いまだ終息が見通せない新型コロナウイルスの感染拡大。39人の陽性者が確認されている福島県で、多くの人が口にする言葉がある。
「あの時と似ている」
あの時、とは未曽有の大震災と大津波、原発事故が起きた2011年の事だ。誰もが思い出す9年前。しかし、良く話を聴くと相違点も見えてくる。何が似ていて何が似ていないのか。
◆原発事故でまき散らされた放射性物質と同じだね……
福島駅近くのラーメン店。日曜の昼下がりだというのに店内は閑散としていた。男性店主は店先で日向ぼっこをしている。周囲の居酒屋やカラオケ店は軒並み、休業中。店主は苦笑いを浮かべながら話した。
「福島は車社会だから、日曜日だからと言っても、もともと決して人通りが多いわけじゃ無い。でも、今はさらに人が歩いていなくてガラガラ。売り上げ? 4分の1に減ってしまったよ。緊急事態宣言が出されてから一気に人通りが減ったね」
男性店主は言う。「目に見えない物への恐ろしさという意味では原発事故でまき散らされた放射性物質と同じだね。でも、今回の方がより恐ろしい気がするなあ。放射線はすぐに健康状態に変化は現れないけれど、コロナは命にかかわるからね。有名人も亡くなったし……」
◆今年の高校1年生たちは、2011年に卒園式や入学式が出来なかった世代
県立高校の入学式が行われた今月8日、中通りのある高校では、新入生の母親が複雑な表情を浮かべていた。
「難しいですよね。今を大事にするべきかどうか……。学校に行かれないのはかわいそうだなという気もするし、通学する事で拡がってしまってはいけないし。もっと単純な事を言えば、娘が家で毎日ぐうたらしているのもどうかという想いもあります」
実は、今年の高校1年生たちは、2011年に卒園式や入学式が出来なかった世代。「だから余計に、高校の入学式くらいは予定通りにさせてあげたかったという想いがあるんですよ」と母親は言った。
「子どもによっては卒園式が無くなってしまったりしましたからね。うちの子は日程をずらしてやってもらいましたけど。まさか9年経ってこういう事になるなんて考えもしませんでした」。
◆「再び選択を迫られている親」のいら立ち
そして、あの時の「選択」に想いを馳せた。表情も口調も、それまでより一段と険しくなった。そこには「再び選択を迫られている親」のいら立ちのようなものが表れていた。
「逃げるのか残るのか。私たちは原発事故後に選択を迫られました。毎日、そればかりを考えながら生活をしていました。それで結果として中通りでの生活を選びました。あの時も様々な情報が流れて、子を持つ親の間でも意見が分かれて。食べ物に関しても、『検査しているのだから大丈夫』と思いたい自分がいる。あの頃のように、また子どもを学校に行かせるかどうかの選択を迫られるのですね。でも、学校はやっているのにうちの子だけ通わせないで家に居させるというのも……」
◆ウイルスにも放射性物質にも色が付いていたら良いのにね……
福島市内の理髪店で働く女性は「ウイルスにも放射性物質にも色が付いていたら良いのにね。真っ赤に見えるとかさ。そうすれば感染や被曝のリスクから遠ざかる事が出来るのに……」と苦笑した。
別の女性は「放射線は線量計で数値として可視化出来るからまだ良かった。線源から子どもを遠ざける事が出来ました。でも、ウイルスの存在は数値化出来ません。モニタリングポストでも分からない。だから余計に防ぎようが無くて怖いです」と表情を曇らせた。
同じようで違う〝目に見えない物への恐怖〟はいつまで続くのか。放射線防護への意識が高い人ほど新型コロナウイルスへの意識も高く、既に疲弊しているように映る。
◆10年目に繰り返される「子どもをどう守るのか?」
そんな苦悩をよそに、福島県が毎日のように発しているメッセージがある。感染者が新たに判明した際に開かれる記者会見。最近では、もはや早口での棒読みにすらなってしまっている言葉にこそ、内堀県政の方向性が透けて見える。
「県民の皆様にとっては不安や恐れの気持ちがあろうかと思いますが、原発事故による風評に苦しめられている福島県民だからこそ、新型コロナウイルスの陽性となった方やその関係者に対する差別や偏見は、なさらないよう切に願います」
もちろん、感染してしまった人への中傷や攻撃は許されるものでは無い。どれだけ用心していても感染してしまう事もあろう。しかし、それと「原発事故後の風評」とは全く異なる。
福島県の内堀雅雄知事は、〝風評〟の名の下に放射能汚染の現実から目を逸らし続け、「もはや問題無いのに」と避難者切り捨てを着々と進めている。それを混同するあたり、「群馬訴訟」の控訴審で、「低線量被ばくは放射線による健康被害が懸念されるレベルのものではないにもかかわらず、平成24年(2012年)1月以降の時期において居住に適さない危険な区域であるというに等しく、自主的避難等対象区域に居住する住民の心情を害し、ひいては我が国の国土に対する不当な評価となるものであって、容認できない」と避難指示区域外からの避難継続の相当性を否定してみせた国と同じだ。
子どもをどう守るのか。原発事故から10年目に突入した福島は、再びあの頃と同じ課題に直面している。そして、行政が子どもたちを積極的に守ろうとしているように見えないのもまた、あの時と同じだ。
県保健福祉部の幹部は「迅速で正確な情報発信に努めるので、県民の皆さんも正しく理解していただきたい」と話す。福島市保健所の担当者も「過剰に不安を抱かず、正しく恐れていただきたい」と市民に求める。これも、あの時と同じ。県や市町村、そしてアドバイザーと呼ばれる専門家が不安の鎮静化に力を注いでいるのも原発事故後の構図と重なる。そして、高校生たちが求める県立高校の休校は実現していない。
ある県議は「県政は狂ってるよ。内堀知事では県民は守られないと、そろそろ気付いて欲しい」と語気を強めた。「あの頃と同じ」とため息交じりに振り返るのは、これで終わりにしたい。
▼鈴木博喜(すずき ひろき)
神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。