『紙の爆弾』の安部譲二氏による連載が終わった。
一方、『デジタル紙の爆弾』では、「ロス疑惑」の三浦和義氏が取り上げられていた。このデジタル版の記事のとおり、三浦氏の無罪判決は無実とか潔白とか言うべきものであり、証拠不十分により疑わしきは被告人の利益に、というものではなかった。

しかし、この判決の当時、安部氏は無罪になって悔しいと言っていた。これは一部の新聞に談話として掲載された。このなかで安部氏は、三浦氏に100万円取られたと言っていた。これは、「ロス疑惑」について安部氏が週刊誌上で、三浦氏は「ハングレ」であり死刑か無期懲役刑が相応しいと述べたことが、名誉毀損により違法とされた判決のことだ。週刊誌やワイドショーの面白おかしい報道を情報源にして私人に対し決め付けをするべきではない、ということだった。

そして、三浦氏の無罪判決は、安部氏が名誉毀損で敗訴した判決が正当であったことを裏付けるものである。だから、自らの敗訴を不当判決と主張するならともかく、その恨みを引きずり無罪判決に悔しがるのでは筋違いだ。
この安部氏の態度について、当時、三浦氏は批判しており、これは『週刊金曜日』に取り上げられていた。安部氏は刑務所に入ったことがあるので、その辛さなどを知っているはずだが、それなのにどうしてあのような酷いことを言うのかと、三浦氏は疑問を呈していた。

しかし暴力団員であった安部氏が刑務所に入ったのは、無実を叫んでのことではないので立場が異なる。それにしても、自分の発言を省みもせず不当に金を取られたかのように言うことが問題だ。
しかも、三浦氏が言うには、その金を支払ったのは朝日新聞社だった。安部氏の発言は『週刊朝日』誌上でのことだったので、発行元が責任を取った。もちろん、記事を掲載した責任はある。しかし安部氏が週刊朝日および朝日新聞社に迷惑をかけたということもできるはずだ。
それなのに、安部氏のこの態度は卑怯者のすることではないかと三浦氏は批判していた。

そのうえ安部氏は、三浦氏が祝杯をあげ勝訴で得た金でドンペリでも飲んだことだろうと厭味を言ったが、三浦氏は「下戸」だから高級酒で乾杯どころかアルコール飲料を全く飲まない。三浦氏は社交的な人なので一緒に飲食した人は多いが、酒の席でも一切口にしなかった。一時親しかった『噂の真相』の岡留氏もよく一緒に飲み歩いた人の一人だが、三浦氏はソフトドリンクばかり飲んでいたことを、岡留氏もホステスたちも目撃している。

このドンペリ発言は、週刊誌の件と同様に、安部氏が事実を確認しないでいいかげんなことを言う証明となったのだが、それで他人を傷つけてしまうことがあるから問題なのである。

かつて安部氏がテレビのワイドショーに出演したさい、そこで児童虐待の問題がとりあげられたのだが、子供のころに親から虐待を受け続けたため、後遺症により成人してからも気分が悪くなって寝込むことがあるという人の深刻な証言が録画で放送されたのに対し、「大人になっても寝込んでやがるなんて、だらしのねえ奴だなあ」と言ったうえ「ウッシャッシャッシャ」という笑い声を立てて嘲った。

ここで場の雰囲気が一気に悪くなり、司会者が話題を先に進めることでやり過ごしたのだが、これにより安部氏は他人の苦しみや悩みを理解しようとせず、平然と嘲笑する人であることが明らかとなったのだった。
ただし、こんな態度を公然と取れば自分が損をするはずだ。だから、本性は冷酷なのに上辺だけ温厚そうに見せかけている人が少なくない。つまり安部氏の問題は人格ではなく、深く考えずに言ってしまうことではないか。

実際、安部氏を嫌っている人から聴いたことがある。安部氏の人柄ではなく、成長してない頭が嫌いだと言っていた。人柄はむしろ良いと思う。しかし子供と同じだ。子供の頃は、思ったことを、ただそのまま口に出す。そして、どうでもいいことで喧嘩になる。だから、しなくてすむ喧嘩は避けるように、少し考えてから口に出すことを、大人になるまでに学ぶものだ。それでも失敗してしまうことが誰だってあるのに、安部氏ときたら全く学んでこなかったのだろう、と。

このように、安部型の人は実に困ったものである。上辺だけ温厚に装い実は冷酷という人も厄介だが、しかしその本性がバレたら遠慮なく非難できる。それとは違って、安部型の人は責められない。だからこそ困るのだ。

(井上 靜)