◆ファイトマネーの在り方
チャンピオンになりたい! そんな志持ってジムに入門。デビュー戦を控え、与えられるファイトマネーはチケット。そんな時代は長く続く。勿論現金払いもあるが、チケットの方が比率は大きいだろう。
そんな選手がほとんどで、そのチケット捌きの苦労は練習より辛いという選手も多い。しかしそれは興行を成り立たせる為には欠かせない要素でもあり、仕方ない部分でもある。
昭和50年代のキックボクシングテレビ放送打ち切りから平成初期頃までは、「キックボクシングってまだやってるの?」なんて言われること当たり前の時代に、世間一般に向けては、なかなか売れるものではなかった。
◆どんな捌きをしているか
1982年(昭和57年)、ある選手が会長から3,000円の自由席券を30枚ぐらい渡されて、「全部2千円で売ろうと思う!」と言っていたのを聞いたことがあった。額面より値引きしてでも買って貰う為の苦労だろう。
デビューしキャリアを積んでいくうち、このチケット捌きは必然的に割り振りが大きくなっていく。生活を支える為、普通の企業に正社員やアルバイトとして勤めて、そこが活気ある従業員が大勢いる職場で人気者となれば、百枚単位のチケットも捌くことは可能だろう。
チケットを50枚でも100枚以上でも捌くことが継続されれば、「頑張れ○○君、皆で応援に行くからね!」と会社ぐるみでの応援団となり、横断幕や幟旗などが舞うことも多い。そんなチケット捌きからの活気ある応援は、興行への大きな貢献度もあると言えるだろう。
それに対し、チケット捌ける選手が捌けない選手の分まで頑張って捌いている例もある。
先輩選手が、「売れないなら俺が何とかしてやる、持って来い!」
そんな後輩選手とのそんなやりとりも聞いたことがあった。そんな田舎から出て来たばかりや、孤独な選手は、「何とか捌きました!」と言っても内情は自分で抱えているだけかもしれない。或いは無料で配っているかもしれない。或いはディスカウントショップに持ち込んで極端に安く引き取って貰っているかもしれない。
それで会場はチケット捌けた各選手の応援団だらけ。応援する選手の試合が終われば、単に帰ってしまう人も含めて、ドドドっと出口に向かい祝勝会へ向かう集団の姿はよくある光景。チケット完売なのにメインイベントに進むにつれ、空席が目立っていく背景にはこうした現状があるのである。
◆チケット捌きの苦労!
これは1990年代のあるチャンピオンの話。
「デビュー戦は地方のリングでファイトマネーは無償。知り合いも皆無だったので、激励賞も無かった。2戦目は、3,000円券10枚で、“バック無し”だったのでファイトマネーは3万円だった!」と言う。
このチケット捌きにはバック有りとバック無しがあるらしい。“バック”とはプロモーターや会長に額面の33パーセントをマネージメント契約上の金額として支払うことである。割り振りされたチケットを捌けなければ自腹を切り、ジム会長(プロモーター)に33パーセントを支払う羽目となる(チケット戻しは無い)。その代金は選手の親が出しているかもしれない、またはアルバイトで必死こいて稼いだ安月給を充当している場合もあるかもしれない。或いはキッチリ定額で捌き、ジムに33パーセントバックしても、何万円も何十万円も自分のファイトマネーとして、プロとして実践する選手も居るのかもしれない。バック無しであっても現金含めたファイトマネー総額から33パーセント以内という規定で差し引かれているのが契約上の義務である(総額が曖昧で何パーセント引かれているか分からない場合も多い)。
ある時代、有名外国人選手が出場するビッグイベント興行を手掛けた某ジム会長。それが大変な赤字を抱えてしまうと、その負債が長い期間、足枷になる場合もあるという。
そんなある興行を前に起きたこと。その所属ジムの某選手の話では、会長から選手4人に5,000円券20枚を「アルバイト先でも捌いてくれ!」と頼まれてしまったが、その売り上げは全額会長戻し。それは、“選手たちも貢献してね”という意味だった。その会長は、無理を押し付けている為、「もし売れなかったら、“売れませんでした”でもいいからね!」と柔軟に対応してくれたが、選手皆、会長とは厳しくも信頼ある仲で、反発する意識は無く、なぜか心に余計なプライドが宿って、「自分に割り振られた分ぐらいは必ず捌きます!」と受けてしまった。カッコつかないし、ヘタレと思われたくなかったのである。
しかし、その某選手は、自身が出場する試合は仕事先で毎度100枚ぐらい捌くものの、このビッグイベントも20枚ぐらいなら割とすぐ捌けるかなと思ったところが、自身が出場しないと5,000円券がなかなか捌けない。すると、「半額の2,500円ならば買ってもいい!」と言うのが数名居た程度だったという。
そんな状況で、「会長、チケット売れませんでした、戻させてください!」とは絶対言いたくない。それで、「まあこんなボランティアは今後もう無いだろう。それにたかが10万円程度でも、育ててくれた会長への恩返しと思えばいいか!」と妥協する心も芽生えたという。
例え半額にしてでも何とか捌きたかったが、他の選手にはその内情は一斉語らず、
「俺はとりあえず何とか20枚捌いたよ!」と見栄を張ったら、それで終わりではなくなった。それを聞いた他の3選手、「すみません。会長には内緒で、俺らの分も少しでいいから、お手伝いお願い出来ないでしょうか?」と頼まれてしまい、“少し”と言うから仕方無いなあと思っていると、内2人はキッチリ20枚ずつ持って来たという。全く売れなかったようだ。赤字の歪みはこんなところにも表れるのだった。
◆これもプロの仕事!
選手がチケット捌きをしなければならないのは試合出場とそれに懸けるトレーニングとは別の労働力であろう。職場や後援会、近所付き合い、学生時代の仲間がいない場合、住宅街や団地を一軒一軒回って、キックボクシングのチケットを押し売りする選手はいないだろうが、新聞購読勧誘員のような悪びれない労働はなかなか出来るものではない。
そんな過酷さは関係無くても、選手のチケット捌きの実情から、2016年9月に(株)ブシロードが「KNOCK OUT」を手掛けた際、「手売りを無くしたい!」と語っていた木谷高明社長。選手がチケットを捌くことへ、「そんな時間があったらトレーニングに専念して欲しい!」との意向で、「選手のチケット手売りをやめさせ、誰が出るか発表しなくてもチケットが売れるようにしたい。手売りをやってる限り先は無く、手売りは供給側の事情で、お客さんの需要側に立ってないことです!」と語っていた。それ自体は将来を見据えた選手に優しい運営システムだが、その負担をいつまでも自社戦略でカバーできるものではなかっただろう。
後援会など応援してくれる仲間内が居る選手は「チケットでなければ困る!」という例もあるといい、そのバランスが難しいようでもあった。
また、「試合、練習、チケット捌き含めてプロの仕事だ。みんな昔からやってんだ。それぐらいの甲斐性持て!」という古い世代の会長たちも居る。それはプロボクシングの古き時代からキックボクシングまで、長きプロ興行の習慣である。こんな習慣はまだ延々と続くのだろう。捌ける選手はそんな営業力有る選手で逞しさもあるが、捌けない選手は現役生活が続けられないほど自分で赤字を抱える場合もあることは、何とか改善していかねばならない問題である。
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」