前回の記事で述べたように独立騒動で揺れる安室奈美恵は、日本音楽事業者協会の統一契約書を「奴隷契約」と批判し、芸能界に波紋を投げかけた。
音事協の統一契約書は、1968年に出版された『タレント帝国』(竹中労著)で紹介されているが、著者の竹中は、肖像権(パブリシティ権)や出演を選択する権利などがタレントにではなく、所属する芸能事務所に帰属することになっていることについて、「これは、まことに恐るべき“奴隷契約”である。タレントはすべての自由を奪われ、義務だけを負わされている」と断じている。
沖縄県出身の安室は、デビューするまで沖縄アクターズスクールに所属していた。当初は女優を目指し芝居の稽古をしていたが、ビデオで観たジャネット・ジャクソンのパフォーマンスに感化されてから、歌とダンスに没頭するようになり、その後、歌手として頭角を現していったという。
では、安室に影響を与えたジャネット・ジャクソンは、どんな環境で芸能活動をしているのだろうか。ここでは、アメリカで活躍する歌手の活動の実態について解説したい。
◆日本の歌手の歌唱印税はCD売上の1%
日本の歌手がCDをリリースすることで得られる歌唱印税は、通常、CDの売上の1%と言われる。一方、アメリカの歌手の歌唱印税は最低でも10%だという。この違いは、どこから来るのか、アメリカの音楽業界事情に詳しい関係者は次のように語る。
「日本とアメリカでは、音楽ビジネスの仕組みが根本的に異なります。日本のアーティストは、契約上、実演の権利をすべて所属する事務所に譲渡する格好となりますが、アメリカはアーティストが権利を握っている。CDのつくりかたも、アメリカと日本ではまったく違います。アメリカでは、CDをつくる場合、アーティストが予算も確保します。
たとえば、アルバムを1枚つくるということになったら、アーティストは弁護士を雇って契約書をつくります。そして、アーティストはレコード会社から予算を与えられ、自分がプロデューサーとなって、ミュージシャンを雇って、スタジオも抑える。予算が1000万円で、制作費が500万円だったら、残りの500万円は、アーティストのものとなります。CD販売の利益が初期投資の費用を超えることをリクープと言うのですが、リクープしない場合は、アーティストに対する印税は発生しません。とはいえ、印税10%ですから、ヒットすると、アーティストに支払われる印税は巨額のものになります。
日本の場合は、すべてをプロダクションが行ないますから、アーティストの持ち出しはありませんが、報酬も低い水準となります」
日本においてはアーティストは、所属する芸能事務所の「所有物」であり、事務所の指示を受けて、芸能活動を行い、報酬も事務所が決める。それに異を唱えて、他の事務所に移籍したり、独立することは基本的にはできない。一方、アメリカのアーティストは、予算権も握って主体的に芸能活動に取り組み、報酬の配分も大きい。
◆米国芸能界「権利のための闘争」の歴史
日本と比べ、アメリカのアーティストの立場が強い大きな理由は、アーティストの労働組合が強いことがある。
たとえば、アメリカの演劇界で俳優の労働組合が設立されたのは、1913年のことだった。19世紀末のアメリカの演劇界は、「劇場シンジケート」と呼ばれる、全国各地の劇場マネージャーの連合体があり、業界に独占的な支配力を持ち、俳優の権利は抑圧されていた。
これに対抗するべく俳優たちは団結して労働組合を結成し、劇場側に要求項目を掲げて何度もストライキを行い、交渉を重ね、労働条件の改善を図ったのである。
映画界でも1933年に俳優たちによる労働組合、スクリーン・アクターズ・ギルド(SAG)が設立され、音楽界では1896年にアメリカ音楽家連盟が設立され、それぞれ大きな影響力を持つようになった。
アメリカのエンターテインメント産業の労働組合は、労働者全員の参加が前提の「ユニオン・ショップ」と呼ばれる仕組みであり、労働組合に入っていなければ、満足のゆく芸能活動はできない。そのため、タレントの労働組合は、組織率が高いため、強い交渉力があり、タレントに仕事を斡旋するタレント・エージェンシーの取り分は、タレントの稼ぎの10~20%だ。
また、アメリカのタレント・エージェンシーは、反トラスト法(独占禁止法)の規制で、制作業務を行なうことが禁じられている。日本の有力芸能事務所の多くは、タレントの斡旋だけでなく、番組などの制作業務も請け負っている。
特に有名なのは、お笑い業界ナンバーワンの吉本興業だろう。吉本は多数の人気芸人を擁し、さらに番組制作のほか、多数の劇場を所有し、業界を完全に牛耳っている。2001年から2010年までかつて『M-1グランプリ』という漫才コンテストをテレビ朝日系で放送されていたが、主催は吉本興業だった。当然、番組への吉本の影響力は強く、出演芸人の8割が吉本所属だったが、これに疑念を差し挟むことは許されなかった。
制作業務も兼ねていることで、吉本のお笑い業界支配力はダントツだ。吉本所属の芸人のギャラの安さは有名だが、吉本に逆らうことはできない。業界を支配する吉本に反旗を翻せば、干されるのは目に見えている。[つづく]
(星野陽平)