原子力規制委員会は、九州電力の川内(せんだい)原子力発電所の安全審査を優先的に進めることを決めている。3月16日、鹿児島市内で約6000人がデモを行い「原発はいらない」と声を上げた。だが、5月にも審査に合格し、夏には再稼働する公算が大きいとも言われる。
原子力規制委員会は、この原発は安全だとお墨付きを与えるのではなく、規制基準をクリアしているかどうかだけを見る、とのこと。事故が起きたときに、安全だとは言ってない、と言える逃げ道を用意しているわけだ。
こんな原子力規制委員会に、地域と日本の命運を託すのでは、福島第1原発の事故から何も学ばなかったことになる。
福島原発事故以前の専門家は、今何をしているか?
原子力安全委員会の委員長であったのが、斑目春樹。
事故の当時、官邸に詰めていたが、彼が「爆発はない」と断言した3月12日に、福島原発で水素爆発が起きた。
それまでも、完璧な原発はできないから、どこかで「割り切る」必要がある、と強調していた。
使用済み核燃料の問題に関しては、こんな言葉もある。
「最後の処分地の話は、最後は結局お金でしょ。どうしてもみんなが受け入れてくれないっていうんだったら、おたくには2倍払いましょ。それでも手を挙げないんだったら5倍払いましょ。10倍払いましょ」
これが科学者の言葉だろうか。
2012年に斑目が委員長を退任すると、『証言 斑目春樹』(新潮社)が出版された。
事故の責任について、問題の“割り切り”発言に関して、こんなことを言っている。
「緊急時に原子炉を冷却するための非常用電源などの手立てが、津波で失われ、全く機能しなかった。そもそも、そんなことは起きるはずがなかった。これまで、そういう割り切りをして、原発は設計、建設されてきました。しかし、その割り切り方を間違ってしまった、それが今回の失敗の本質ではないでしょうか」
福島第1原発は津波によって原子炉の冷却ができなくなる可能性が大きいことは、何人もの識者によって、かねてから指摘されてきた。斑目のこの言葉を、とても真摯な反省と受け取ることはできないだろう。
そして、原子力安全保安院が逃げてしまった、文科省からSPEEDIの情報隠しの責任を押しつけられた、と弁明が続く。
事故直後の3月12日、福島第一原発に向かうヘリコプターの中で、当時の菅総理に「オレの質問にだけ答えろ!」と怒鳴られたり、「こういうことに詳しい東工大の先生はいるか」と尋ねられ、こんな時に学閥なのか、と違和感を感じたことなども書かれている。
今、斑目は、このときの経験を素材として、東大名誉教授の肩書きで講演を行っている。
「原子力に関わる若手に望むこと」というタイトルで、国内だけでなくカナダでも行った。
「専門家は自分だけ」「質問など許されない緊迫した雰囲気」「情報は入らない」「チェルノブイリのようになるのか? など、政治家からひっきりなしに答えにくい質問がされる」
そんな状況の中で、学者としてどう対応すべきか、として、自身の経験を得意満面に語っているのだ。
厚顔無恥とはこのことだろう。
斑目春樹は当時、原子力の世界で、日本で最高の英知を持っていると言われていたのだ。
原子力規制委の専門家たちが、このような人物ではないと、信じることができるだろうか。
(深笛義也)