◆コロナが続く!

昨年拡大したコロナ禍による影響は今年も続きました。長期には至らぬも緊急事態宣言により延期や終了時刻を早めの設定と、観衆50パーセント以下の制限などは12月上旬まで響きました。

コロナウイルスに罹る選手もわずかながら居た中、濃厚接触者となった選手も一定の待機期間を設ける必要の為、無症状でも中止カードも発生するもどかしさもありました。

タイからの選手が来日不可能で、タイトル戦が絡む国際戦が停滞。こういった外国人選手の来日が閉鎖され、プロボクシングでも世界戦の延期が相次ぐ事態がこの12月でも発生しました。秋頃からコロナ収束の兆しが見えてきた中では観衆制限が緩められつつあり、新たにオミクロン株が蔓延し始める油断ならない現状も、今後は感染急拡大が無い限り、以前のような開催が待たれています。

NJKFで続く会場内の注意喚起(2021年6月27日)

沢村忠さんは最後までファンを大切にした人(2009年4月19日)

◆キックの鬼・沢村忠さん永眠

3月26日に亡くなられた沢村忠さん。4月1日のスポーツ報知一面で、「元・東洋ライト級チャンピオン、沢村忠さんが肺癌の為、亡くなられていた」という報道がありました。引退して44年。キック界から離れ、メディアには殆ど姿を現さずも、未だスポーツ新聞の一面で取り上げられるほど大きな存在感を示しました。身体の具合が良くないとは情報筋で聞いていたものの、ついにその日が来たという虚しさが残るキック関係者は多いでしょう。
昨年3月に名レフェリーだった李昌坤(リ・チャンゴン)さん、5月に藤本(旧・目黒)ジムの藤本勲会長が相次いで亡くなられ、ここ数年で野口プロモーションと目黒ジムの重鎮が逝ってしまう話が多いところで、創生期の語り部が少なくなる虚しさが残りました。

◆国崇と健太が100戦達成!

4月24日に国崇(=藤原国崇/41歳/拳之会)が100戦目を迎え、11月21日で102戦57勝42敗3分の戦績を残しました。健太(=山田健太/34歳/ESG)も9月19日に100戦目を達成し、62勝(18KO)31敗7分。二人はいずれもNJKFとWBCムエタイ日本王座獲得経験あるベテランです(戦績はNJKF発表を参照)。

国内に於いて100戦超えは昭和時代では藤原敏男氏をはじめ名チャンピオンが数名居て、国崇と健太は昭和時代以来でしょう。しかし現在は3回戦が主流で、一概には比べられない時代の格差は有るものの、現在の選手層の中には50戦超えは結構多いので、どこまで戦歴を延ばせるかの興味も湧くところです。

[左]岡山で活躍の国崇101戦目のリングは後楽園ホール(2021年9月19日)[右]健太は安定した試合運びで戦歴を積み重ねた(2021年6月6日)

◆今年のキック団体(協会・連盟)の変化は

今時は業界が統一されない限り、何も驚かない時代です。過去に有った団体や個々のイベントプロモーションも形を変えつつ進化してきたのがここ数年で、2010年1月にスタートした「REBELS」は存在感が大きかったイベントでしたが、今年2月28日で幕を閉じ、「KNOCK OUT」に吸収され、統一という形でビッグイベントは続いている模様です。

既存の団体に留まっていては鎖国的で、エース格でも存在感が薄く「RIZINに出たい、ONEに出たい!」等のビッグイベント出場アピールが多く、団体トップだけでは飽き足らないのが選手の本音。

「これではいけない」とマッチメイクに苦しむ各団体幹部の平成世代は結束力も生まれ、団体交流戦も活発に行われていますが、客観的に見ればこれが一つの圏内のキックボクシング界で、昨年末から比べて大きな変化は無いものの、今後も交流戦から緩やかな進化が続くでしょう。

ルンピニースタジアム(まだ屋外)で行われた女子試合(2021年9月18日 (C)MUAYSIAM)

◆崩れ行くムエタイの伝統

タイ国に於いては日本と違い、ほぼ毎日興行が行なわれていたバンコクで、昨年3月のコロナ感染爆発からスタジアム閉鎖が続き、ムエタイ界はかなりの打撃を受けました。

2016年10月のプミポン国王が崩御された際でも30日間の自粛期間でしたが、目処の立たない長期に渡っての閉鎖は各スタジアムに於いては史上初。

更にはコロナ禍の影響だけではないムエタイは節目の時代に来たのか、今年9月中旬からの規制緩和後も、ムエタイの伝統・格式が崩れてきた現象も起こりました。

古き時代はリングや選手に触れることも許されなかった厳格な女人禁制のムエタイは、1990年代から徐々に緩む中、地方では女子試合が行われるようになり、二大殿堂のルンピニースタジアムとラジャダムナンスタジアムだけは厳格さが近年まで変わらなかったところが、今年9月18日にはルンピニースタジアムで、プロ初の女子の試合が行われるようになり(コロナ禍で当初は屋外特設リング、現在は本来のメインスタジアム)、こんな前例が出来れば、汚点とまでは言えなくとも、設立以来65年間も守ってきた規律を破ってまでもやる必要があったかは疑問で、もう二度と消せない歴史が残ってしまいました。

「女子試合は時代の流れとしても、ラウンドガールがリングに上がるのは格式高いルンピニースタジアムとして如何なものか!」と失望する日本のキック関係者も居るほど、まだある威信の崩れがムエタイの権威を貶めている様子です。これも新しい時代として受け入れるしかないのか。そして今後の展開はどうなるのか。日本のキックボクシングを含めて次回の“2022年の展望”で書いてみようと思います。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」