今から16年前の2005年7月12日早朝、母親が新聞を持って血相を変え、私が目覚めようとしているところにやって来て、「あんたが逮捕されるみたいよ」と言い、眠気眼で朝日新聞朝刊の一面トップを見ると「出版社社長に逮捕状」の文字が躍っています。と、神戸地検特別刑事部の一群が、甲子園球場の近くに在る私の自宅を襲いました。家宅捜索が始まりました。
おそらく、メディアのカメラが林立し多くの記者らが取り囲んだ家宅捜索の異様な光景を見た人は驚いたことでしょう。自分の逮捕を新聞で知るという、笑うに笑えない経験をしましたが、これから悪夢の日々が続くことになります。
◆神戸地検と朝日新聞が仕組んだ茶番劇
元検事の話では「風を吹かせる」という言葉があるそうです。検察が特定のマスコミにリークし世間を驚かせ話題にするということのようです。
しかし、私たちの出版社のような地方小出版社に、一面トップを飾るほどの値打ちがあるのかと思うのですが、刑事告訴した者、検察権力、朝日新聞などに思惑があり、それが一致したということでしょう。刑事告訴した警察癒着企業(旧アルゼ、阪神球団)の強いプッシュがあったことが窺えます。
当時のアルゼの社長は警察キャリアでした。アルゼはパチンコ・パチスロメーカー大手のジャスダック上場企業、阪神球団も、あまり知られてはいませんが、兵庫県警の暴対幹部から下部警官まで多くの警察出身者の天下り企業でした。
逮捕後、192日間という予想以上の長期勾留で身体的、精神的にも参りました。逮捕されたのは7月、保釈されたのは翌年の1月20日でした。このかん、本社は閉鎖・撤退を余儀なくされましたが、ただ一人残った中川志大(現在取締役編集長)の踏ん張りで“徳俵”に足を残すことができました。
◆「人質司法」は今も変わらない
「人質司法」の弊害は当時から指摘されていましたが、16年経った今でも変わっていません。容疑を認めなければ釈放されることはありません。認めたら認めたで、釈放はされますが、裁判では不利になります。
私は公判ごとに3度保釈請求を行いましたが、ことごとく却下、一番ショックだったのは12月の公判後の保釈請求が却下になったことで、これで拘置所で越年し正月を迎えることが決定したからです。理由は「証拠隠滅の恐れ」です。
最近、カルロス・ゴーンの弁護人の高野隆弁護士の、その名もずばり、『人質司法』という本が出版されましたが、裁判所が「人権の砦」だというのであれば、こんな反人権的で人間を身体的、精神的に痛めつけ追い込む「人質司法」は改善すべきでしょう。
◆神戸地検と連携し“官製スクープ”を展開した大阪朝日社会部・平賀拓哉記者は私との面談を拒否するな!
本件“官製スクープ”を神戸地検と連携し展開した大阪朝日社会部・平賀拓哉記者は、その後一時中国瀋陽支局長を務めた後(10周年の際、意見を聞こうと探し回ったところ中国に渡っていました)、大阪社会部司法担当キャップに就いています。
昨年、15周年ということで何度も面談を申し込んでも、逃げ回っています。私は当事者中の当事者ですよ、あの“官製スクープ”で会社も壊滅的打撃を蒙り、私自身も192日も勾留され有罪判決も受けました。
15年経ち私怨も遺恨もありません。ただ、“官製スクープ”の裏側を直接聞ければいいだけです。
日本を代表する大手メディアのジャーナリストなら、堂々と会い、私と対話せよ! 私の言っていることは間違っていますか?
◆私たちを地獄に落とした者らの不幸と教訓
私たちを地獄に落とした者、旧アルゼの社長・阿南一成、同創業者オーナー岡田和生、神戸地検特別刑事部長・大坪弘道、同主任検事・宮本健志……「鹿砦社の祟りか、松岡の呪いか」と揶揄される所以ですが、その後、再起不能なまでのどん底に落ちています。
16年前、社会的地位も名声も、私などと比較するまでもありませんでした。
「因果応報」──人をハメたものは必ずハメられるということでしょうか。
保釈された後、刑事(懲役1年2月、執行猶予4年の有罪)、民事(600万円の賠償金)共に裁判闘争を闘いましたが、最終的に敗訴が確定しました。特に民事で、一審300万円の賠償金が控訴審で600万円に倍増したことはショックでした。刑事で有罪判決が出ていましたので、これを見て民事の控訴審判決を下したとしか思えません(刑事と民事は別というのはウソです)。
しかし、私たちは、それでも残ったライターさんや印刷所など取引先のご支援により、奇跡的ともいえる再起を勝ち取ることができました。ともかく一所懸命でした。
ちなみに、神戸地検は製本所(埼玉)や倉庫(埼玉)、取次会社、関西の大手書店などを訪れ事情聴取を行っています。ふだん「言論・出版の自由」を声高に叫ぶ取次会社には頑と拒否して欲しかったのですが、協力に応じ資料も提出しています。
一方、阿南、岡田、大坪、宮本らは、栄華に酔い、裏でよからぬことを企てていたのでしょう、不思議と次々とスキャンダルに見舞われ事件に巻き込まれ、地位も名声も失い再起不能な状態にまでになっています。お天道様はお見透しです。
ところで、私たちはここ5年余り、「カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)」の被害者支援と真相究明に関わってきました。リンチ被害者M君が加害者らを訴えた訴訟はすべて終結しました。当社関係では来る7月27日に対李信恵訴訟控訴審判決を迎えます(もう1件係争中)。どれも満足のいく判決内容ではありませんし、被害者M君は満足のいく賠償金も得られず、大学院博士課程を修了しながらも希望に沿わない仕事で糊口をしのいでいます。他方加害者の一人、李信恵は法務局関係や行政などにも招かれ講演三昧―─なにかおかしくはないですか? M君がかわいそうです。
しかし、「鹿砦社事件」といわれる、「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧で、あれだけペシャンコにされても、自分で言うのも僭越ですが、愚直に頑張ったことは確かです。愚直に頑張っていれば、必ず報われることを思い知りました。一方で事件を画策した者らは上述したとおりです。弾圧は苦しかったけれど、この事件で得た最大の教訓です。
つまり、今は李信恵らは、リンチ事件を大手マスコミの力を得て乗り切り、「反差別」運動の旗手のように栄華に酔っています。私にしろM君にしろ、悔しいですが、社会的地位も名声も李信恵には及びません。私が法務局関係や行政などに招かれ講演することなどありません。
しかし、鍍金はいつか必ず剥げます。あれだけ卑劣で凄惨なリンチに関わった者が、大手を振って、まことしやかに講演するなどということは、常識から言って考えられませんし、あってはならないことです。