大事なことの多くは、すでに小学生の頃に学校で教わっているように思うことがある。たとえば、犯罪報道をめぐって長年議論になってきた「被疑者の実名を報じるべきか否か」という問題についても、実は小学生の頃に社会の授業で教わった戦中の小林多喜二拷問死事件で答えが示されている。

プロレタリア文学の旗手と言われた多喜二は1933年2月、特高警察に逮捕され、築地署内で死亡した。特攻警察は当時、多喜二が亡くなった原因を「心臓麻痺」だと発表したが、本当は苛烈な拷問をうけたために死んだのだということは、今では誰もが知っている。そして、このような事件が起きたのは、官憲に批判的な小説を発表するなどしていた多喜二が特高警察に憎悪されていたからだというのが定説だ。

とまあ、この程度のことはたいていの人が小学校の社会の授業で習って知っているはずだ。しかし、少し深掘りして考えると、この事件は、被疑者の実名を報道することに意義があることを示した事例だとわかる。仮に多喜二が当時、実名報道されておらず、「どこの誰だかわからない人が特高警察に逮捕され、亡くなった」という程度でしか事件が世に知られていなければ、この事件はさして社会の関心を集めず、すぐに忘れ去られただろうと考えられるからだ。

実際には、この事件で被疑者として逮捕され、獄中で亡くなった人物は「官憲に批判的な小説を発表するなどしていた小林多喜二」であることが実名報道により社会に周知されている。だからこそ、90年経った今も事件を知る人の誰もが「多喜二が心臓麻痺で死んだという特高警察の発表は嘘だ」「特高警察は多喜二の言論活動を憎悪し、拷問により殺したのだ」と認識できているのである。

こうしてこの事件をもとに考えてみると、被疑者の実名を報道することには、権力による言論弾圧を未然に防いだり、未然に防げなくても記録として後世に伝えることを可能にするという意義があると認められるだろう。

こういう話を聞き、「戦中や戦前ならともかく、今は小林多喜二の拷問死事件のようなことは起きないだろう」と思う人もいそうだが、たしかにそうかもしれない。しかし、そもそも、今、小林多喜二の拷問死事件のようなことが起きないのは、事件当時に被疑者の小林多喜二が実名報道されたことにより、多喜二が死んだ原因が「特高警察による拷問」だったことが現在まで語り継がれているおかげだと思う。

※著者のメールアドレスはkataken@able.ocn.ne.jpです。本記事に異論・反論がある方は著者まで直接ご連絡ください。

◎片岡健の「言論」論 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=111

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。YouTubeで『片岡健のチャンネル』を配信中。

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