4月23日に投開票された統一地方選とともに、注目されていた衆参補選の5選挙区では、自民・維新が占める結果となりました。一方で、東京都練馬区議選で「大量落選」したのが公明党。これまで当選ラインを狙って候補者数を調整し、完璧に近い票の配分をしてきた同党が“コントロールミス”を犯したような格好です。このことで、公明党の選挙手法の一端が垣間見えてくるようでもあります。
この選挙で躍進した維新が肝いり事業とするのが「大阪・関西万博」ですが、今どき万博で人々の共通の未来を語ることが可能なのか。東京五輪が阻害した各種業界のマーケティングの「展示会」の方が、よほど有意義なのではないかと思われます。技術革新・消費のサイクルが早まるとともに、企業の平均寿命がどんどん短くなり、転職斡旋会社の宣伝では、人は人生で平均2回は転職するなどとPRしています。少なくとも今流行りのSDGsが利権づくりや一部の人々にとって「サステナブル」でしかないことが明らかとなりつつある現在、それぞれの個人の未来を確保することこそ必要なことです。しかも、大阪・関西万博は土壌汚染や軟弱地盤の問題、それゆえに上がり続ける整備費など、本誌も指摘してきたようにいくつもの問題を抱えています。政府が認可したカジノとともに「金だけ、今だけ、自分だけ」を象徴すると言っても過言ではありません。
解散・総選挙の可能性も取り沙汰されています。“爆発物事件”が暗い影を落とすのは、それが選挙を妨害するからではなく、議論すべき争点をぼかすことにしかならないからで、解散風とともにこの事件が活用されるのではと、マスコミ報道も気になるところ。自公政権におもねるマスコミこそ選挙妨害に加担しているのではないか、との検証こそ必要です。放送法解釈変更問題とは、その観点から論じられるべきものでしょう。事件については与野党が「民主主義の破壊」と非難する一方、容疑者も過去に起こした訴訟の中で、「安倍国葬」の強行を「民主主義への挑戦」と批判していたそうです。後者はともかく前者については、選挙があれば民主主義なのか、ということも、考えなければなりません。
本誌がシリーズ連載でレポートしている多くの冤罪事件をみても、日本社会のシステムが正常に機能していないことは明らか。ついでにいえば、仕事をこなすように犯罪が行なわれる「ルフィ」事件で、長らく誇ってきた治安の良さも、神話となりつつあるようです。さらに、AI技術が人の意思決定を奪うという今月号記事の指摘も重要です。5月号では、G7広島サミットが日米「核共有」、すなわち自衛隊の核ミサイル部隊化の契機となるとの分析を掲載しました。続いて今月号では、“次の戦争”への導火線としてヒロシマが政治利用される、その無惨な現状を明らかにしています。日本ではほとんど報じられないものの、米国覇権・ドル覇権の終わりが見えてきています。その事実が米国に“次の戦争”を求めさせる…それこそが台湾有事で、それに向けて自衛隊への敵基地攻撃能力の付与に加え、「同志国」に軍事的支援を行なう「OSA=政府安全保障能力強化支援」の創設も日本政府は表明。「新しい戦前」を危惧するどころか、“次の戦争”とその準備がいよいよ整いつつあります。
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『紙の爆弾』編集長 中川志大