国民の大多数から「無実なのに死刑囚にされた冤罪被害者」と認識されている袴田巌さんの再審がついに行われることになった。袴田さんは1966年の逮捕から現在まで57年にわたり、殺人犯の汚名を着せられてきたが、無事に再審が行われれば、無罪判決を受けることは確実だとみられている。
このような状況の中、過去に袴田さんに対し、無実の訴えを退ける判決や決定を下した裁判官たちはどのような思いで、どのように過ごしているのだろうか。当連載では、該当する裁判官たちの中から存命であることが確認できた人たちに対し、公開質問を行っていく。
5人目は内山梨枝子氏。静岡地裁の裁判官だった1994年8月8日 、鈴木勝利裁判長、伊東一廣裁判官と共に袴田さんの第一次再審請求審を担当し、再審請求を棄却する決定を出した人だ。
◆「内山氏の略歴」と「内山氏への質問」
内山氏は1960年8月12日生まれ、北海道出身。1989年4月に千葉地裁で裁判官人生をスタートさせ、その次に勤務した静岡地裁で鈴木裁判長らと共に袴田さんの再審請求を棄却した。
その後は1995年4月に静岡家地裁浜松支部、1999年4月に名古屋地裁、2003年4月に静岡家地裁、2007年4月に静岡家地裁富士支部、2009年4月に静岡地家裁富士支部長、2012年4月に大阪高裁、2015年4月に静岡家地裁、2018年4月に横浜地家裁小田原支部──という異動を重ね、2022年4月より長野地家裁松本支部長を務めている。
見ておわかりの通り、内山氏の勤務地は、袴田事件が起きた静岡県もしくはその隣県がほとんどだ。
そんな内山氏に対しては、以下のような質問を書面にまとめ、郵便切手84円分を貼付した返信用の封筒を同封のうえ、長野地裁松本支部に特定記録郵便で郵送し、取材を申し込んだ。
【質問1】
袴田巌さんは再審が決まり、無罪判決を受けることが確実な状況となりました。内山様はこの状況をどのように受け止めておられますか?
【質問2】
内山様がこれまで裁判官として勤務された地は、静岡県もしくはその隣県がほとんどです。袴田事件が起きた県であり、釈放後の袴田巌さんやその姉・ひで子さんらが暮らしている静岡県もしくはその隣県の裁判所で勤務されることについて、心理的な抵抗はなかったのでしょうか?
この質問に対して、内山氏からは以下のような回答が郵便で届いた。なお、内山氏に郵送した「郵便切手84円分を貼付した返信用の封筒」は、回答と一緒に返送されてきた。
令和5年6月19日
片岡健殿
長野地方裁判所松本支部庶務課
5月22日付けの当支部所属裁判官宛ての取材依頼に対する回答について
標記取材には応じません
なお、返信用切手は返還します。
内山氏については、追加取材をすることを検討している。
※内山氏の生年月日と出身地、異動履歴は『司法大観 平成二十八年版』と『新日本法規WEBサイト』の情報を参考にした。
▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ─冤罪死刑囚八人の書画集─』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。