◆時間との闘い
両選手がリングに入場した時点で、「勝ち負けはどちらでもいい、ここまで漕ぎ着けられてよかった」と安堵したことが、私(堀田)はお手伝い程度ながら一度だけありますが、マッチメイカーは大変なお仕事と感じた次第です。
現在、キックボクシングの通常興行では、だいたい10試合前後の試合数があります。ラウンド数短縮の影響で、過去には15試合を超える興行もありました。
当然、看板メインカードはかなり前もって広く告知し集客に繋げられます。しかし注目され難いアンダーカードのマッチメイクにおいては、興行日が迫ってくる中でとても神経を擦り減らす仕事と言えるようです。
◆試合が組めない!
20年ほど前、プロボクシング興行の開場前の静かな客席後方で、プロモーター関係者と見られる人物の電話をしている声が聞こえたことがありました。
「○○級の選手でオーソドックスの2戦1勝1敗なんですけど、誰か相手居ませんかね?」といった声。実際はもっと綿密なやり取りで、4回戦の出場選手を探している様子でしたが、「こんな地道な交渉しているんだなあ」といった印象でした。
キックボクシング既存の団体(協会・連盟等)主催でのマッチメイクは、日程が組まれている興行に事務局から各ジム会長に打診し、出場させたい選手をエントリーして貰い、その中から戦績や過去の対戦経験の有無等を見ながら対戦相手を決めていくのでしょう。
K-1出現前の1992年以前までは、選手層が厚いプロボクシングや、キックボクシング昭和のテレビ放映全盛時代と比べ、選手数が圧倒的に少ない時代。更に団体分裂していた上、交流は無く、「自分から攻めないカウンター狙い同士は客受けしないから避けろ!」という上層部の厳しい指令もあっては、一つの団体内だけでは試合が組み難くかったようです。
当時はランカー以上の5回戦と新人3回戦という境界線がはっきりしていた時代。その3回戦のマッチメイクにおいては、通常は同じぐらいの戦績同士で組まれます。デビュー戦同士とか、「1戦1敗vsデビュー戦」はよくあるパターンでしょう。
プロボクシングには段階的にC級からA級まで明確に決まっていますが、当時のキックボクシング界は力の差があると分かっていても試合数を埋める為に、無理なマッチメイクもあった様子。同階級に対戦相手が居ない場合も、一階級差がある選手での契約ウェイトで両者の合意を得る場合があり、このウェイト承諾の返事待ちに日数が迫っているのに待たされるのが毎度のこと。昔は携帯電話は無く、固定電話を持たないアパート一人暮らしの選手が、暫くジムに来ないと連絡が全く取れない状態で、後輩のアパートに出向いた先輩が「オイお前、次の試合決まってるぞ、練習来ないと駄目じゃないか!」なんて言われて慌てる選手も居たものです。
当然ながら交渉を直接選手にはしてはならず、ジム会長(兼マネージャー)に交渉し、会長から選手に話が行く手順は当然の流れになります。
何とか予定試合数の契約ウェイトの了承を得た時点で、ようやく計量通知の郵送に漕ぎつけます。これらのことが興行ごとに繰り返されたという当時のスタッフの苦悩でした。
選手から見れば、「試合決まる時って会長から次の興行、○○と決まったから」と聞かされ、希望の対戦相手、ウェイトなどは言う余地も無かったと古い選手は言うも、計量通知を受け取った時点で召集令状のような「いよいよだな!」と一層気合が入るようでした。
◆マッチメイカーになりたい
「マッチメイカーに成りたいんですけど、どうすれば成れますか? 〇〇選手の夢のカードを実現させたいんです!」と、現在はこんな無鉄砲な考えを持った奴が居るのかと絶句するような高校生ぐらいの若者も現れるという。
過去において、ネームバリューあるトップ選手同士は何かと対戦が難しい柵の中にあり、夢の対決には実現に至らないカードは多かったでしょう。
「マッチメイクだけが仕事ではなく、どこかで欠員が出たからと募集される仕事でもないし、興行スタッフのお手伝いから始めた方がいいよ」と忠告しても、そう長続きしない者が多いという。
マッチメイカーの仕事は他にもポスター造り、パンフレット造り、チケット手配等は業者へ丸投げの依頼は楽でも経費削減の為、自分達で行なうことが多いようです。
定期興行が充実した頃は、パンフレット刷り上がりが興行前日になるということも頻繁だった様子。全てはマッチメイクがなかなか決まらないところからくる要因で、出場選手の写真、戦績経歴を正確に記載の為、ギリギリになってしまうのも仕方無いところでしょう。
1995年以降、更なる乱立とフリーのジムとプロモーターが徐々に増加する時代に移り、カードマンネリ化の悪循環を避ける為、好カード実現へ交流戦を持ちかけた新たな時代のマッチメイカー。電話で各団体代表にアポイントをとって訪問し、企画説明に向かう緊張感は特攻精神。
「何しに来たんだお前、そんなこと出来ると思ってんのか?」と説教されることもあったという営業活動。交渉に使う切り札、選手を借りたらお返ししなければならない義理、交渉が上手く進まない場合、「このイベントにウチの選手を出そう」と思わせるような良い条件を出さねばならない。賞金トーナメントや好条件のファイトマネー、有力なスポンサーを紹介する手段など、裏技いっぱい持っていないとマッチメイカーは務まらないという。とても高校卒業程度の若者に務まる話ではないでしょう。
◆契約の徹底
プロボクシングではマッチメイカーが選手のマネージャーとの間に試合契約書を交わす工程が生じますが、キックボクシングでは昔から曖昧な部分は多かったでしょう。特に地方興行など、計量オーバーしていても強引に試合を行なったり、当日になって対戦相手変更などはタイでもよくある話が、日本でもマイナー団体では実際に起きたことで、契約書が無ければ「言った、言わない」の揉め事は日常茶飯事だった様子。
現在では団体・興行毎にルールが多様でも、過去の悪しき習慣を知るマッチメイカーは、団体間、フリー関係との交渉では、ジム会長と出場選手のサインが必要となる諸々のルールと条件を記載した契約書を簡易書留で送り、内容承諾すればサインして送り返して貰うという、当然と言えば当然の手順で進めるプロモーションが多くなっています。
タイや欧米から選手を要請する場合も多くの困難が待ち受けます。タイ語や英語が万能で、現地仲介者といった環境も整えておくことも必要です。裏方も若い世代に移った現在、堅実なマッチメイクも業界を底上げの一端として頑張っていかれることでしょう。
(このテーマはマッチメイク経験者数名のお話を纏めています)
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」