3月17日、成田空港で旧管制塔の解体工事がはじまった。当時は「ブルジョア新聞」と呼んでいた一般紙から引用しよう。

「旧管制塔を巡っては、1978年3月に過激派が侵入、占拠して管制機器を破壊する事件が起き、開港日が二カ月ほど延期になった歴史がある。『成田闘争』と呼ばれる激しい空港反対運動の象徴的な舞台が姿を消す。」(東京新聞)

「成田闘争」というのは、行政成田市にもとづくマスコミ用語である。当時、建設地名をとって「三里塚闘争」と呼ばれていた。反対同盟の正式名称は、三里塚芝山連合空港反対同盟である。成田市の三里塚地域と山武郡芝山町の住民連合という意味になる。成田空港も当時は、新東京国際空港が正式名称だった。

用語にこだわるのは歴史研究家としての倣いだが、歴史になっていく事物に対しては、口承者も少なくなるので正確を期したいものだ。

 

 

旧管制塔は1971年に建設された、高さ64メートルの当時は最新鋭の建築物だった。黒く塗装された外壁は、すべてが金属製で出来ているような印象を与えたものだ。旧管制塔の老朽化により、成田国際空港会社(NAA)は隣接地に「ランプセントラルタワー」を建て、昨年9月から業務をはじめていたという。

NAAはメディアの質問に「社会的にも非常に大きなインパクトを与えた出来事が起きた場所。成田空港建設にあたっての歴史的な経緯を忘れることなく、これからも皆さまから愛される空港を目指す」とコメントしている。旧管制塔は8月にも完全に撤去される見通しだ。

反対運動に関わった者としては、空港のシンボルでもあった歴史的建造物がなくなるのは、やはり寂しいと言わざるを得ない。

◆コロナ禍で経営危機か

さてその現成田空港だが2020年度の中間決算では、営業収益が前年同期比 73.8%減の332億円。中間純損失は424億円、予想値では当期純損失は783億円だという(2020年度中間連結決算)。

「運営費用等のコスト削減に取り組むものの、営業収益の減少を補いきれず、通期としても民営化以降初めての損失計上となる見込み。」だという。

コロナ禍における航空産業の赤字は深刻だ。沖縄の話だが日本トランスオーシャン航空は、乗客数が前年比5%まで落ち込み、今年度の上半期は43億円の赤字で過去最悪だという。とくに赤字の与那国島航路は存亡の危機だが、島民のかぎられた移動手段だけに廃線にはできないだろう。

成田空港も旅客数の19年度実績4,148万人が、20年度は377万人、つまり3,771万人減、じつに9割減である。

いや、コロナ禍がなくても成田はピンチなのである。羽田(東京国際空港)が9,000万人前後でその半分なのだから、観光ハブ空港としての地位は、完全に羽田拡張で奪われた格好だ(成田は貨物便が主柱だが)。

このままコロナ禍が続けば、存続も危ういのではないかと心配になる。元空港建設反対派の支援者がその経営を心配するのもおかしな話だが、日本を代表する大規模空港建設という触れ込みが、犠牲者を出す流血の惨事をまねいたのだから、しっかりして欲しい、と思ってしまうのだ。

 

 

◆現在に教訓は残せたか

さて、反対運動の当時を振り返って、やはり楽しい闘争だったという実感がいまもある。当時は大変な思いをしていたはずだが、青春の記憶だけにうつくしい。年老いた退役軍人が、軍隊生活を懐かしむようなものかもしれない(苦笑)。

重傷者や死者(関連自殺を入れると、9人)の出る疑似戦争状態だったとはいえ、どこか牧歌的で、少し危険なスポーツをやっていたような感覚がある。東京では深刻だった内ゲバも、三里塚では反対同盟のつよい統制力で、いがみ合っている党派が協力を厭わない。35以上もあった団結小屋の現闘団は、それ自体がひとつのグループのように、力をあわせて活動していたものだ。

闘争が残した「成果」があるとすれば、1994年から行なわれた空港問題解決にむけたシンポジウム、それに続く円卓会議で一応の裁定が行なわれたことだろう。老学者たちの老後の名誉欲的な話し合い調停だったにしても、中核派に自宅を焼かれてもこころざしを変えなかったのだから、その労苦は讃えてしかるべきであろう。

その結果、自社さ政権による正式の謝罪が行なわれた。

その後は、一方的な決定・執行ではなく、話し合いをもとに建設を進めるという、欺瞞的な話し合いであったにしても、闘争の区切りができたのである。

相手が謝ってきたのだから、反対運動の正当性がみとめられた。それは「勝利だ」といえるだろう。そして二分解していた反対同盟はさらに分裂し、それぞれが生活再建のための道をえらんだのだった。

裏取引をして「脱落」した農民、移転に応じて営農だけ継続した「条件派」、部落ごと移転した部落もあった。もちろん徹底抗戦派も残った。支援という立場を明確にするならば、農民それぞれの選んだ道を非難してもはじまらない。

戦後最大の住民運動(農民運動には、なれなかった)が残した成果が、たとえば各地の原発訴訟や大規模開発への司法の裁定、あるいは行政自体が教訓としているのならば、それでいいのではないか。

三里塚での体験は、この通信にも「開港から40年の三里塚(成田)空港」や「三里塚戦記」(「情況」2019年秋号)にも書いているので、若い活動家がわたしのもとに、援農に行った報告をくれることもある。

◎[関連記事]開港から40年の三里塚(成田)空港〈22〉1億円の損害賠償金

現地に後継者があり、無農薬農業や環境問題というキーワードがあれば、三里塚はこの時代にも発信力があるのだと思う。トータルな記録はまだ成っていないが、何冊も本は出ているから行ってみたくなる若者は絶えない。たまには援農に行って、新しいレポートをしようかと思うようになった。


◎[参考動画]旧管制塔が解体へ 占拠事件の元襲撃隊リーダー・警察OBの思い【Nスタ】(TBS 2021年3月17日)

[カテゴリーリンク]三里塚 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=63/

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。3月横堀要塞戦元被告。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2021年4月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道