1月17日放送の「月にのぼる者~光秀ついに帝に拝謁」で、イッキに朝廷陰謀説が濃厚になった。これは解説に務めなければならないであろう。
本能寺の変の動機の、現在主流となっている説は「四国政策変更説」である。すなわち、長曾我部氏の所領を安堵(四国は切り取り自由)していた信長がこれを撤回し、息子の信孝を総大将に約束違反の四国派遣軍を組織したことによる。
しかるに、光秀は家臣の斎藤利三が長曾我部家の家臣の縁戚であることから、織田家の四国政策の窓口となっていたのだ。
したがって、信長の四国政策の変更は、光秀のメンツを潰すものとなる。
この信長の政策変更の背景には、阿波の三好氏ら長曾我部と対立していた者たちが信長陣営に接近する動きがあった。すなわち、長曾我部氏に四国を全面的に任せるのではなく、両者を調停しつつ同時に織田家への臣従をもとめたのである。信長にとっては、両者の所領を安堵する苦肉の策でもあった。
これが、長曾我部氏(当主は元親)をして、約定違反だと憤慨させる。すでに四国の大半は、長曾我部の手中にあったからだ。光秀は調停に務めるが、長曾我部氏の態度は頑なで、調停は好転しなかった。
そこで、上記の四国派遣軍が準備されたのだ。本能寺の変のとき、この四国派遣軍は摂津の港で船出の準備をしていた。総大将信孝のほかに丹羽長秀、織田一門衆の津田信澄ら、一説には1万5000以上の大軍、鉄甲船9隻をふくむ軍船300隻が準備されていたという。
いっぽう、光秀は四国担当をはずされ、信長の命で中国攻めに苦労している羽柴秀吉の援軍を命じられる。そして信長自身は、京都本能寺に公家衆・堺の茶人たちを招いて茶会。供の者はわずか数十人(明覚寺に嫡男の信忠が500の兵)という、ほぼ無防備状態が生まれる。
これを知った光秀は1万3000の兵で、数日前から熟慮をかさねていた計画を実行する。すなわち本能寺の変の勃発である。
◆光秀は帝に会える立場だったか?
ドラマは終盤にさしかかって、仕掛けが明らかになってきた。
松永久秀が光秀の美濃時代から登場し、志貴山で自決したときに破却したとされる古天明平蜘蛛茶釜(こてんみょうひらぐも)を光秀に託す。この茶釜を手にする者は、天下をになう覚悟がいる、との意味付けが物語を進行させる。
だが、久秀の謀反は今回の大河ドラマで描かれているほど、覚悟のあるものではない。上杉謙信の上洛を見越した謀反が失敗、いや見込みちがいに終ったにすぎない。
そして信長は意外なことに、平蜘蛛をカネに替えるなどと言い出す。本能寺の変の前夜まで、茶道具に執着していた信長の言葉としては無理がある。じつは本能寺の変の前夜に茶会が開かれ、当日も信長は茶会を予定していた。博多商人の島井宗室を招き、宗室の楢柴肩衝(茶入れ)を召し上げるつもりだったのだ。
それはともかく、光秀が正親町天皇に拝謁をたまわる。光秀の官位は従五位下であるから昇殿できず、地下人として庭からの拝謁となった。
帝いわく、「月にのぼろうとする武士たちは、還って来ぬ」と。玉三郎の正親町天皇は、じつにはまり役だ。彼にしかできない役であろう。
拝謁の内容は「天下を夢みた者は死ぬ」との帝の思し召しである。
そして、光秀にこう命じる。
「信長が月にのぼろうとするかどうか、しかと見届けよ」
つまり「信長が天下に破天荒なことをするようなら、その死を見届けよ」
やんわりとした、しかし追討の勅命である。
右大臣とはいえ信長の陪臣にすぎない光秀を、単なる挨拶やご機嫌伺いで三条西実澄が帝に会わせるわけはない。これは信長追討の密勅いがいの何ものでもないのだ。そこを慮らずに、脚本を書いてしまったというのであれば、とんだ不敬である(笑)。時代考証の誤りである。
史実を参考にすれば、すぐにわかることだ。上杉謙信は長尾景虎を名乗っていたときに、二度にわたって上洛し正親町天皇に拝謁している。
謙信も光秀と同じ従五位下だが、関白近衛前久とその従兄でもある十三代将軍足利義輝の推挙によって、幕閣待遇で昇殿しているのだ。
しかも近江にながらく滞在し、三条西家ほかの公卿に多額の土産を積み上げて、帝への忠勤と経済的支援を申し出てのものだ。じっさいに、謙信は関東管領職という東国武家を統括する地位を占めていた。
以上のことから、いずれにしても今回の大河ドラマが無理な設定で朝廷黒幕説となったのは明白だ。畏れ多くも(苦笑)、NHKは禁裏に踏み込んでしまった。
◆やはり無理があった企画
そもそも、この大河ドラマの企画にしてから無理はなかったか。
長谷川博己が演じる、正義と善意のかたまりのような光秀が、史実のように惨めな死(裏切者としての命運)を辿るのであれば、そもそも光秀を主人公に「麒麟(平和のシンボル)」をどう描くつもりだったのか?
