしく生きていく為の指標だと、最近分かってきたからです。夜寝る前に自分の部屋で一人座禅を組み瞑想しても、このことが頭の周りを巡り、過去の行ない、あの時はどうだったか、やはり間違っていた。この時はどうだったか、やはり自分の欲望だけでやっている、あれもこれも、やっぱり人間として恥ずべき行ないだった。本当に自分が恥ずかしくなってきます。それなら現在はどうだ、やっぱり駄目人間だ。私に人を責める、ましてや教える資格など無い。自分の心を鍛え直す、それが精一杯で、それも充分果たすことさえ出来ず墜ちていくのではと焦っています。」
2020年の今、私がこの頃の藤川さんの年齢を超える歳となり、人生を振り返ると似たような感情になることがあって、1994年当時の藤川さんの心理が読めてくる気がした。一般的には結婚し子供が生まれ成人し、親の手から離れて行く頃のこの年齢になると、心にポッカリ穴が空いて自分を見つめ直す時間が増えると、他人より学歴があって裕福な人生を送っていても、或いは忙しく働いてもギリギリの生活であっても、或いは仕事もしないで借金抱えながら何をやっても三日坊主な人生を送っていても、もう先が見えてきて取り返しのつかない歳になった今、過去出来なかったことや間違っていた行為を悔やむ反省の時期を迎えるのだろうか。これが男の更年期障害なのかは分からない。
最後に「でも元々、この年まで刑務所に入ることなく、人に殺されることなく、人様と同じ空気を吸わせて生かさせて頂いているだけで吉本の漫才のようなものです。そしてこんな男でも、一人前のことを言い、大きな顔で生きられるのだと安心してください。」と藤川さんらしく、「俺みたいになるな!」と言っているような文言で締め括っていた。
刑務所に入ることは無かったが、やんちゃな思春期を送り、少年鑑別所送りにもなったことがある藤川さん。知り合った当時、私が練馬区に住んでいると知ると、すぐさま出た言葉が「練馬少年鑑別所の在る所やな!」と反応は早かった。
少年鑑別所は「過去と向き合う場所」という捉え方があるらしい。そういう施設と似た場所がお寺かもしれない。そんなこともすでに触れたかもしれないが、私もラオスの旅の時、藤川さんに「今は過去を見つめ直す時なんや!」と言われたが、藤川さん自身も出家した一年後辺りは、その時期を迎えていたのだろう。
◆堅気の人生
そんな藤川さんの出家前か、やんちゃな若い頃に付き合いがあったという、後に堅気になった元ヤクザと偶然、京都の喫茶店で会った際、「右手の薬指小指の第一関節が切られて無くなっておったが、『藤川はん、真面目に仕事しようと思うても、指二本無いとハンマーもしっかり握れまへんのや、もうこれだけで出来るはずの仕事が出来んようなってしまうんや、アンタはヤクザにならんで良かったなあ!』と言われたことあるが、指ツメられるというのは、痛いだけや無うて生きていく術も奪われるいうことや!」という取り返し付かない人生もあるのだろう。
まだ続く藤川さんが残した言葉。長い年月の間に記憶に残っている会話は多い。興味津々だった話、鬱陶しい話、何気なく聴いていたことも多いが、「タイで三日坊主!」を書いてきた中で、なかなか組み込めなかった印象的なところを仏教とも無縁ではない話は活かしておきたいと思います。
◎[カテゴリーリンク]私の内なるタイとムエタイ──タイで三日坊主!
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」