そもそも、国も福島県も、避難指示区域以外からの住民避難に消極的だった。口では「避難者いじめはやめよう」などと言いながら、「避難の権利」を認めて来なかった。
福島県災害対策本部が2011年7月に発行した「今、子どもたちのためにできること~放射能から子どもたちの心身の健康を守るために~保護者の皆様へ」では、「地表には放射性セシウムが沈着していますが、空気中の放射性ヨウ素や放射性セシウムの心配はありませんので、風が強くほこりが舞うようなときを除いて、散歩、洗濯物の外干し、エアコンの使用、部屋の換気、半袖を着るなど、日常生活には影響ありません」と「安全安心」を説いた。
福島県広報誌「うつくしまゆめだより」特別号(2011年8月1日発行)には、こんな表現すらあった。
「今回、原発事故の被災地として『フクシマ』の名は世界中の人々の心に刻まれました。しかし、この災害を乗り越える姿は、被災したことと同じくらいの驚きで世界に受け止められるはずです。ピンチをチャンスに変え、世界に誇れるふくしまとなることを信じて、前を向いて歩んでいきましょう」
ピンチをチャンスに変える。つい最近も似たような言葉が政権内部から聞えて来たことがあった。中日新聞によると自民党の下村博文政調会長は5月3日、改憲派のウェブ会合で「日本は今、国難だ。コロナのピンチを逆にチャンスに変えるべきだ」と述べている。被曝リスクもパンデミックも、チャンスに変えるような事態ではないことは言うまでもない。
福島県は震災・原発事故から丸5年の2016年3月12日、全国で配られる朝刊に全面広告を出して、こうアピールした。
「避難区域以外のほとんどの地域は、日常を歩んでいます」
こうして、初めから「避難の権利」は否定され「出て行くな」と言われ続けて来た。福島県立いわき総合高校の石井路子さんは、雑誌「シアターアーツ」47号(2011年6月25日、国際演劇評論家協会日本センター発行)の中で、次のように綴っている。
「できることなら若い世代は福島から出て、放射線のない世界で生活するべきだと私は考えていた。けれどもそうはならなかった。保護者の仕事の関係、経済的な理由、離郷への拒否感、様々な理由で子どもたちは避難先からこの地へ戻ってきた」
「また、学校の早期再開が避難していた子どもたちを呼び寄せることになった。被曝のリスクを回避させたい。なのに毎日放射線の中を投稿させているジレンマ。国は『直ちに健康に影響はない』と言い続け、学校はその方針に従わざるを得ない。『安全だ』と繰り返されたことで、マスクもせず、雨にぬれることにも躊躇を示さない無防備さ。低線量被曝のリスクについて何の説明も受けていないのだから当然だろう」
この動きは福島県に限らず、隣接する宮城県丸森町も2011年3月22日の時点で「3月20日現在、宮城県内における空間放射線は、健康に影響を与えるレベルではありません」、「3月21日に東北大学が町内で測定した1・48μSv/hは、日常生活を行ううえで特に影響を与えるものではありません」と町民に周知している(「3月11日に発生した東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故に関する情報」より)。
「出て行くな」の次は「戻って来い」だ。福島県の職員は、区域外避難者への住宅無償提供打ち切りが決まった頃から「県内における除染が進み、帰還が可能な環境が整ってきている。そもそも大多数の県民が避難していない」と盛んに言いだした。瀬戸大作さんが述懐する。
「福島県議会の各会派を訪問したが、共産党と立憲民主党の一部を除いて、皆一様に『福島に帰ってくれば良いじゃないか』と言う。県議のほとんどが避難者支援継続に反対。福島県選出の野党系国会議員にも会いに行ったが、同行した区域外避難者に向かって『もう帰って良いっぺ』と。都議会の議員たちにも『福島県の県民感情を考えると、区域外避難者だけを支援するわけにはいかないんです』、『自力で国家公務員宿舎を退去した人たちとの公平性を考えたら駄目です』と言われた」
2018年7月11日の参議院「東日本大震災復興特別委員会」。参考人として出席した森松明希子さん(郡山市から大阪府に避難)は、石井苗子参院議員から「何があったら戻ろうかというお気持ちになっていただけますか」と問われ、こう答えた。
「何があったら戻ろうかという御質問自体が、戻ることが前提とした御質問だというふうに私は受け止めてしまう」
「先生の御質問は、何があったら帰ってくれるのかではなくて、どんな被曝防護を考えましょうかという御質問だったらうれしい」
福島県内の首長も「避難者を戻らせる」ことが前提だった。
前福島市長の小林香氏は当選直後、「自主的な避難による人口流出への対応として、県外に避難されている方々に対し、福島市からの情報提供をもっとこまめに行っていく必要がある」(「東北ジャーナル」2014年3月号)と述べ、2017年2月の毎日新聞インタビューでは「当然、自主避難者の方々には戻っていただきたいが、強制するわけにいかない」と語っている。
国も同じだ。「第三文明」2018年3月号に掲載された浜田昌良復興副大臣のインタビュー記事では、「故郷・福島へ戻る被災者にも、県外で自主避難を続ける被災者にも、私たちは引き続き支援を惜しみません」などの美辞麗句が並べられた。
「原発事故直後には放射線に関する十分な情報が届かなかったわけですし、当時の政権のあいまいな説明は人々に大きな不安を与えました。震災から6年以上も他の地域で暮らしていれば、福島に帰りにくい方がいるのもうなずけます」
「2015年8月に改定した『子ども被災者支援法』の基本方針で、福島県外へ自主避難している方々にも支援を続行することを決めました。公営住宅に円滑に入居できるように入居要件を緩和したり、一部の自治体では自主避難者への優先入居枠を設けています。福島県内外で民間賃貸住宅に入る人には、家賃補助制度も作られました」
だったらなぜ、いま〝追い出し訴訟〟などという事態になっているのだろう。「戻って来い」一辺倒で全く寄り添って来なかった結果では無いのか。(終わり)
▼鈴木博喜(すずき ひろき)
神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。