政治と宗教の議論、および旧統一教会(世界平和統一家庭連合)問題の議論は、ようやく端緒についたばかりだ。わが「紙の爆弾」も特集といえる論攷、レポートが並ぶことになった。
いくつかの視点があると思う。政教分離を信教の自由における法的担保とする考え方は、戦前の国家神道(内務省による神社神道の国教化=官幣社制度)の批判、その下に行なわれた宗教弾圧である。
もうひとつの視点は、宗教団体といえども政治的自由は有しているので、他の圧力団体(各業界の生産者団体・労働団体・文化団体・各種企業)と同等に、政権への働きかけ、政党との提携・協定は自由であるというものだ。
前者を過度に強調すれば、宗教団体への規制となりうる。しかるに、宗教団体が支持母体の政党が政権を担ってよいのかどうか、議論は分かれるところだ。言うまでもなく、この議論の延長上には公明党が与党であることの可否が浮上する。議論の本格化を期待したい。
「旧統一教会と自民党 現在も続く癒着」(片岡亮)は、自民党が統一教会被害者への「守り」にとどまり、悪質な宗教団体の取り締まり、すなわち「攻め」に消極的であることを批判する。
さらに教団と癒着する萩生田政調会長が、ほかならぬ教団との窓口(調整役)を務めていると指摘する。前述したとおり、創価学会を支持母体とする公明党と自民党の現政権が、旧統一教会の規制(解散)に消極的なのは言うまでもない。そのうえ、ステルス信者となった教会員が自民党の選挙運動をになう動きが指摘されている。
あらためて言うまでもなく、自民党にとって韓国に本部を置く旧統一教会の「理念」ではなく、その会員の選挙運動力が「役に立つ」から癒着を断てないのである。政治は「政治理念」ではなく、敵の敵は味方という「政治の原理」で成り立っている。
また、片岡は幸福の科学が「自殺防止相談窓口」や駅頭での自殺防止キャンペーンに乗り出していることを指摘する。参政党の支持基盤でもあるというわjクチン反対運動の神真都Q、内部での厳格さが指摘されるエホバの証人など、新宗教の動きも気になるところだ。ほかに「統一教会『救済新法』めぐる与野党攻防」(横田一)が新法の問題点をあばき出している。
「旧統一教会における信仰とは何か」(広岡裕児)は、セクト(破壊的カルト)の判別規準をフランスの例から解説している。旧統一教会が多額の献金をさせるから問題なのではない、と広岡は指摘する。既成仏教でも多額の献金はあるし、それを伝統的な仏教宗派だからいいのだとすれば、それは新宗教への差別にほかならない。
それではマインドコントロールだからダメだと言えるのか? このテーマを、広岡はオウム裁判の判決理由から解説する。自由意志をどこまで確認できるのか、オウム被告(元死刑囚)たちの告白は迫真である。
「統一教会政界汚染と五輪疑獄をつなぐ闇」(藤原肇)の副題は「火だるまになる自公ゾンビ体制」である。その筆致は快刀乱麻ともいうべき痛快なものだ。描き方は陰謀論だが、旧統一教会が満州人脈をテコに、アメリカと日本の中枢に拠点を築き、日本そのものを乗っ取ってしまったというものだ。
キーパーソンは言うまでもなく岸信介であり、岸の娘婿安倍晋太郎亡き後は、安倍晋三に焦点を絞って政権乗っ取りを画してきたという。陰謀論だからといって、暗いばかりではない。やがて大掃除が始まり、大疑獄事件のすえに日本は生まれ変わるのだと。読んでいるうちに、楽しみになってきた。
「偽史倭人伝『プランA』」(佐藤雅彦)は危険な記事だ。
なにしろ第三次世界大戦のプランが進行しているというのだ。そして、そのプランを知ったうえで第三次大戦を欲しているのが、現在ロシアと戦火を交えているウクライナのゼレンスキー大統領だというのだから、危険きわまりない。評者もゼレンスキー政権の救国民族解放戦争を支持する立場だが、その祖国防衛戦争の延長に第三次大戦が招来するのであれば、話はまったく別ものになってくる。
いや、戦争は成り行き(敵と味方の攻防の弁証法)なのだから、やむを得ないものとしよう。問題は「プランA」がどこまで具体的で、現実性のあるシナリオなのかであろう。ロシアの解体という、いまだ誰も議論の俎上には上げていないものの、世界の新秩序を安定化させるキーワードの一つが「プランA」なのだ。すなわちプーチン政権の転覆であり、広大な国土と資源を持つロシア連邦の解体である。これまた読んでいるうち背筋が冷たくなり、しかしその恐怖が楽しみになったと告白しておこう。危険、危険。
▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。