◆ウクライナ戦争の本質を問う

今日、世界の政治はウクライナ戦争を離れてはあり得ない。

ウクライナ戦争がどうなるかで、各国の政治も少なからず、影響を受けるようになる。

それで、この戦争の行方を探る様々な試みがなされている。

この戦争がどうなるか、それを究明することは、この戦争がいかなる戦争か、その本質を離れてはあり得ない。

それについては、これまで多くの人々がプーチン・ロシアによるウクライナ侵略戦争だと思ってきた。

しかし、このところの戦争の進展は、どうもこの戦争が単純なロシアとウクライナの戦争ではないことを教えてくれている。

ウクライナに対する米欧各国による武器の供与、経済的支援とロシアに対する制裁、それに同調せず、陰でロシアを支える中国など非米諸国の動き、そしてそのどちらにもつかず離れずの動きを示す国々、どうやらこの戦争をめぐって世界は大きく二分裂、三分裂の様相を呈してきている。

ここで、米欧、それに日本を加えた勢力がいわゆる旧帝国主義諸国なのは誰の目にも明らかだ。

それに対して、中ロなど非米諸国は、何なのか。これについて、一つは、中ロを後進の新興帝国主義と見ながら、それと結びつく非米諸国を一つの帝国主義ブロックとしてとらえる見方、もう一つは、中ロなど非米諸国を中ロまで含め、一つの非米脱覇権、反覇権勢力と見る見方があるのではないだろうか。

この中ロ・非米諸国に関する二つの見方の違いはどこから生まれてくるのか。それは、主として時代のとらえ方の違いによっているのではないかと思う。前者は、現時代をいまだ帝国主義、覇権の時代ととらえており、後者は、帝国主義、覇権時代の終焉、脱覇権時代の到来ととらえているということだ。

この前者と後者、二つの見方の違いによって、ウクライナ戦争をどうとらえるか、その本質も全く違ったものになる。前者の見方からは、戦争は、先進帝国主義勢力と後進帝国主義勢力による帝国主義間戦争になり、後者の見方からは、覇権か反覇権か、その雌雄を決する戦争になる。

◆現時代をどう見るか

時代分析の基準はいろいろあると思う。

しかし、その中でももっとも規定的なものは、人々の意識ではないかと思う。

人々の意識が転換すれば時代が転換し、時代の転換は、人々の意識の転換にもっともよく現れるようになる。

今、人々の意識の転換でもっとも顕著なのは、米覇権に対する意識の変化だ。

かつては、米国が世界のリーダーだった。米ソの冷戦時代にあっても、リーダーは米国だった。ソ連東欧圏の人々の中でも、それが潜在的にあったのではないだろうか。

しかし、今は違う。

米国が世界のリーダーだと思っている人は、もはや決定的に少数派になっているのではないだろうか。

世界的範囲での自国第一主義の台頭は、偶然的な「ポピュリズム」ではない。確固とした世界史的趨勢になっている。

ウクライナ戦争にあっても、米国によるウクライナ支援の呼びかけに対し、それに従わない自国第一の風潮がヨーロッパだけでなく当の米国をはじめ全世界に生まれているのはそのことを示していると思う。

この時代的転換の時、ウクライナ戦争をどう見るか。

古い帝国主義間戦争と見るのは無理があるのではないだろうか。

◆ウクライナ戦争の行方を予測する

ウクライナ戦争の行方を見定める上で、そのメルクマールとしてよく言われるのは、ロシアとウクライナ双方の武装状況の比較だ。特に、米欧からのウクライナへの武器供与状況がどうなるかで戦争の行方が云々されている。

戦争において、武器が占める比重が大きいのは言うまでもない。しかし、それで戦争の勝敗が決定されるかと言えば、そうではない。戦後、米国が引き起こした戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン・イラク戦争、等々で米国が勝てなかったのはなぜか。その原因が武装の劣勢にあったのでないのは自明のことだ。それは間違いなく、他国を侵略する者と自国を守る者との意識の違いにあった。

ここから見た時、ウクライナ戦争はどうか。

そこで確認すべきは、この戦争の本質だ。重要なのはこの戦争がロシアによるウクライナへの侵略戦争でも帝国主義間戦争でもないことだ。

プーチン・ロシアは、なぜあの「特殊軍事作戦」を起こし、ウクライナに攻め入ったのか。それについて、プーチン自身、ウクライナの中立化、非武装化、非ナチス化をその目的として挙げている。すなわち、米欧覇権によるウクライナのNATO加盟の促進、対ロシア軍事大国化、ナチス化の推進を止めさせるための「作戦」だったということだ。

だが、ウクライナ戦争の進展は、先述したように、この戦争の持つ意味がそれに留まらず、より大きく広がっているのを示している。米欧日帝国主義覇権勢力と中ロを含む脱覇権勢力間の世界を二分する世界史的な戦いだと言うことだ。

実際、この数年間、米国は中ロを対象に衰退する米覇権を建て直すため、その覇権回復戦略として、「米対中ロ新冷戦」を、二正面作戦を避け、「米中」は公然と、「米ロ」は非公然に敢行してきていた。プーチン・ロシアによる「作戦」は、その米国を二正面作戦に引っ張り出し、覇権対脱覇権の世界的な戦いに決着をつける、そのような目的を持って引き起こされたのではないだろうか。

この目的は、若干の紆余曲折は経ながら、大きなところでは現実化されてきているように思う。そのような視点からウクライナ戦争を展望するとどうなるか。

この戦争が持つこうした本質は、米英覇権のプロパガンダがいかに巧妙であっても、それを打ち破り、ロシアの人々、ウクライナの人々の意識を変えていくと思う。この戦争は、ロシアにとってあくまで正義であり、ウクライナにとって、どこまでも米欧覇権に代理戦争をやらされる屈辱に他ならない。

 もちろん、こうした意識がロシアやウクライナの人々皆のものになるのには時間が必要かも知れない。しかし、何ものもこの戦争の持つ本質をごまかすことはできず、ロシアとウクライナ、そして全世界の人々の意識を欺くことはできないだろう。

小西隆裕さん

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年によど号赤軍として渡朝。現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』