今回も前回に引き続き、地域医療に尽力する医師・松永平太氏の著書、『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』(幻冬舎)の書評の第2回目をお届けする。
第1回目、「家族の介護を大前提とする、いくつかの描写や意見・感想」に違和感を抱くが、「さまざまな現実に真剣に向き合ってきた松永氏の考えは実際、わたしとまったくかけ離れていることはない。また、彼が手がけていることは、まさにコミュニティでのケアを理想的な形で実現させるためのものなのだ」と記した。
これに関し、松永氏に改めて確認したところ、「これから日本は、独り暮らし、認知症の高齢者がドンドン増えてきます。認知症の独居を想定した看取り文化を創りたいと考えています。なので、家族介護が必須要件とは考えておらず、おひとり様でも地域で最期まで生き切ることのできる社会を目指します。中に、田舎には婆ちゃん独り、都会に子供たちパターンで、最期の1週間だけ最後の親孝行をするため帰郷して満足死を達成する実例を出していました。家族がいなくても私たちが愛しますので、独りぼっちにさせません」というメッセージを届けてくれた。
◆孤独死を除く在宅死亡率は1割未満
さて、本書に戻る。前回も触れた介護保険の問題を象徴することとして、松永氏は、「介護保険が導入されて二十数年が経つにもかかわらず、逆に家で死ねない時代になっているのです。数十年で病院の死亡率は80%弱とあまり変わりはなく、施設で最期を迎える人が増えているのです」と訴える。
また、在宅死亡率は全国平均で15.7%だが、ここにはいわゆる孤独死が含まれているため、「自宅にいて家族や訪問看護師、医師らに看取られた患者の割合は在宅死亡率の6~7割ほどではないかと考えています」と伝える。つまり、9.4%、1割未満というわけだ。平均寿命は、平安時代が26歳、江戸末期でも31歳とのこと。これが現在では84歳(厚労省の発表によれば2022年の男の平均寿命は 81.05年、女は87.09年)にまで延びている。
本書では取り上げられていないが、たとえばインターネット上では、高齢者を既得権者として敵視するような論調を目にすることがある。自らの悩みや貧困の原因は、余裕のある年金生活を送り、旅や趣味を楽しみながら悠々自適な生活をして、政治にもいうことをきかせている。高齢者があぐらをかき、のさばっている。そのような語り口だ。
しかし、このような世代間論争とは本当の既得権者によって対立をあおられているようなものであり、どの世代にとっても社会はよいものとならない。
松永氏は、常に地域の高齢者を診ている。だからこそ、彼らのために現実的に自分ができることを、次々と実現させていく。診療所だけでなく、2000年の介護保険法が施行される際に訪問看護ステーションとヘルパーステーションを設立し、02年にはデイサービスセンターを設置。また、06年には老人保健施設とグループホーム、認知症対応型デイサービスも開設した。彼は本書に、「地域住民の命を元気にさせ、命を輝かせるツールはほぼできあがりました」と記す。
◆予防医療の導入によって目指す「穏やかな最期」
松永氏が医師になったばかりの頃は、「穏やかな最期を迎えることは難しく、みんなが同じように病院で死んでいた時代」だったそうだ。
わたしが12歳、1984年に父ががんで亡くなる前は、痛みに苦しんで叫び続け、モルヒネだか痛み止めを使用。きれるか慣れて効かなくなるとまた叫んでいた。最期は、機器を見ると止まった心臓が再び動いたようだったが、臨終だといわれてすべてが終わった。母は疲弊しきり、火葬場では「後を追って死ぬ」と叫んだ。その瞬間も悲劇的だった。母は、その後、父は過労死だと口にしていた。症状は現れていたはずだが、耐え続けて病院に行くのが遅く、また当初の誤診もあった。
松永氏が医師になった1992年頃でも、そのような悲劇的な最期を迎えるような状況に大きな変化はなかったのだろう。ただし、そのような時代でも本書によれば、長野県では予防医療が進んでいたという。彼は、その後これを千倉に導入し、定期的な検査・看護師による生活支援・在宅医療を施すようになった。「体を動かす習慣をつけたり、社会活動に参加したりといった生活環境も重要」なので、「健康講座の開催や、地域の人が互いにつながる地域活動にも力を注いで」いる。(つづく)
◎地域医療の最先端モデルに学ぶ ──《書評》松永平太著『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』
〈1〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=47434
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▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『紙の爆弾』『NO NUKES voice(現・季節)』『情況』『現代の理論』『都市問題』『流砂』等に寄稿してきた。フリーランスの労働運動・女性運動を経て現在、資本主義後の農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動、釣りなども手がける。地域活性に結びつくような活動を一部開始、起業も準備中。