クマ(熊)は、哺乳綱食肉目クマ科(Ursidae)の構成種の総称ですが、我々が対象としているクマは、その下位に位置する、クマ属のクマです。クマ属に登録されているクマは、以下の7種です。
Ursus americanus アメリカグマ
Ursus arctos ヒグマ
Ursus maritimus ホッキョクグマ
Ursus thibetanus ツキノワグマ
Ursus spelaeus ホラアナグマ Cave bear(絶滅)
Ursus minimus 和名無し(絶滅)
Ursus etruscus エトルリアグマ (絶滅)
このうち、3種は既に、絶滅しています。日本でのクマ被害と関連するクマは、ヒグマとツキノワグマです。ヒグマは成獣のオスで体長2.0-2.8m、体重は250-500kg程度、メスは一回り小さく体長1.8-2.2mで体重は100-300kg程度とされています。一方、ツキノワグマは体長1.2-1.8メートル、体重はオスで50-120kg、メスで40-70kgとされています。
日本に於ける、ヒグマとツキノワグマの分布は、[図5.1](サイト1)のようになっています。この図には1973年と2003年の調査結果が記載されています。ヒグマの生息域は北海道に限られますが、ツキノワグマは本州及び四国に生息しています。クマ全体でみると、1973年より2003年での確認生息数が増えています。比較するとツキノワグマの方が、1973年より2003年で生息域も拡大していることが判ります。
前回で述べましたが、広島大学の西堀先生から、「広島県に出没しているクマについて解析できないか」との話がありました。最近、広島市内でもクマの目撃情報があるとのことでした。[図5.1]の2003年でのクマの生息域から判断すると、広島市には生息していないとされることから、近年の生息域拡大が確実になっていると考えられます。
地域単位でクマの生息数を予測する為に、クマDNAの検出の程度を数値化する必要があります。そして、得られた数値が現状を映したものであるかを確認する必要があります。
◆ツキノワグマ・ヒグマを検出するプイラマ-の作製
ツキノワグマ・ヒグマのDNA配列を特異的に検出することのできるプライマーを作製する時に注意することは今までと同じです。具体的には、ツキノワグマ・ヒグマのDNAは検出するが、クマとの近縁種である、イヌ科の動物或いはイタチ科の動物のDNAは検出しないプライマーを作製することです。
作成方法の詳細は省きますが、こうした条件で作製したプライマーが、実際のPCRでクマのDNAを検出した例を[図5.2]に示しました。[図5.2]に示したものは、大気環境中にクマ由来の生物デブリが存在することを示しています。次に、それがどの程度存在するのかを数値として表す必要があります。そのために、先ずサンプル中のDNA分子数を測定することにしました。
まず、クマのDNA分子数を3分子、30分子、300分子、そして3,000分子含むサンプルを用意します。それらのサンプルでクマのDNAの検出を試みました。[図5.3]にその結果を示しましたが、検出されたシグナルは、分子数と直線的関係にあり、その相関を示すR値は0.9997となりました。これは極めて高い相関性を示しています(Rが1であれば、完全な比例関係有りです)。
このデータを利用すれば、リアルタイムPCRの結果で、Y軸のCt値を得ることで、そのサンプルに存在するクマのDNAの分子数を計算することができます。つまり、特定の大気環境中でのクマ由来のデブリの量を計算することができるのです。
次の段階として、クマがいるところで、クマDNAが見つかるか、そして、もしクマのDNAが見つかった場合は、クマのいる場所から離れるに従って、検出されるクマのDNA量が減るのかを実際の場所で調べてみる必要があります。
そこで、広島大学の西堀先生と広島市にある安佐動物公園の協力を得て、検証してみました。[図5.4]にその結果を示しましたが、予想通りクマ舎で、大気中のクマDNA分子は最も多く検出され、距離が離れるに従って、検出された分子数は減りました。
もう1サンプル、つくば遺伝子研究所の所在地で捕集した大気中でのクマDNA分子数の測定を行いました。結果、検出数はゼロでした[図5.5]。つくば遺伝子研究所の所在場所である土浦では、クマの出没情報の報告は皆無ですから、検出数ゼロは実際のことを反映していると思われます。
意外だったのが、東広島市にある広島大学の建物の屋上で採取した生物デブリにクマのDNAが検出されたことです。図5.5に示した場所以外でも大気中のクマDNA分子数を測定し、クマDNAマップとして纏めたものを[図5.6]に示しました。この[図5.6]は広島大学の西堀先生のところでまとめられたもので、すでに公表されています。東広島市の広島大学で集めた生物デブリでもクマが検出されていることに不思議と思われる方もあるかと思いますが、最近大学から10km以内で熊の出没情報がありました。今後の課題は、どの程度離れた距離に出没するクマを検出できるのかの検証を考えています。
この結果を敷衍すれば、その地域に生息する特定生物の数までも、大気中の特定生物のデブリ由来DNAを数値化することにより予測することができると考えられます。このことは、夜行性動物、害虫の生息(さらには数)の推定に役立つものと思われます。
前回で、ある食堂でラット由来のDNAが検出されましたが、その時の検査は定性的なもので、食堂内にいるのか、野外にいてそのデブリが外気とともに侵入したのかは定かではありませんでした。これを検証するには、外気でのラットDNA分子数と食堂内の分子数を測定すること、その結果外気に比べて食堂内の分子数が有意に高ければ、食堂内に生息している可能性が示唆されます。次回以降で、大気中の特定生物のデブリ由来DNAを数値化する技術を用いて、病原微生物・害虫を検出することについて紹介したいと思います。
サイト1 https://www.env.go.jp/houdou/gazou/5533/6252/2141.pdf
◎安江 博 わかりやすい!科学の最前線
〈01〉生き物の根幹にある核酸
〈02〉ヒトのゲノム解析分析の進歩
〈03〉DNAがもたらす光と影[1]
〈04〉DNAがもたらす光と影[2]
〈05〉生物種の生存圏
〈06〉大気中の生物デブリ捕集装置を用いたアルゼンチンアリの生存圏の解析 静岡市にはまだアルゼンチンアリが生息していた!
〈07〉大気中の生物デブリ捕集装置を用いた、ドブネズミ(ラット属)の生存圏の解析 この環境にドブネズミはいるのか、いないのか?
〈08〉大気中の生物デブリ捕集装置を用いた、クマ(クマ科)の生存圏の解析
▼安江 博(やすえ・ひろし)
1949年、大阪生まれ。大阪大学理学研究科博士課程修了(理学博士)。農林水産省・厚生労働省に技官として勤務、愛知県がんセンター主任研究員、農業生物資源研究所、成育医療センターへ出向。フランス(パリINRA)米国(ミネソタ州立大)駐在。筑波大学(農林学系)助教授、同大学(医療系一消化器外科)非常勤講師等を経て、現在(株)つくば遺伝子研究所所長。著書に『一流の前立腺がん患者になれ! 最適な治療を受けるために』(鹿砦社)等
◎鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?group=ichi&bookid=000686
四六判/カバー装 本文128ページ/オールカラー/定価1,650円(税込)