◆インカ帝国滅亡のなぞ

インカ帝国を滅ぼしたスペイン人のピサロ

マチュピチュ遺跡で有名な南米のインカ帝国は、スペインのピサロによって滅ぼされたのはよく知られている。ピサロが初めて南米に渡ったのが1524年、金を求めての探検であった。

1531年に180人の兵と37頭の馬を引き連れて再訪し、翌年には皇帝のアタ・ワルパを捕縛、そのまま殺害してしまう。インカ帝国の首都クスコを1533年の秋に無血開城させ、現在のリマに拠点を築く。ピサロの兵はわずか180人だったという。

当時のインカ帝国は1600万人と推定されているが、なぜわずか180人の兵士に屈したのか。これは歴史の大きな謎とされてきた。

インカ帝国に内紛がありピサロにそれが利用されたのは事実だが、それにしても皇帝アタ・ワルパの手勢だけでも数万の兵力があったのだ。じっさいに1526年の西海岸上陸では、インカ兵の襲撃をうけて十数名のスペイン兵が惨殺されている。平和を謳歌してきたインカ人(インディオ)たちも、侵略者を許さない暴力を持っていたことになる。

歴史家たちは、初めて馬を見たインカ人たちがそれを怖れ、精強なスペイン兵を前に敗走したと説明する。あるいは平和な繁栄を遂げてきたインカ帝国には、戦闘的な兵士がいなかったという。そうではない。

先住民を虐殺するスペイン人

ピサロのインカ征服は、カルロス1世から総督の地位を承認されるなどの手続きをふくめ、足かけ9年もの年月をかけている。そのかんに、ヨーロッパでは免疫制圧された天然痘やペストなどの感染症が、インカ帝国を襲ったのである。一説には、人口の60%が失われたとするものもある。

最近の研究としては、マチュピチュ遺跡から出土した人骨から、天然痘や寄生虫の痕跡がみとめられている。マチュピチュは王族や貴族の神殿と考えられ、標高2,430メートルの高地にある。感染症は帝国の中枢にまで至っていたのだ。

金をはじめとする財宝、そしてトウモロコシやジャガイモなどがヨーロッパにもたらされ、南米はスペイン・ポルトガル(イベリア両王国)が支配するところとなった。この略奪戦争はしかし、人類史的には文明の進歩でもある。古代・中世においては、戦争が生産様式(総体的奴隷社会=マルクス)であるゆえんだ。「コロンブス交換」からそのことを説明していこう。

◆コロンブス交換

大航海時代以前からアメリカ大陸に住んでいた主な先住民たち

新世界(アメリカ大陸)を発見したコロンブスによって、もたらされた物と奪った物をコロンブス交換という。植物、動物、銃、そして病原菌である。大航海によって海が征服され、分断されていた文明が交流する。新自由主義のグローバリゼーションがウイルスのパンデミックをもたらしたように、15世紀末からの植民地化は世界を一新した。

病原体にかぎって、列記しておこう。

ヨーロッパからアメリカ大陸にもたらされたのは、コレラ、インフルエンザ、マラリア、麻疹、ペスト、猩紅熱、天然痘、結核、腸チフス、黄熱、百日咳などである。

いっぽう、アメリカ大陸の風土病もヨーロッパにもたらされた。梅毒、フランベジア(イチゴ腫)、黄熱 (American strains)である。

インカ帝国の人口が60%失われたかどうかは、現代の疫学研究に基づいた推定にすぎないとしても、東西大陸の人類は上記の感染症を体験(集団免疫)することでそれを克服し、病魔にまさる新たな食料資源を得たのである。

前述したジャガイモやトウモロコシ、トマト、落花生やキャッサバがヨーロッパを経由してアジアにもたらされるまで要したのは、数十年だったとされている。じつは18世紀にいたるまで、人類の最大の脅威は疫病ではなく凶作だったのだ。いまも飽食の日本においてすら、餓死する貧困層は存在するし、世界では6億人の人々が飢えに苦しんでいるという。

ヨーロッパから新大陸に持ち込まれた馬や銃、耕作用の鉄器は広大な南北アメリカで農業の隆盛をもたらした。

われわれが今日、スーパーで手にする肉や野菜はどうだろう。アメリカ産、カナダ産、ブラジル産の農産物の何と多いことか。コロンブスやピサロの「発見」や「侵略」によって、世界はひとつ(均一)になったのである。しかるに、人類の開発が密林におよび、そこで生息していたウイルスたちを眠りから起こしてしまった。その亜種が変異をくり返し、いまやわれわれに寄生しようとしているのだ。

そこでわれわれは、広がりすぎた世界を「閉じる」必要を思いつく。クラスター防止のために都市は「ロックダウン」され、県域を越えるなと政府は言う。

そうであれば、鉄道通勤をやめてしまえばいい。テレワークに必要な電力は、自然光発電を自前にしてしまえばいいではないか。各地の産品を全国にもたらす物流システムは、本当に必要なのか。人的な移動を必要としない、ITとAIを駆使した経済モデルはどこまで可能なのか。就業と賃金システムを効率的に実現できる方法は何なのか? 公平な労働と分配は可能なのか。初歩的な疑問から出発し、コロンブス交換に匹敵する革命を模索したいものだ。

◎[カテゴリー・リンク]感染症と人類の歴史 

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』『ホントに効くのかアガリスク』『走って直すガン』『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』『ガンになりにくい食生活』など。

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