NHK経営委員でありながら、新右翼、野村秋介氏の朝日新聞社での自殺を礼賛した追悼文を書いた、長谷川三千子。過去にNHK受信料を不払いしたことを誇る文章を書いていたことを、毎日新聞が見つけて報じた。

長谷川氏の手紙は、月刊誌「正論」2005年7月号、元獨協大学名誉教授の故・中村粲(あきら)氏のコラム「NHKウオッチング」で紹介されている。
卒業式の国旗掲揚・ 国歌斉唱問題を取り上げた05年3月放送のNHK「クローズアップ現代」について、長谷川氏が次のように綴っている。
「本当に酷(ひど)うございましたね。私も生まれて初めて NHKに抗議電話をしようといたしましたらば、すでに回線がパンク状態でございました。ちやうど自動振替が切れましたので、NHKが回心するまで不払ひを続けるつもりでおります」

旧仮名遣いなのは本人の趣味だろうが、「回心」というのは改心と違い、キリスト教で過去の罪を改め神に心に向けることだ。
NHKに対して、キリスト教の神に心を向けろと言うのか。こうなると、野村秋介氏を礼賛したのも、滑稽に見えてくる。
長谷川氏はNHK経営委員である前に、埼玉大学名誉教授で、しかも専攻は哲学。
日本の知性は、これで大丈夫なのかと心配になってくる。

長谷川氏は取材に対し「未納は2か月間で、その後、支払った。支払いの保留をあたかも視聴者の権利のごとく考えていたのは、完全に私の無知によるものだ」とコメントしたという。

もちろん、NHKの受信料を拒否するのは、個人の自由だ。
家にやってくるNHKの集金担当者は、「テレビがあるなら払ってください」と言う。
確かに、放送法第64条ではそうなっている。
だが今やメディアは増え、テレビで見るのはDVD、ケーブルテレビなどもあり、NHK以外の衛星放送もあって、NHKを見るとは限らない。
勝手に電波を流しておいて金をよこせというのは、押し売りと同じで、放送法第64条は現代にそぐわない法律である。
たいていの人々は、そうしたことを理解してNHKの受信料を拒否しているのだが、長谷川氏は「無知」だったという。埼玉大学の名誉教授がである

受信料を取る理由を「特定の勢力や団体に左右されない独立性を担保するため」と、NHKは説明している。
そこで翻って、長谷川氏が野村秋介氏を礼賛したことが問題になるが、NHK経営委員でありながら都知事選で、田母神俊雄氏を応援した、作家の百田尚樹氏のことも思い起こされる。
応援演説で百田氏は、他の候補を「人間のくずみたいなもの」とこき下ろした。
NHK経営委員が特定の候補を応援することが問題にされたが、自分は作家だから言論は縛られない、などと弁明している。
だが、他人を批判するのに「人間のくず」とは、ボキャブラリーが貧しすぎないか。作家なのに。
そもそも作家として自由でありたいなら、NHK経営委員になどならなければいい。

また、籾井勝人会長は、1月25日の就任記者会見で従軍慰安婦を「どこの国にもあった」などと発言。2月12日の経営委員会では「どこが悪いのか。素直に読めば理解できるはずだ」と、発言に問題はなかったかのような態度をとっている。
従軍慰安婦に類するものが、多くの国にあったのは事実である。その中で日本に関しては、あたかも強制連行を伴った特殊なものだったかのように語られ、ジャパン・バッシングの有力なカードになってしまっている。
これに関しては、地道な説明をしていくしかないだろう。
だが、籾井会長は「どこの国にも」として、フランス、ドイツなどの名を挙げ、「なぜオランダにまだ飾り窓があるんですか」とも言っている。
それらの国の人々の怒りも引き入れ、火に油を注ぐ結果となっている。
日本だけが悪いのではないという愛国的発想なのだろうが、かえって日本を不利な立場に追い込む発言だ。
情報を扱う集団のトップでありながら、言葉がどのように伝わっていくのかということに、あまりに鈍感である。

1月30日のNHKラジオ番組「ラジオあさいちばん」で、「原発の再稼働のコストと事故リスク」をテーマに話そうとした、中北徹・東洋大教授が、ディレクターから都知事選を理由にテーマを変えるよう求められ、出演を取りやめたということがあった。
また、NHKのFM番組にレギュラー出演している音楽評論家のピーター・バラカン氏に対しても、都知事選の間は原発問題を話さないようにと局は要請していた。
これらの問題に関して籾井会長は国会で、「都知事選は原発問題が争点の一つになっている」などと説明した。

いったいこれでどうして、「特定の勢力や団体に左右されない独立性を担保するため」の受信料の徴収だなどということが言えるのか。
NHKが「回心」するまで、受信料を支払わない人々が増えるのは、必須。自業自得としか言いようがない。

(渋谷三七十)