知り合いの30代の女性が、通信制の高校に入った。30代にして、女子高生になったわけだ。
高校を中退しているので、勉強し直して卒業資格を取ろう、という感心な心がけ。もちろん、セーラー服などは着用しない。
筆者なども、高校で勉強したことなど忘れている、というか、そもそも勉強せずにごまかして卒業している項目が多い。
彼女の話を聞いていて、やはり高校の勉強は大変だな、と思う。
そもそも、自分で働いて生活している30代が、いまさら微分積分など勉強する必要があるのだろうか。
高校生は、自分の進むべき道を見つけるために、ありとあらゆる可能性を試してみる必要があるかもしれないが……。
それなら英語は役に立つかといったら、これもそうでもない。
言い尽くされていることだが、高校の英語は大学受験に合格するためのものであって、喋れるようになるものではない。彼女の話を聞いて、それは変わっていないようだ。
喋れるようになるためには、英会話教室に通うしかないのか。
オーストラリアのアボリジニと話すために、その準備でNOVAに通っていた時、canとbe able toやmany とa lot ofがほとんど同じ意味であることを知らずに苦労している大人がいた。
やはり会話だけで語学を習得するのは無理で、文法を知ることが必要だ。
だがそれも、良質なテキストを買って、自分で勉強したほうがいいのではないか。
学校の勉強で出てくる、現在完了とか仮定形過去完了などの用語は、よけい分からなくするもののように思える。
こう見てくると、30代が高校の勉強をやり直すことの可否ではなく、高校の勉強がダメなのかなと思えてくる。
国語はどうかといえば、たまたま魅力的な教師に当たらない限り、ダメではないか。
学校での作文は、レポートや論文を書けるようにするためのものだ。
エンターテインメントを書くのとは、真逆の手法なのだ。
筆者の場合は、中学の時の1人の国語教師、高校の時の1人の社会科教師が、私の文章を認めてくれた。
だから今の自分があるのかもしれず、学校教育がすべてムダとも言えない。
たいていの国語教師は、こちらよりも本を読んでいないのではと思えるくらい、文学の話はできなかったが。
いずれにしても学校は、もっと魅力的な教師を増やす方法を考えるべきだろう。
(深笛義也)