定刻を過ぎての卒論提出に非正規の大学職員はどう対応すべきか?
規則通りに仕事をすれば、「門前払い」(受け取らない)で問題はないはずだ。しかし、事は一人の学生の一生に関わる問題だ。卒論が受け付けられなければ卒業ができないし、せっかく努力して得た就職先の内定がフイになる。留年となれば、余分に一年分の学費が必要となるし、下宿生ならば生活費も馬鹿にならない。
ある程度の期間、大学で仕事の経験を積んだ人であれば、非正規職員でもそういった事情は当然、理解している。だから簡単に「門前払い」をするのにためらいを覚えるのは自然だといえる。
◆「こんな遅い時間にもう電話せんといてくれ!」
難問に直面したその女性職員は結局、悩んだ末に学生を事務室近くで待機させ、事務室の責任者宅へ電話をかけ、判断を仰ぐことにした。しかし、事務責任者からは「それは私では判断できないから、学部長と相談してくれ」との答えが返ってきた。
仕方なく彼女は学部長の自宅に電話をかけ、事情を説明しようとするが、学部長はあいにく自宅に不在だった。判断権限がない非常勤職員はどう処理してよいものか困惑が深まるばかりだ。
再度、事務責任者宅に電話をかけ、学部長が不在で連絡できない旨を伝えかけると、事務責任者は、「こんな遅い時間にもう電話せんといてくれ!」と言われ、一方的に電話を切られたという。大学も企業と同じだ。上司のご機嫌取りには熱心だが、部下には冷酷な性格を持つ管理職が、大学にも少なからずいるのも事実である。
事務室の中では対処方法がわからず困惑する非常勤職員が自身も不安に駆られる。この間、定刻を過ぎて卒論を持参した学生は、いったいどうなることやらと不安げに時間を過ごしていた。
僅かに時間をおいて、学生の指導教授から事務室に電話がかかってきた。おそらく指導教授は日頃からその学生の行動に不安感を抱いていたのだろう。卒論提出が無事に行われたのかを尋ねる内容の電話だった。これ幸いと彼女は事情を説明し、指導教授に意見を求める。
教授の回答は「私がすべて責任を持つのでとりあえず受理しておいて下さい」であった。正式に認められるか否かはともかく、教授からの明確な回答を得て、一安心した彼女は事務室外で待機していた学生を呼び、卒論を受け取り、「提出証明書」に事務室のスタンプを押す(このスタンプは日付と時刻が押印されるタイプのものだった)。一応の決着はみたが、あくまで仮の受理であるので、そのことを学生に伝えて彼女も帰路についた。
◆「非正規」職員にトラブルの全責任を転嫁する正規職員
ところが翌日、彼女が出勤すると事務責任者に呼び出され、「学部長に相談しろと伝えたのになぜ一教員の指示に従ったのか!」ときつい口調で彼女を責めあげられた。
「こんな遅い時間にもう電話せんといてくれ」と言った責任放棄の事務責任者は、自身に事務手続き上の問題の矛先が向けられるのを防御するために、全責任を彼女一人に負わせようと考えたのだろう。彼女としては、もとよりあまり信頼のおけなかった事務責任者に不当な責めを受けて反論することもできず、精神的に追い詰められる。
他方、「全責任を負う」と発言した指導教授は、受け取り証明書に日付と時刻が押印されていることを盾に「事務室が時間外でもちゃんと受け取っているんだから受理すべきだ」と事務室にねじ込んできた。しかし、事務責任者は「担当者が勝手に押印したものだから私は責任を負えない」と答え、埒があかない。彼女は自分の横で交わされる無責任な人間同士の会話にほとほと疲れ果てたという。
結局、彼女はそのような職場の人たちに嫌気がさし、翌週には自主的に退職してしまう。そして、仮受付されたと喜んだ学生も卒論は「不受理」となり、留年することになってしまった。
この経緯では、定刻を過ぎて提出を試みた学生に一義的には責任があるのだから、結果的に不受理は仕方ないかもしれない。しかし、その間、専任職員責任者が適切な指示を出さず、また指導教員も「全責任を負う」など発言したのであれば、学部長との折衝に自ら動くなどの調整努力をすべきだった。結果的には非常勤職員の女性一人があたかも不適切な判断を勝手に行ったかのごとき無責任な議論に事実を歪曲し、彼女を退職に追いやってしまった。
そもそも卒論提出日にはこのような事が起こりうることは、大学に勤務する正規職員にとっては常識である。最大の問題は、その日に専任職員が一人も出勤していなかったことである。
◆「学生の卒業を一緒に迎えられない」契約職員たち
「学生」相手に仕事をする「大学」では、マニュアルや職務権限もさることながら、人間性や責任感が仕事上、問われることが少なくない。規定や手順はもちろん大切であるが、それ以上に相対する人間に誠実であろうとする姿勢はもっと大切で、ケース毎に異なった判断を求められるのがまっとうな業務倫理のはずだ。
そんな性格の職場での仕事にやりがいを見出し、自分の適性もあると感じながら、契約により三年や五年で大学を去っていかなければならない「契約職員」は気の毒な存在である。契約時に「三年あるいは五年を上限に」との明文契約書に納得し、就任しているものの、仕事に慣れ、学生とも親しい関係ができてくると、大学事務は「収入」よりも「生きがい」になってくる。だから大学を離れたくない、と感じる人が少なからず出てくる。そんな気概のある人材は大学にとっては極めて有力な武器になるはずだ。
三年契約で就任した契約職員Aは、その熱心な仕事ぶりで専任職員の間でも評判だったし、学生からの信頼も厚かった。しかし、退職に際してこんな一言を残して、大学を去っていった。
「入学してきた学生の卒業を一緒に迎えられない制度とは一体なんなんだろうと思います」
原則論に立てば、極めて定型化された単純作業でありながら、多くの稼働を要するもの(郵便物の発送・図書館の窓口・入試の際の一時的事務作業など)を除いて大学職員という仕事は本来、正規職員が担当すべきだと私は考える。
(田所敏夫)
《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)
《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)