鹿砦社がツイッター上で李信恵から、散々な罵詈雑言を浴びせられたため、仕方なく名誉毀損による損害賠償を求め提起した裁判の終結直前になって、李信恵側は「反訴したい」と主張し出した。裁判官はそれを認めず、別の訴訟として李信恵が原告となり、鹿砦社を被告として訴えた民事訴訟の一審(大阪地裁)判決は、あろうことか165万円の賠償金と、本通信記事の一部削除を命じる〈不当判決〉だった。当然われわれは上級審の大阪高裁に控訴し、その判決をいよいよ7月27日に迎える。(控訴人=株式会社鹿砦社、被控訴人=李信恵)

 

因縁の大阪地裁/高裁

◆不可解な判決の連続に首を傾げる

再度強調しておかなければならないが、この一連の裁判を初めに提起したのはわれわれ鹿砦社であり、その訴訟で一審(大阪地裁)、控訴審(大阪高裁)ともに李信恵の不法行為を認定しわれわれは勝訴しているのだ(上告を取り下げ確定)。にもかかわらず、不可思議な別訴に対し、大阪地裁は数々の事実誤認と、思い込みとしか考えられない筋の通らない理屈を根拠に165万円もの賠償金と本通信記事の一部削除命令を内容とする判決を下したのだ。

「カウンター大学院生リンチ事件」とか「しばき隊リンチ事件」といわれる「M君リンチ事件」に関係する訴訟には、純粋な司法判断とはどこか異なる、不自然な“もや”のようなものが常に付きまとっている。政治的な背景があるのではないか、とすら考えざるをえない判決の連続や(このかん和歌山カレー事件再審で話題の元大阪高裁判事の生田暉雄弁護士によれば「報告事件」というものがあり、これは最高裁からの指図で、これに指定されると、どうあがいても勝てない訴訟があるとされ、当初はそんなバカなと思いつつも、こうも不当判決が続くと真実味を実感する)、マスコミの恣意的な報道管制。本来だれにでも使用権限があるはずの司法記者クラブ(大阪地裁・高裁の中にある記者クラブ)からことごとく締め出され、一度も記者会見を開かせてもらえていない現実。これらはやはり“何らかの背景”なしに起こりうる事象ではない。

本人尋問で大川弁護士の追及に答えきれず涙ぐむ仕草で裁判官の心証に訴える李信恵(画・赤木夏)。後ろに代理人の神原・上瀧弁護士。2020年11月24日、大阪地裁で。この後、傍聴に来ていた伊藤大介は深夜暴行・傷害事件を起す

李信恵の「謝罪文」(全7ページの内の2ページ)。のちに撤回したことに李信恵の人間性が表われている

 

リンチの是非を問うた人に開き直って恫喝する李信恵のツイート

◆われわれは死力を尽くした! 

そういった背景の中、一審の大阪地裁は、上記の通り不当判決を下したのであったが、控訴にあたり、われわれは死力を尽くした。まず元裁判官(大阪高裁にも勤務)の森野俊彦弁護士に弁護団に加わっていただいた。『週刊金曜日』によれば、「裁判所の内外で発言を続けた裁判官は、森野俊彦氏しかいない」とされ、失礼な物言いながら、当初予想した以上に優れた方であることがすぐに判った。従前より一連の訴訟を担当していただいている大川伸郎弁護士、森野弁護士を中心に何度も打ち合せを行い、精神科医・野田正彰先生にM君の「精神鑑定」を行っていただき、ニューヨーク州立大学名誉教授で心理学者の矢谷暢一郎先生からも海の向こうから「意見書」を頂いた。いずれも重厚な内容である。

そして地裁判決が素人目にも粗雑であって(例:証拠として提出してある書籍の中にある人物の電話取材を掲載しているが、判決文では「取材をしていない」と断言している。裁判官はろくろく証拠に目を通していないのだ)、重要な事実認定に妥当性を欠き、判決全体が恣意的な内容であることを「控訴理由書」、およびこの補充書で指摘した。さらには、われわれの委託を受けて取材に飛び回ってくれた、ジャーナリスト寺澤有氏の「陳述書」、さらには鹿砦社代表・松岡の渾身の「陳述書」など、これまでになく力を込めた。

勝ち負けは別として、これだけ衆智を結集した。果たして大阪高裁が、これらの知見を越える判断を示すか、興味津々だ。

大阪地裁判決前に、まさかこのような〈不当判決〉が下されるとは、われわれは予想だにしていなかった。だから、控訴審に向けては限られた時間の中で弁護団の先生にはかなりの無理をお願いし、われわれも死力を尽くした。

これ以上の証拠や、地裁判決を弾劾する法的哲学、論理は探求しようがない、といえるところまで「控訴理由書」、この補充書は研ぎ澄ました。野田正彰先生、矢谷暢一郎先生のご尽力には感謝に堪えない。

論理的にわれわれは、負けるはずはないと確信している。しかし、裁判所は証拠と論理を揃えても、一般人の「市民感覚」から遊離した判決を少なからず出すことがあることも知っている。

李信恵の「名言」の数々(『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビアより)

◆7・27控訴審判決に注目を!

繰り返す。われわれは死力を尽くした。当然地裁判決破棄の判決を期待するが、判決の如何に関わらずできうることはすべてやり尽くした。判決の如何を問わず、「やれることはすべてやり切った」との想いが強い。

だから、大阪高裁には“真っ当”な判決を出してもらわねばならない。7月27日(火)13時15分から大阪高裁(別館)82号法廷で判決言い渡しが行われる。猛暑の中であるが、関西在住の方で都合のつく方は傍聴に結集を! 判決は、結果の如何にかかわらず当日速報を打つ予定だ。圧倒的な注目を! 

 

自ら泥酔したことをツイート。常識的に考えれば、1升近く飲んで泥酔しないわけはない

ちなみに、集団リンチの被害者M君は、いまだにリンチの後遺症に苦しんでいる。一方で、加害者グループの一人として実際にリンチの現場に居合わせ、1時間ものリンチを見聞きしつつも止めもせず、救急車やタクシーを呼びもせず、師走の寒空の下に放置して立ち去った李信恵は何の反省もなく、最近も(コロナ禍で少なくなっているとはいえ)各地の「人権団体」や行政などの招聘で講演旅行に回っている。

李信恵は、この時代「反差別」の象徴、あるいは旗手たり得る人格と思想を備えているであろうか。「日本酒に換算して1升近く飲んだ」(李信恵本人のツイート)と平然と公言するほど泥酔した挙句、集団リンチ事件に連座した責任を、どのように申し開きできるのだろうか。われわれは〈あらゆる差別に原則的に反対する〉が故に、この闘いを貫徹してきた。少なからずの傷も負っている。だが、〈差別〉に関する限り〈原則〉は譲ることはできないのだ。〈本当に撃つべきもの〉は何であるのか?この問いに立脚することをわれわれは一時(いっとき)も忘れはしない。

「因果応報」という言葉がある。この通信でもことあるごとに述べているが(7月12日号参照)、かつて「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧事件で鹿砦社弾圧に手を貸した者がことごとく再起不能なまでに失脚したことをわれわれは知っている。それは決して“偶然”だろうか――われわれは「因果応報」という言葉を信じる。リンチの被害者がこの後遺症に苦しみ、加害者が表舞台で「反差別」や「人権」などを語る講演三昧などという世の中は不条理だ。

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 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

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