1992年2月20日、福岡県飯塚市で小1の女の子2人が殺害された「飯塚事件」は、犯人として処刑された男性・久間三千年さん(享年70)に冤罪の疑いがあることで有名だ。久間氏は一貫して容疑を否認していたうえ、有罪の決め手とされた警察庁科警研のDNA型鑑定が実は当時技術的に稚拙だったことが発覚したためだ。
私は2016年に編著『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社・2021年に内容を改訂した電子書籍も上梓)を上梓した際、この事件の捜査や裁判に関わった責任者たちを特定し、この事件にどんな思いや考えを抱いているかを直撃取材したことがある。事件から30年になる今、同書に収録された責任者たちの声を改めて紹介したい。
第2回は裁判官編(所属・肩書は取材当時)。
◆確定死刑判決を宣告した裁判官は強固な姿勢で取材拒否
一貫して無実を訴えた久間氏に対し、裁判の第一審で死刑判決を宣告したのは福岡地裁の陶山博生裁判長だ。この死刑判決を控訴審で福岡高裁の小出錞一裁判長、上告審で最高裁の滝井繁男裁判長が追認し、久間氏の死刑は確定した。この3人の裁判長のうち、滝井氏は2015年2月に78歳で死去しており、残る2人に取材を申し入れた。
陶山氏は2013年3月、福岡高裁の部総括判事を最後に依願退職し、現在は福岡市を拠点に弁護士をしている。
私は以前、本書とは別の仕事で陶山氏に取材を申し入れたことがあり、その時は電話で取材を断られたため、氏が所属する羽田野総合法律事務所の入ったビルの前まで訪ねて再度取材依頼したのだが、「全然お話するつもりはありません」「黙秘です」「急ぎますので」などと頑なに拒否された。
そして今回、改めて取材依頼の手紙を出したうえ、返事を聞くために事務所に電話したのだが、陶山氏は電話にも出てくれなかった。取材拒否の姿勢がいっそう強固になった印象だった。
◆控訴審の裁判官からは丁重に取材を断る手紙が届いたが……
一方、控訴審の裁判長だった小出氏は2006年2月に名古屋高裁の部総括判事を最後に依願退官。その後は2012年まで専修大学法学部で教授を務め、取材当時は大学生らに奨学金の給与などを行う中山報恩会という公益財団法人で選考委員に名を連ねていた。
手紙で取材を申し入れたところ、小出氏から以下のような返事があった。
〈お手紙の転送を受け、拝見いたしました。ご丁重なお手紙をありがとうございました。
担当した事件については、すべて、立場上、 取材をお受けすることはできないと考えております。これまで、担当した少なからぬ事件について、新聞社、放送局の記者、そのほかのジャーナリストの方々からこのような申し込みをいただいたことがありますが、趣旨如何にかかわらず、すべてお断りして参りました。担当しない事件などについてのコメントを退官後求められることも少なくありませんでしたが、小生としてはこれもすべてお断りしてきております。
そのようなわけで、取材のご希望は一切お受けすることはできませんので、今後はご放念いただきたく、よろしくお願しい申し上げます。
末筆ながら、今後のご活躍とご健勝をお祈り申し上げます。〉
誠実さを感じさせる文面だが、実を言うと、小出氏は名古屋高裁の裁判長だった2005年、世間の多くの人が冤罪と信じる名張毒ぶどう酒事件の奥西勝死刑囚に対し、再審を開始する決定を出した裁判でもある(この再審開始決定は検察官の異議申し立てをうけ、同高裁の門野博裁判長に取り消された)。そのため、冤罪問題に詳しい人たちの間でも小出氏の評判は決して悪くない。
そんな裁判長でも飯塚事件のような酷い死刑判決を追認してしまうところに、事実を見きわめる難しさが示されている。(つづく)
▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。編著に電子書籍版『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)。