プリゴジンのバフムト撤退および国防相批判、参謀総長批判が、プーチンに粛清の「長いナイフの夜」を招来させるのではないかと、ちょうど一カ月前にわれわれは指摘してきた。
◎「勇者たちは地獄に堕ちるのか? ロシアの民間軍事企業『ワグネル』創設者プリゴジンはプーチンに粛清されるかもしれない」(2023年5月27日)
◆政変をめざしたのは明らかだったが……
その後、ワグネルの宿営地がロシア正規軍のミサイル攻撃を受け、プリゴジンは報復としてロシアのヘリコプターを撃墜して13名を殺害した。
そしてプリゴジンは軍幹部の粛清をもとめて、モスクワ進軍を開始したのだった。その過程でプリゴジンは地方で小政治集会をひらき、国民の支持を取り付ける行動に余念がなかった。さらには南部の大都市ロストフ・ナ・ドヌーの軍事拠点を占拠し、市民の大歓迎を受けたのである。この大歓迎は、メディアやネットでは有名だが、じっさいにワグネルを観たのは初めてだった市民の「大歓迎」であったとされる。伝説のヒーローたちが、手際よく軍司令部を占拠したことへの愕きでもあった。
このワグネルの「行進」がムッソリーニのローマ進軍(国王エマニエーレ3世による総理指名)、ヒトラーのミュンヘン一揆(失敗・投獄)に倣い、政変をめざしたのは明らかだったが、プーチンに「裏切り」と断じられ、検察当局が捜査を開始した段階で、部下に撤退を命じた。クーデターは未遂におわり、プリゴジンはベラルーシに「亡命」したと伝えられている。
この「亡命」劇は、ただちに粛清に乗り出せないプーチンが、盟友ルカシェンコ(ベラルーシ大統領)と相談の上、収拾策に出たものだ。プーチンの政治力の低下を指摘する声は多い(西側首脳)が、軍事衝突を回避した手腕は独裁者の冷徹を感じさせる。プーチンは政治危機を脱したのだ。
◎[参考動画]プリゴジン氏 反乱収束以来初めて声明発表(2023年6月27日)
◆スターリン流の粛清劇が待っている
ナチスドイツの「長いナイフの夜」は、独自の指揮系統と武器供与をもとめたナチス党突撃隊(党の軍隊)とプロイセンいらいの国防軍の矛盾だった。ナチスの党内対立(権力の強化をめざすゲーリング、ヒムラーらとエルンスト・レーム)もあった。ヒトラーは盟友レームと国防軍の矛盾に悩み、しかし最後はみずから親衛隊を率いて粛清を断行したのである。「裏切りは許さない」と。
これは法に拠らない虐殺・死刑執行であり、西欧諸国はヒトラーの無法を批判したものだった。しかし唯一、この粛清劇を称賛したのが、ソ連の独裁者スターリンだった。政治局会議で、スターリンはこう発言した。
「諸君はドイツからのニュースを聞いたか? 何が起こったか、ヒトラーがどうやってレームを排除したか。ヒトラーという男はすごい奴だ! 奴は政敵をどう扱えばいいかを我々に見せてくれた!」(スターリンの通訳だったヴァレンティン・ベレシコフの証言)。
この発言から5ヶ月後の1934年12月に、スターリンの有力な後継者かつ潜在的なライバルと目されていたセルゲイ・キーロフが暗殺された。キーロフ暗殺を契機に、スターリンはソ連全土で大粛清を展開していくことになるのだ。
このスターリンを「偉大な指導者」と評価してきたプーチンは、レーニンの「分離(独立)をふくむ連邦制」を批判して、今回のウクライナ侵攻に踏み切ったのだった。レーニンが批判した「スターリンの粗暴さ」を体現しているのが、プーチンその人なのである。
おそらくプリゴジンは、密かに粛清されるであろう。だからいったん国外に退去させ、ロシア国民との接点をなくしてから、人々がプリゴジンの名を忘れかけた時期に「窓から転落させる」か、毒物で密殺すると予告しておこう。すでに昨年らい、10人をこえるプーチンに批判的なオリガルヒや政治家が、プーチンの命で密殺(不審死)されているという。
ウクライナ戦争が軍幹部による陰謀(プーチンへの嘘の進言)であり、不正義の軍事行動であると断じたプリゴジンは「正義の行進」をモスクワまで続けるべきだった。まさに「侵略戦争を内戦へ」(レーニン)と転化することで、かれの「正義」は実現されるべきだったのだ。なぜならば、国民の多くは彼の「正義」を支持していたのだから。
◎[参考動画]夢の亡国共産主義④スターリンの大粛清
▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。