当社が出版した「M君リンチ事件」(カウンター大学院生リンチ事件、しばき隊リンチ事件)関連出版物4冊と「デジタル鹿砦社通信」の記事について 一審(大阪地裁)では、李信恵の主張を一方的に認め、私たちに賠償金165万円と「デジタル鹿砦社通信」の一部削除を命じた不当判決に対して、鹿砦社は大阪高裁に控訴していました。この控訴審第1回弁論が、5月25日午前10時、大阪高裁で開かれました。

大阪地裁による不当判決のあと、論理的整合性のある判断を求め、私たちは、全智全能、総力を尽くしました。多くの方々が快く協力してくださいました。

弁護態勢は、当初からの大川伸郎弁護士に加え、元裁判官(大阪高裁にも勤務経験のある)で「日本裁判官ネットワーク」の中心メンバーとして司法を内部から変えようと長年にわたり献身された、良心的法曹人の象徴的な存在、森野俊彦弁護士に代理人として加わっていただきました。

次いで「控訴理由書」と共に「公平、公正で慎重な審理を求める要請書」を法曹、言論関係の専門家を中心に31名の皆さんより頂き、大阪高裁へ提出いたしました。

そうして心理学者・矢谷暢一郎先生(4月20日付けでニューヨーク州立大学名誉教授に任命)の「意見書」、また刑事事件でも数々の精神鑑定実績のある精神科医・野田正彰先生の「精神鑑定書」、さらには取材を手伝ってくれたジャーナリスト・寺澤有氏の「陳述書」、リンチ被害者M君の「陳述書」、加えて控訴人鹿砦社代表・松岡の「陳述書」などを提出しました。

これまでの判断基準では私たちの主張が裁判所に受け入れられないのではないか、と思慮し、松岡、寺澤氏、M君の証人申請も行いましたが、大阪高裁は「陳述書で事足りる」として、いずれも却下されました。

一審判決は、暴力を容認しリンチに加担する判決でした。M君は1時間近くにわたる殴る蹴るの凄絶なリンチによって記憶も曖昧になる中で、李信恵が出合い頭に「なんやねん、おまえ! おら!」とM君の胸倉を摑み(この事実は本人の証言で明らかです)殴り掛かりましたが、その最初の一発が「平手」か「手拳」かに異常に拘泥し、M君の記憶が変遷していることを理由に「信用できない」として李信恵の主張の全体を認めるという、まさに「木を見て森を見ない」判断となりました。この一部分で全体を判断されてはたまったものではありません。地裁の裁判官も、1時間ほどリンチを受けたらどうや、とさえ言いたくもなります。50発も60発も殴られて、正確に記憶している人などいないでしょう。

M君は一方的にリンチに遭い、この間、李信恵らは悠然とワインをたしなみ談笑するという修羅場でした。挙句に“名台詞”となった「死ぬんやったら店の中に入ったらええんちゃう」と言い放ち、リンチが終わるや、師走の寒空の下にM君を放置し立ち去っています。M君は必死でタクシーを拾い帰宅しましたが、血まみれのM君に驚きタクシーの運転手は料金を受け取らなかったといいます。

リンチ直後のM君の悲惨な顔[左]とこれに倣ってその後、ネットで流布された画像[右]。筆舌に尽くし難いネットリンチ! ここまでくると犯罪だ!

リンチ後になされたセカンドリンチの一例。「反差別」とか「人権」とかうそぶく者はここまでやるのか

◆リンチ被害者M君と出会って5年──

私たちがM君と巡り会ったのはリンチ事件から1年余りも経っていましたが、李信恵や彼女の周辺は事件の隠蔽を図り、それは成功するかに見えました。しかし、悪事は必ず発覚します。私たちは偶然にこの事件を知り救済を求めてきたM君に対して、救済・支援と真相究明に関わることにし、それから5年余りが経ちました。断ろうと思えば断れたかもしれませんが、この時の私の選択は間違いなかったと今でも思っています。

鹿砦社は特別取材班と共に地を這うような徹底した取材により、これまでに6冊の出版物にして世に問いました。マスメディアが李信恵を、あたかも「反差別」運動の旗手であるかのように表面的な虚飾を報じ、しかし凄惨なリンチ事件を報じない中、私たちの努力は、心ある少なからずの方々の琴線に触れ共感を得ることができた、との感触が確かにあります。

控訴審は一回結審となりました。私たちは大袈裟かもしれませんが、死力を尽くしました。また一審判決の誤判部分も明らかにしましたので、基礎的な読解力と論理に立脚すれば、即日結審であろうと、私たちに不利な判断はないものと信じます。もし敗訴があるとすれば、一審同様、法務局や大阪弁護士会がイベントの講師として招く李信恵に忖度した場合でしょう。

典型的な村八分行為「エル金は友達」活動。これでM君は精神的に滅入ったという

同上

これだけハッキリ言われるとは……。これをツイートした呉光現は某キリスト教組織の幹部。当然抗議したら腰砕けになった

私たちが問いかけたのは、差別の根源に関わる問いです。表層は若者に対するリンチ事件でありましたが、その深層にはさらに深刻な民族差別(在日コリアンに象徴的な)が横たわってはいないか? このことは何度でも繰り返したいと思います。私たちが取材を通じて知り合った在日コリアンの方々は、「差別」や「人権」を弄ぶ似非反差別主義者を強く批判され、李信恵やコリアNGOセンター幹部らのリンチ事件への狡い対応が、逆に在日コリアン全体が狡いという悪いイメージを増幅、拡大すると言われました(しかしみな報復を怖れ表立っては言えないと忸怩たる表情で語られました)。

詳しくはいずれ「デジタル鹿砦社通信」や続編出版物などで報じたく思っています。

判決がどうなれここで一区切りと言ってよいでしょう。これまで陰に日なたに応援していただいた皆様に深く御礼申し上げます。私も、特別取材班の中心メンバーたちも大阪地裁における不当判決以降、全力で突っ走ってきました。正直25日の期日のあとは、若干の疲れが出たことも事実です。

私はこの件が、きっちり片が付くまでは引退しません。引き続きご注目とご支援をお願いいたします。

【追記】傍聴に、リンチに連座した伊藤大介が来ていました。わざわざ関東から来たようです──彼は保釈期間中だと推察されますが、そうであれば移動制限はないのでしょうか。一審の裁判終了後、李信恵らと出掛け深酔いして深夜極右活動家を呼び出し暴行に及び事後逮捕→起訴→保釈、現在横浜地裁で非公開の争点整理が数回なされたとの噂を聞きました。

伊藤やしばき隊・カウンター界隈は箝口令を敷いているようで、その後の経過が判りません。ふだん饒舌な神原弁護士も一切ツイートしていません。一度のりこえネットの「NO HATE TV」で神原弁護士や、安田浩一、野間易通らは「伊藤の事件を伊藤が被害者であるヘイトクライムだ」と語っているのですから、無罪を確信するのであれば広く社会運動、反差別運動に於いて、きちんと公開し報告すべきでしょう。

伊藤の行為の司法的な処罰は、まだ結果が出ていないようですが、裁判が終わって飲み歩き、酒の勢いで気に食わない者を呼び出し暴行を加える──M君リンチ事件と同じ行動により事件が起こったことは間違いないのですから。蛇足ながら今回は、幸か不幸か非常事態宣言で飲み屋は営業していませんでしたが、果たして伊藤は何事もなく神奈川県平塚市の自宅に戻ったでしょうか。

昨年11月24日の一審本人尋問のあと同日夕方のSNS。これから数時間後の25日未明、伊藤らは極右活動家を呼び出し暴行、後日逮捕される

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 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

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