どんなものだか知ってないと困るので、FacebookやTwitterをやることはやっているのだが、まったく書き込まない。他で自分の書いた記事をリンクするだけだ。
それでも先日、噂に聞く粘着に見舞われた。
福島原発事故でまき散らされた放射能の影響で、飼育していた牛を屠殺せざるを得なくなったり、移住を余儀なくされたり、あるいは自殺に追い込まれた、福島の人々の苦境を追った映画『遺言』を紹介した記事をFacebookでリンクすると、次のようなコメントが付いた。
「全廃にするにしても、結局、その道の専門を極めた人間に頼るしかないわけで・・・・」
なぜ、専門家の話が出てくるのかよく分からなかったが、これはその通りだ。
次のように返す。
「専門家は責任があるのだから、廃炉に携わるべきでしょうね」
そうすると、次のように来た。
「廃炉にしろ、再稼働にしろ、命令されたことに従うだけ・・・専門家が自分で決断ができるわけない」
あれっ? 全廃になった場合の専門家の役割を言っているのではなかったのか?
そりゃあ、廃炉や再稼働を専門家が決断できるわけはないと思ったが、様々な専門家がいる。
そして、次のように書いた。
「かねてから、原発の危険性を指摘してきた専門家はいました。そして安全審査に関わる専門家が、それらの指摘を無視して『安全だ』として原発を動かしてきたから事故になったのです。原子力規制委員会の専門家が、良心に従って、規制基準に達していないという判断を下せば、廃炉に向かうでしょう」
今度は、次のように来た。
「あのね・・・残念なことに、『良心』という言葉の中身に共通認識というものは、日本の社会においては存在していないのよ。だから、良心というものに期待しては、結局は話は進んでいかないだろうな・・・と私は思うのよ。それから、しつこいけれど、専門家が主導に立っていないから、政府の決定に従うしかないのです」
これには考え込んでしまった。もし、専門家が政府を主導するようなら、かえって国のあり方としてはおかしなことになる。
第1、専門家の話を出されたからそれに答えているだけで、ことさら専門家に期待するなんてことをこちらは言ってはいない。
「おや。専門家に頼るしかない、から、専門家は何もできない、に短期間でご主張が変わりましたね。人の言葉を誘導して叩くという、ありがちな論争術ですね。そちらが専門家の話を振ってきたから、専門家に何が行いうるかをまじめに答えたんですけど、バカを見ました」
もう終わりかと思ったが、1週間ほどして次のが来た。
「返信が遅くなりました。専門家しか、廃炉することはできないでしょ?しかし、専門家はそのように指示を受けていない。専門家が親戚にいるので、ネットで動向を確認しています(彼女の母親でさえ、本人と電話での会話は不可能ほどの過労状態)が、現在はガバメントがそのように判断しているので、自分はこのような仕事をしています・・というような発言をしています。ガバメントの下で働く限り、ガバメントの決定に従うのが彼女の仕事・・・。ガバメントの決定に何かを言えるほどのポジションではないのだから、彼女を責めることはできないです。彼女にあなたの期待するところの『良心』がないわけではないけれども、あなたの期待する『良心』を発揮してガバメントに抵抗はできないことを責められません。彼女の仕事を責めるのであるならば、彼女が大学生であったころから今に至るまでの間に50数基もの原発を建築したことを見逃した我々にも責任があることです。実際のところ、ガバメントが海外へ技術の輸出をしようとしており、その仕事を担当させられれば、それに従っているというのが現状。廃炉の仕事を命令されておらず、海外への技術輸出というのが今の彼女の仕事のようです。・・・で、責めるのは専門家ではなく政府でしょ。違いますか?」
ガバメントというから、オートマチック拳銃のことかと思ったが、どうやら政府のことらしい。スカートやビール、テレビ、パソコンなどをカタカナで書くのは当たり前だが、なぜ政府をガバメントとカタカナで書くのか? 政府とは言えない政府と揶揄する意味なのだろうかと、それだけで3時間も考えてしまった。
福島第一原発では廃炉の作業が行われていて、それに従事している専門家がいる。
彼女の親戚の専門家は別の仕事に従事しているようだが……。
原発で行われているデータ改ざんを内部告発したり、専門知識を活かして原発の危険性を指摘する専門家もいるわけだが、誰もがそんなことができるわけではない。責める必要もないだろう。
そもそも私の記事では、「これは、日本人すべてが受け取るべき『遺言』だろう」と書いたのだ。
「人の発言をよく読んでから書き込んでください。よろしくお願いします」
ずいぶんと考えて対応したのだが、何も生み出さないやりとりであった。
(深笛義也)