大学生が「学生運動」に大挙して参加した時代は遠い昔だが、私の勤務していた大学には社会問題を研究するサークルがあり、そのサークルの周辺には学外での社会運動に参加する学生が常時何名か在学していた。特定のセクトに所属するわけでもなく、さして目立った行動もしないが、世の中自身がおとなしすぎるので、集会やデモに参加しただけで、公安警察は要注意学生としてマークするターゲットを必ず視野に入れていた。

私をよく訪れるようになっていた所轄の公安警察のQさんは、一見おとなしい田舎のオッチャン風で薄暗い雰囲気はどこにも漂わせていなかった。彼には私を訪問する際には必ず電話でアポを取ってから来ること、学内をうろつかず私の事務室にだけ来るようにと強く要請していた。当時私が公安警察と連絡を取っていることを知っている同僚は極わずかであったし、大学敷地内に警察を入れる行為は「大学の自治」の原則に反する行為だったからだ。

◆公安警察恐るべし!

彼は訪問の際必ず明確な目標を持ってやってくる。

「田所さん、来週東京で大きな集会があるんですわ。たぶんA君が参加すると見とるんですがどうでしょう?」
「A君とは昨日も話しましたがそんは話はしてませんでしたよ」
「ほぼまちがいないんですわ」
「でも、学生が集会に参加することは自由ですし大学としては止めることは出来ませんよ」
「いえいえ、そんなことまではお願いしません。で、A君が学割を申請してないかどうか調べてもらえませんでしょうか」
「ああ、それなら調べますけど、学割は私の部署では発行しないのでちょっと時間かかりますよ」
「すんません、いつもお手を煩わせて」
「では、分かり次第電話します。ところでその集会はどんな内容の集会なんですか?」
「これがですね、過激派の○○派が裏で操ってる可能性が高いんですわ。作家の○○とか、歌手の〇〇も出よるんですけど、全国動員かけとるようなんですわ」
「そうなんですか。○○派ってまだあったんですか?」
「ええ、○○派は・・・・」

と○○派について公安がどう見ているかのレクチャーが始まる。○○派については私なりに知識を持っていたのだが、敢えて何も知らない素振りで質問するのがポイントだ。質問を重ねるとかなり踏み込んだ情報を語ってくれる。Qさんが帰ると私はすぐにA君に電話を入れ私のところに来るように告げる。

「来週東京で集会あるんやて?」
「そうそう、××反対の全国集会が日比谷であるよ」
「行くの?」
「そのつもりB君と一緒に」
「今日公安来たわ。君が行くかどうか聞きに」
「で、なんて答えたの?」
「知らないから、知らんと言っといたがな」
「ふーん」
「まあ、ええわ。とにかく下宿見張られてるから気いつけや、それからB君はまだ公安には割れてないようだから注意事項をちゃんと教えてやっとくんやで」
「はーい、わかりました。サンキュー」

といった具合で要注意ターゲットにされた学生には、公安の動向をすべて教えていた。犯罪行為の嫌疑があるなら別だが集会参加するのは自由だし、不当に日常生活を見張られる学生がいれば、公安の情報を教えてやるのは私の義務ですらある、と考えていた(公安にばれたらこっぴどい仕返しをされたろうが、退職後もそのようなことは幸いない)。

翌日Qさんに電話を入れる。

「昨日はご苦労様でした、A君の件ですけどね、学割は申請してないですね」
「え!そうですか・・おかしいなー。行くのは確実やと思うんですけどね」
「学割申請してないことだけはわかりました。ほかに何かお手伝いできますか?」
「実は今朝になってわかったんですが、B君という学生さん、これも行きそうなんですわ」
「B君・・顔と名前が一致しないなー。何回生ですか?」
「1回生ですわ。これA君が誘っとるんです」
「B君の学割を調べろと・・・?」
「すんません、度々お願い出来ますやろか?」
「わかりました。夕方また電話します」

公安警察恐るべしである。数日の間にA君がB君を誘ったことを察知しているわけだ。
でも、実はからくりは簡単。A君の下宿電話は常に盗聴されているのだ。私がA君に電話で公安の話をせず、事務室に呼び出したのは盗聴されていることを知っていたからであり、B君に対して「注意事項を教えておくように」と言ったことの中身には下宿電話の盗聴のことも含まれている。