たとえば、松永久秀(吉田鋼太郎は、はまり役だ)とともに悪逆を尽くして(史実=イエズス会の光秀評価)最後は殺される、敗者の魅力にでも賭けたほうが良かったのではないだろうか。
光秀の人となりを伝えるものは少ないが、わずかにあるものも、彼への評価は辛らつである。
「信長の宮廷に十兵衛明智殿と称する人物がいた。その才略、思慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けることとなり、主君とその恩恵を利することをわきまえていた。殿内にあって彼はよそ者であり、ほとんど全ての者から快く思われていなかったが、寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた」(ルイス・フロイス「日本史」)。
頭が良くて信長には気に入られているが、ほとんど全ての者から嫌われているというのだ。これで「麒麟(平和)」を呼ぶ者というのは無理があった。
「彼(光秀)は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった」(前掲書)。
すでに夏の段階で、おおまかな作品の史料評価(時代考証)は行なってきたので、ご興味がある方は参照してください。
◎「麒麟がくる」の史実を読む〈1〉 人物像および本能寺の変に難点あり!(2020年8月28日)
◎「麒麟がくる」の史実を読む〈2〉本能寺の変の黒幕は誰だ? 謀略の洛中(2020年9月6日)
◎「麒麟がくる」の史実を読む〈3〉本能寺の変の黒幕は誰だ? 朝廷か将軍か(2020年9月13日)
この中でわたしは、
「長谷川博己はキャリアも演技力も十分な俳優だが、演技巧者であるがゆえにこそ、主役級の華はないと言わざるをえない。彼は名わき役なのである。前半の斎藤道三役の本木雅弘の熱技に、まるっきり呑まれてしまった」
「まるでウラのない善人で、正義漢なのである」
「これでは本能寺の変が、たとえば信長をよほどの悪逆な主君にしないかぎり、うまく描けないのではないだろうか。染谷将太の信長は神がかり的ではないだけに、いまのままでは単なる無能な殿というイメージになってしまう。無能な信長像というのは、NHK大河のみならず初めてではないか」
「そもそも『麒麟(平和のシンボル?)がくる』ためには、悪逆の王(信長)を滅ぼさなければならない。という設定自体、当の光秀が秀吉に滅ぼされてしまうのだから、どだい無理があるというものだ。明智光秀は天海僧正だった説でも採らないかぎり、『戦乱のない世を』というテーマがけっして果たされないのは自明である」と、指摘してきた。
しかし、単に長谷川博己の起用に問題があったのではない。NHK大河は若い主役俳優を起用し、作品をつうじて演技の幅が豊かになる。その成長の過程こそ魅力であった。
近いところでは、2014年の「軍師官兵衛」の岡田准一の好演が挙げられる。晩年の如水時代まで、年輪をかさねるように役を演じきり、岡田は歴史プロパーとしても画面に定着した(NHKのザ・プロファイラー)。
いまのところ、というかもう終わりだが、明智光秀のなかに何ら変化が起きないのである。これでは成長しようにも、ファクターがなさすぎる。
歴代の光秀役では「利家とまつ」の萩原健一の激しい演技が、狂気じみた魅力で記憶されている。やはり、この路線が正しかったように思われる。
◆NHKがめざしたもの
NHKの狙いとして、日刊ゲンダイは以下の「放送作家」の批評を紹介している。
「戦のない世の中を夢見る光秀は、そのためには『誰にも手出しできぬ大きな国をつくることじゃ』と言い放つ道三に心酔し、父母に疎んじられた信長は岳父の道三を頼り、道三の娘の帰蝶はファザコン。つまり、道三をキーパーソンに、光秀が長男、信長が次男、帰蝶がおてんばな妹というような関係なんです。道三の『大きな国』を平らかで豊かな国と考える光秀は、いったんは信長に夢を託しますが、『大きな国』とは自分が天下を意のままにすることだと考える信長と行き違いが大きくなっていくというのが、ここ数話の展開ですよね。そして、もはや戦乱は広がるばかりで、王が仁ある政治を行う時に現れるという麒麟は来ないと悩み、信長を増長させた“長男”の責任として、泣いて馬謖ならぬ、“弟”を斬るという本能寺の変が描かれるのでしょう」(放送作家)。
そして、こうも解説する。
「信長も、“兄”である光秀の思いは痛いほどわかるから、『是非に及ばず』(仕方がない。光秀を恨まない)と言い残して自害したという解釈になるのだろうか。もはやシェークスピア悲劇の世界で、信長役の染谷将太は『(台本を読んで)鳥肌が立ちました』と語っている。(2021年01月10日 09時26分 日刊ゲンダイDIGITAL)。
なるほど、ドラマの序盤で本木道三を看板に持ってきたのは、そういう深遠な意図があったか、である。
だが、これにも無理があるのは言うまでもない。麒麟の権化となるべき光秀が、秀吉に討たれる理由が見当たらないのだ。まさか、秀吉に討たれる前に幕引きをはかるのか。(つづく)
※上述のとおり、光秀の最期がどうなるのか。ハッキリ言えば秀吉に敗れて挫折死か、それともトンデモ説に飛びついて「天海僧正になった」なのか。見極めてから、あらためてダメ出しをしたいと思います。続編にご期待ください。
▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。