1977年に北朝鮮に拉致された当時中学1年生の横田めぐみさんの父親で、拉致被害者家族会の初代代表の横田滋さんが5日、老衰のために亡くなった。87歳だった。
これをうけ、マスコミは一斉に滋さんの逝去を悼む報道を繰り広げたが、1つ気になることがある。それは、北朝鮮から「めぐみさんの遺骨」として提供された骨について、マスコミ各社が「めぐみさんとは別人の骨」だと決めつけていることだ。それは確かに日本政府の公式見解ではあるのだが……。
あの骨は本当に「めぐみさんとは別人の骨」だったのだろうか。改めて考えてみたい。
◆問題の骨からは「めぐみさんとは別人のDNA型」が検出されてはいるが……
まず、事実関係を振り返る。
北朝鮮が日本人13人の拉致を認め、金正日総書記が謝罪したのは2002年のことだった。その後、13人のうち5人は日本に帰国したが、めぐみさんら残り8人は死亡したと伝えられ、帰国は叶わなかった。北朝鮮によると、めぐみさんは北朝鮮で結婚し、女の子を出産したが、1994年に自殺し、1997年に火葬されたとのことだった。
しかし2004年、北朝鮮から提供された「めぐみさんの遺骨」について、日本政府が調べたところ、とんでもない結果が出る。帝京大学医学部の吉井富夫講師(当時)の鑑定により、遺骨から「めぐみさんとは別人」のDNA型が複数検出されたのだ。
これにより、北朝鮮から「めぐみさんの遺骨」として提供された骨が「めぐみさんとは別人の骨」であり、「めぐみさんは、本当は生きているのに北朝鮮が隠している」というのが日本政府の公式見解になった。そして日本のマスコミの多くもこれに追随した。対する北朝鮮は「日本の鑑定は捏造だ」「めぐみさんは本当に死亡した」と主張して譲らず、これ以降、両国の間で拉致問題は未解決のまま、平行線をたどってきたわけだ。
一方でこの間、鑑定を行った吉井氏に取材した英国の科学雑誌「ネイチャー」の記者が、同氏から「鑑定は、断定的なものではない」という内容の証言を引き出し、同誌で発表。それ以来、「日本政府の見解こそが間違いだ」「再鑑定をすべきだ」などという声もくすぶり続けている。
では、一体、日本と北朝鮮の主張、どちらが正しいのか。結論から言うと、筆者は「どちらとも断定できない」という立場だ。ただ、問題の骨について、「めぐみさんとは別人の骨」だとし、「めぐみさんは、本当は生きているのに北朝鮮が隠している」とする日本政府の見解に信ぴょう性がまったく感じられないでいる。
◆第三者に追認されていない鑑定、北朝鮮が嘘をつく動機も見当たらない
その理由は第1に、問題の骨から「めぐみさんとは別人のDNA型」を検出できたのは、この世で吉井氏ただ1人であることだ。問題の骨はもともと、1200度の高温で火葬されたもので、DNA型が検出できるのかが疑問視されていた。そして実際、この骨のDNA型鑑定は警察庁科警研でも行われながら、科警研では誰のDNA型も検出されていないのだ。
第三者により再現できない「科学鑑定」というのは、一般的に信用性が低いものである。
第2に、鑑定手法の問題だ。現在、DNA型鑑定は天文学的な精度で個人識別ができるようになっている。しかし、それは状態の良い試料を「核DNA型鑑定」という手法で行った場合の話だ。吉井氏が行なったのは「ミトコンドリアDNA型鑑定」で、これはDNAの量が微量でも可能な鑑定手法だが、精度や再現性に問題があるというのが専門家の間では常識だ。
実際、刑事裁判でも、核DNA型鑑定で有意な結果が得られず、ミトコンドリアDNA型鑑定でのみ何らかの有意な結果が得られている事件では、ミトコンドリアDNA型鑑定の信用性が争点になり、審理が紛糾しがちだ。吉井氏の鑑定について、ミトコンドリアDNA型鑑定であることのみを根拠に「間違っている」と断定することはできないが、第三者による再鑑定により鑑定結果が追認されていない以上、信用するのは無謀だとは言い切れる。
そして第3に、そもそも、北朝鮮が日本に対し、めぐみさんの生存を隠し、「死んだ」と偽りたくなる動機があるとも思い難い。北朝鮮にとって、そんな嘘をついても何のメリットもないからだ。
むしろ、仮にめぐみさんが生きていれば、北朝鮮はめぐみさんを日本に帰国させることを交換条件に、日本から経済支援を引き出そうと考えるほうが自然だろう。
あの骨が北朝鮮の主張通り、本当に「めぐみさんの遺骨」であるならば、偽物扱いされためぐみさんは気の毒だ。この問題については、「北朝鮮は嘘をつくに決まっている」と決めつけたりせず、冷徹に事実関係を見極めるべきだ。
▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第10話・奥本章寛編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。