理化学研究所などがSTAP細胞という新万能細胞の作製に成功したニュースは生命科学の常識を覆す画期的な成果として報じられた。科学に明るくない者でも、未来に希望の持てるニュースが新聞の一面に掲載されるのは気分が高揚する。

各紙記事や各テレビ局のニュースで研究の立役者として紹介されたのが理化学研究所の小保方晴子ユニットリーダーだ。
博士号を取得して3年の若き女性研究者の活躍は賞賛に値する。

けれども気になるのは、マスコミの「取り上げ方」である。
NHKや民放のニュース番組では、彼女を「女子力のあるリケジョ」という表現で取り上げた。最近は理系の女子を「リケジョ」というらしい。ちなみに土木に携わる女性は「ドボジョ」というそうだ。
大学生に占める理系学生の割合は3割弱とされているので、理系の専攻者は少数派だ。
けれど理系の男性をリケ男などとは言わない。女性はさらに少数派で、理系といえば男性をイメージする人が多いということだろう。

番組では、研究室にて白衣ではなく割烹着を着て実験をすること、研究室の壁紙はピンクやイエローのパステルカラーで大好きなムーミンのシールを貼っていること、花柄のソファを愛用していること、などが紹介された。
理系でもこんなに女性らしい、と言いたいようだ。

翌週に発売された週刊誌でも軒並み彼女に関する記事が載っている。
「巻き髪リケジョ、小保方晴子さんの女子力と根性」(週刊朝日)、「30歳美人研究者、普段はこんな女の子」(週刊現代)といったタイトルで、内容はいずれも彼女の生い立ちと研究活動の紹介、そしていわゆる「女子力」の高さをアピールする内容だ。

理系の女性が女性らしい趣味であることがどうしてこんなに取り上げられるのか。
その背景には、「理系の秀才=勉強ばかりしていて身なりにはかまいつけない、おしゃれに関心がない」といった昔ながらのステレオタイプな発想がないだろうか。

かつてある著名な女性評論家が「子どものころから不美人だったので、勉強を頑張るしかなかった」と言っていたが、それなどは「女子供(おんなこども)」という言葉が成人男性に劣るものとして普通に使われていた戦前の話だ。
今はそういう時代ではない。
いまだに「美人○○」という言い方がまかり通るのも時代錯誤に感じるのは筆者だけだろうか。
女性の評価が美醜に左右される人もいるのは事実だが、報道がそれに加担するべきではない。美人であることが他の要素の加点になるとするのは本人に対しても失礼なのではないか。
たとえばiPS細胞研究の山中伸弥教授はスラッとした素敵な男性だが、彼のことを「イケメン研究者がノーベル賞を受賞」などと報じたとしたら、大変失礼に感じないだろうか。

理化学研究所のサイトを見てみると、「若手研究員の素顔」というページがある。
女性研究員も何人か紹介されているが、写真で見る限り皆さん小ざっぱりとしてさわやかな印象を受ける。マンガに出てくるようなステレオタイプのガリ勉風のイメージの人はいない。
理系でも文系でも、そのどちらでもない人でも、女性らしい人とそうでない人はいる。
巻き髪でパールのイヤリングをしていることが研究成果の内容よりも大きく取り上げられ、その結果本末転倒な事態を招いているのは嘆かわしい。

小保方さんが小学生の時に書いた詩や、中学時代に作文コンクールで入賞した読書感想文まで紹介され、感想文で取り上げた書籍は出版社に注文が殺到した。研究発表時につけていたヴィヴィアン・ウエストウッドの指輪についても問い合わせが相次いだという。
特需に喜ぶ企業もあるかもしれない。
けれども小保方さんや理化学研究所にはプライバシーに関わる内容を含めて取材申し込みが殺到している。友人知人や近隣住民にまで迷惑が及び、対応に追われて本来の研究活動に支障をきたす事態になった。※
小保方さんはタレントではない。
世界的に評価を受けている研究の成就とさらなる発展を、興味本位な取材で妨げることがあってはならないのだ。

(ハマノミドリ)

※<参考>
STAP細胞の研究成果に関するお問合せ・取材対応について
http://www.cdb.riken.jp/jp/index_stap.html
報道関係者の皆様へのお願い
http://www.cdb.riken.jp/crp/news2014.1.31_2.html