お正月は気分も一新、何でも願えるいい季節だ。今年はどんな一年になるだろう。初詣に出かけておみくじを引いた人も多いだろう。
おみくじとは、神仏に祈願して吉凶を占うものである。番号を記したたくさんの串が筒の中に入っており、引いた串の番号の札を巫女さんが渡してくれるというのがオーソドックスなスタイルだろう。
大吉から大凶まで、何が出てくるかドキドキわくわくするのも楽しみなものだ。良い札が当たれば前向きな気分で仕事や学業に向えるだろうし、凶の文字が出ればちょっと、いや大いにがっかり、でも書かれているメッセージに気をつけて日々を過ごすように心がけるかもしれない。
さてこのおみくじ、何が出るかは単に確率の問題ということができる。たとえば筒の中に100本の串が入っている。そのうち10本が大吉の番号であるとしたら、Aさんが引いてもBさんが引いても大吉が出る確率は10分の1だ。同様に他の札が出る確率も、100人が引けば100人が同じである。引いた串はまた元の筒に戻るので、ある番号が出る確率は常に同じだからだ。
確率論でいう10分の1という意味は、単純にいうと10回引いたら1回当たる計算になるということだ。しかし、大吉が出る確率は同じでも、それが最初の1回に出るか最後の1回に出るか、はたまた5回目に出るのかは計算することができない。
普通おみくじを引くのは1人1回だろう。ある人が最初の1回に大吉を引き当てられるかどうかはまさに偶然性であり、すなわち神の手によるものなのだ。
2回続けて吉が出る人もいれば、何度引いても凶という人もいるかもしれない。
あらかじめ印刷してある札の中から任意の1枚を引き当てるという行為は、単に確率の問題のように見えながら、実はどの番号を渡されるかは神のみぞ知るということだろう。
おみくじの筒の小さな孔から竹串が出てくる瞬間に、「この人にはこの札を渡そう」という神の裁量が介在すると考えられるのだ。
今年は都内の神社に初詣に行った。おみくじは小吉と出た。悪くない。小さな吉からコツコツと積み上げていこう。列の後ろに並んでいた若い夫婦は乳飲み子を抱いている。彼らが引いたおみくじはどうやらその子のためのものらしい。
「ぅえ、末吉だってー」
「何だかねー」
夫婦は浮かない顔だ。末という字が気に入らないのであろうか。末吉は後に吉となる運勢、将来が長い乳飲み子にとっては末広がりの良い運勢であると筆者は思うがいかがだろう。まさに神が微笑んでいるとは考えられないか。
「大吉は凶に還る」という言葉もある。大吉が出た人は慢心せず、凶が出た人も落胆せず、一日一日を大切に着実に過ごす一年でありたいものだ。
(ハマノミドリ)