ここ数年の法政大学では、大学当局による学生運動の取り締まりと警察の介入で問題になっている。これで思い出すのが日本大学のことだ。

かつて日大では、二億円もの使途不明金が発覚したことがきっかけとなり、学生たちが大騒ぎした。自分たちが納めた学費が行方不明というのでは黙っていられない。それに対して「反憲学連」と称する学生の集団が襲いかかった。これは憲法の人権と平和と民主に反対する学生の連合との意味で、体育会系の御用学生や神道系サークルなど右翼の寄せ集めというのが実態だった。また、大学当局に雇われた警備員たちが学生運動の取締りに乗り出したが、ここには暴力団の経営する会社も含まれていた。これは学生たちから「関東軍」と呼ばれていた。そして学生の集会やデモで多くの負傷者出る事態となった。ここへやってきた警官が静止するかと思ったら逆で、学生たちに暴力をふるっていた側に加勢するという異常さで、手が回っていたことは明らかだった。

また、近くにある明治大学の学生による目撃証言から、日大のひどさが証言された。
そもそも日大はマンモス大学として知られ、学生の数が圧倒的だ。だから団結されては一大勢力となって脅威である。そこで、日大では「建蔽率百パーセント」と揶揄される構造にして構内で集会などができないようにしてしまい、また検問により学生証を提示しないと入れないうえ、同じ日大生でも他の学部の学生は締め出し、とにかく全学生が纏ることを恐れての措置がとられていた。

これらは、八十年代前半に出版された日大学生ジャーナリスト会議編『日大を許さない』に詳しく、これが話題となったことも影響してか、当時筑紫哲也編集長の『朝日ジャーナル』が体験談の連載を始めた。

この当時、この問題を知る日大の学生たちは、いったいこの大学はどうなっているのかと呆れ、また、無法を取り締まるはずの警察の無法に憤り、世の中が全体的に狂っているのではないかと言っていたものだ。

しかし、醒めている学生も多かった。しょせんは日大ということで、文句があったらもう少しマシな大学に入ればいいのだと。この醒めた学生たちに、まるで無関心の学生たちを加えると、おそらく圧倒的多数となるであろう。

この点では、法大がマシな大学だったはずだ。しかし、今時流行らない学生運動は迷惑行為としか考えない人たちが、学生にも教員にもいる。また卒業生に聞くと、今回の法大で弾圧を受けている学生たちのなかには中核派がいるため、あまり共感を受けられていないのも当然だと言う。

もちろん、大学当局のやり方は汚く、実際に弾圧を受けた学生の主張は裁判でも認められた。ここではあの鈴木弁護士の尽力もあった。都知事選挙ではマック赤坂にも負けてしまったが、本業では成果を出したのだ。

それに、党派や思想信条とは別にして、大学当局のやり方は問題であると考える多くの支援者が、学生に差し入れや寄付をしていた。この筆者も、知り合いの無党派である弁護士が支援していると知り、協力していた。霞ヶ関にある裁判所前での情宣活動で一緒にビラを配ったりもした。ここで学生たちの運動の基調となっているのは、現在の新自由主義と格差社会によって、大学当局が一部の特権階層を相手にした商売を志向しはじめたので、これに反対し、教育権および学問の自由を守ろうという主張であった。

今でも、法大の中は威圧的な巡回がされていて、これは日大の「関東軍」を連想させるものだ。ここまでしなければならないのか疑問である。

だいたい、昔から変な学生が変な活動をするために大学に入学してくることはよくあったことだ。学生運動がとうに廃れた時代にも、早稲田大学のレイプサークルとして悪名が高いあの「スーパーフリー」の中心人物は、早稲田を卒業してから他の学部に入学してさらに活動していたし、これと同じように、かつて学生運動が盛んだった当時は、赤軍派などの過激派たちが、その活動をするため学生運動が盛んな法政や同志社を渡り歩くようにして入学していて、その中には実にタチの悪い者がいた。

そうした連中から学内の秩序と安全を守る必要があると言えば一定の支持はされるだろうが、しかし、そうした連中とは大違いの真面目な人たちがいた。それが、実際に会った法大の例の学生たちへの正直な印象である。また、逮捕された学生の母親が裁判所に来て抗議をしていたが、その話を聴くと、息子が過激派だったら叱って止めさせるけれど、そうではなく、まっとうな主張を立派にしていると解かったから、誇りに思い応援していると言っていた。

そもそも、学生の活動を取り締まるというのは筋違いであるうえ、秩序を守るとの観点からも有効的とは考えられない。

この問題に限らず、何とか細胞の騒動でも感じることだが、どうもアカデミズム全体が、何か大いなる勘違いをしていると思えてならない。

( 井上 靜 )