再びA君を事務室に呼んだ。
たまたまB君も学内にいたから二人で来てもらった。

「B君のこともう公安知っとったで」
「うっかりなんだ。Bが俺に電話かけてきて、注意する前に集会の話し始めたから、それが原因じゃないかな」
「たぶんそうだろうよ、B君!今の日本はな、君らみたいに学生が集会行くだけで公安警察が電話を盗聴する国なんや(当時は盗聴法成立前であるから警察といえども盗聴は立派な犯罪行為だ)、だから何も法律違反していなくてもちょっとしたことで捕まるし、盗聴もされる。君の下宿の電話も今日からは盗聴されていると覚悟しときや」
「そんなん法律違反やんか!」
「そうや、でもそれが現実だからしゃーない。その代り私は出来るだけ公安から情報引っ張って君らに教える。公安には絶対肝心な情報は流さない。これまでもそうやって来たからA君は何でもしゃべってくれるんや。まあ初体面で信用しろという方が無理やけどな」

初体面のB君は釈然としない表情でA君に促されて事務室を出ていく。それはそうだろう。大学に入ってまだ間もない学生が下宿の電話を盗聴される、さらにそれを大学の職員から聞かされる。いったい何がどうなっているのか頭が混乱するのも無理もない。

QさんにはまたしてもB君の学割申請はなかったと伝える。

実際この時はA君もB君も学割の申請はしていなかった。公安警察は捜査において盗聴など手段を選ばない怖い組織であると同時に、学生の動向を学割の申請があるかないかで探ろうとするといった幼児性を併せ持つ不思議な団体だ。関西から東京への移動方法はJRに限ったことではなく、夜行バスもあれば、知人の車に同乗させてもらうことだってあるだろう。勿論Qさんが学割の申請状況を尋ねてきたのは、公安としてもひょっとして情報が掴めれば、程度の期待値だったのかもしれないが、その後彼が開陳してくれた○○派についての情報には所々に間違いがあった。

このように一方的に袖にしていてはQさんも点数が稼げない。私から公安への一番のプレゼントは学生が警察官採用試験を受験した時だ。数にすればそう多くの受験者がいるわけではないが、毎年何人かは警察官採用試験の受験者がおり、その都度Qさんが電話をかけてくる。

「またいつもの件ですねんけど、今度は島根県警ですねん。名前は◎×□君です。よろしゅうお願いします」
「はい、わかりました。30分後に」

◆学生の身辺調査に協力せざるをえない大学職員

警察官採用試験の際、受験学生の身元は徹底的に洗われる。Qさんが当時私に示したチェック項目は、1.親の職業、2.所属クラブ、サークルなど学生生活の様子、3.親戚、身内に共産党員や社会党員がいないか(右派は許容、左派はダメ)などだった。1は入学時に提出させる身上カードを見ればわかるし、2は在学中の行動はサークル、クラブなどに属していれば掴める。3はその学生と私がよほど親しいか、あるいは本人に聞かない限りわからないから、Qさんとしても「もしわかったら」という程度の要請だった。

ざっと調べてQさんに報告だ。
「調べましたよ。お父さんは自営業ですね。職種は販売関係です。サークルに入ってました。体育会系ですわ。「赤」はたぶんいないんじゃないかなー。保守的な田舎が実家ですからね」
「はいはい。ありがとうございます。助かりましたわ。またよろしゅうお願いします」

といった塩梅だ。私はQさんにおおよその情報は伝える。警察官志望の学生だから問題学生であることはまずないので嘘をつく必要もほとんどなかった。これだけの情報でもQさんとしては点数稼ぎになるのだと言っていた。

まだ携帯電話が普及していない時代だったので固定電話の盗聴は技術的には簡単だった(私でも固定電話の盗聴ならちょっとした道具がそろえば出来る)。「個人情報保護法」といった面倒臭い法律もなかったから公安も平気で身辺情報の質問を投げかけて来たし、私も学生に不利にならない範囲で情報提供が可能だった(道義や倫理の問題は度外視して)。

今私が同じ職場にとどまっていたら公安とのやり取りはどんな具合になっていただろうか。おそらく法律や技術が変化しても公安警察の行動原則は変わっていないと思う。

(田所敏夫)

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