日本製鉄瀬戸内製鉄所呉地区、いわゆる呉製鉄所が9月14日、72年の歴史に幕を下ろしました。既に2021年秋に高炉での生産は停止しており、この日、最後の製品を出荷しました。


◎[参考動画]【日本製鉄瀬戸内製鉄所呉地区】出荷終了 全設備を停止(2023年9月15日広島テレビ)

呉市は特に日露戦争以降、第二次世界大戦までは大日本帝国海軍の軍港都市として栄えました。人口では一時は広島に迫る勢いもありました。皆様もよくご存じの戦艦・大和の母港でもあります。その大和をつくった旧海軍工廠も呉大空襲で大きな被害を受けます。

◆製鉄所は「一応」平和都市としての再出発の象徴

そして、呉は旧軍港市転換法(軍転法)により、一応、平和都市として再出発をします。一応、というのは、戦後も結局、海上自衛隊の呉基地がおかれ、特に2001年の911テロ後のアフガニスタン戦争には、後方支援とはいえ、呉からも補給艦がインド洋に出撃した歴史的な事実があるからです。

旧軍港市転換法は、大日本帝国憲法下の日本において軍港を有していた呉、佐世保、横須賀、舞鶴の「旧軍港四市」を平和産業港湾都市に転換する事により、平和日本実現の理想達成に寄与する事を目的として制定された法律(特別都市建設法)で、軍転法とも呼ばれました。1950年4月に国会可決された後、特定の自治体に対象を限定した法律を作る際には住民投票が必要、という日本国憲法第95条の規定により、各市で住民投票を実施しました。

今でこそ、「特区」制度があり、故・安倍晋三さんら権力者のさじ加減にも左右されていましたが、きちんと法律の形で住民投票を経るというのが「特区」のあるべき本来の姿であることは確認しておきたいものです。その「一応」平和都市の呉の目玉は、旧海軍工廠跡地に誘致した製鉄所でした。

◆1975年頂点に転落、呉と広島の経済

広島県は、1975年に一人当たり県民所得が全国でNO3になりました。いわゆる重厚長大産業を軸に広島が栄えていた時期です。同時に、カープが初優勝し、新幹線もこの年、広島も通るようになったことなどもあって、一番わいた時期でした。


◎[参考動画]1975年 広島カープ初優勝の瞬間(TBSラジオ)

そのころ、県内第三の都市である旧呉市とその後合併された地域を併せた人口は30万人を超えていました。ところが、いわゆる円高不況が襲った1985年頃から人口は右肩下がりの一方で、現在は20万人強まで激減しています。工業から観光都市への転換なども図っているのですが、なかなかうまくいかない状況がありました。2005年には平成の大合併が行われ、旧音戸町、倉橋町、蒲刈町、安浦町、豊浜町、豊町を吸収しました。しかし、吸収された地域は、役所が支所に降格されて不便になるなどの悪影響もあって衰退。

他方で、吸収合併によって旧呉市が栄えているかと言えばそういうこともなく、若い人は旧呉市を飛び越えて、広島市、あるいはさらには東京などに行ってしまう状況があります。実際、筆者の勤務先の介護施設でも呉市出身のご利用者はたくさんおられますが、「息子や娘、孫は東京にいて時々しか見舞いに来られない」という方が多いのです。観光で旧各町の特徴を活かせているかと言えばそういう感じでもなく、むしろ、呉市としてまとまってしまった結果、特徴が失われてしまい、魅力が低下しているようにも思えるのです。

◆広島市民としても呉には踏ん張ってほしい

そこに、呉昭和高校の廃校なども追い打ちをかけ、さらに今回の製鉄所の廃止も大打撃となっています。製鉄所の社員だった人の9割は再就職が決まったとも伝えられています。今の人手不足のご時世です。近隣の東広島市や安芸郡、広島市などへ行けば求人はたくさんあります。1980年代のリストラの時ほどの失業問題はないかもしれない。ただ、今後、若い人がますます流出するのは間違いありません。今の状況だと、筆者が住む広島市に人が来るというよりは、広島市内の大学などを経由して、東京やあるいは海外へ流出する若い方が多いでしょう。そうなると、呉から買い物や遊びに来る人の減少などを通じて、広島市中心部にも大きな打撃になります。ある程度、呉市にも踏ん張ってもらわないといけない。

ただ、このまま、130ヘクタール、マツダスタジアム36個分の土地が浮いたままであることは損失です。もちろん、今の製鉄所解体までには10年かかるそうです。従って、より良い跡地利用策をそれなりにじっくり考える時間はあります。

◆寺田稔議員は病院船誘致というけれど……

 

寺田稔衆院議員と地元自民党県議によるチラシ

バブル経済までなら、テーマパークという手もあったが、テーマパーク自体が呉市で一時期行われて失敗しています。呉ポートピアランドで、既存の廿日市市のナタリーランドと共倒れになり、114億円の負債を残すという有様でした。おそらく、2030年代にそんなテーマパークが採算に合うとも思わない。

また、地元の寺田稔衆院議員と地元自民党県議は、別紙のようなチラシ(写真:筆者の友人宅にポスティングされていたチラシ)を全戸配布しているそうです。すなわち、病院船の拠点に製鉄所跡をする、というのです。ただ、病院船を政府も検討はしているのですが、医療スタッフの確保が現実的には難しいのです。ただでさえ、人手不足の医療業界。正確に言えば、仕事のきつさに給料が見合っていない医療業界。病院船に医療スタッフを確保する余地がどこにあるというのでしょうか?新自由主義が抜けきらないどころかむしろ安倍晋三さんよりも加速しつつある岸田政権では無理でしょう。

一部の市民の間で噂としてささやかれているのは、武器工場です。事実上の先制攻撃も辞さない岸田軍拡の中で、国有の武器工場も可能にする軍需産業支援法が今年できています。総理の地元である広島県内で、しかも大きな土地が空いたということでそのモデルケースという可能性はなきにしもあらず、です。

しかし、旧軍港市転換法(軍転法)で呉は一応、平和都市として再出発したはずです。また、「武器ばかり買っても」「作っても」意味はありません。そもそも、今の日本では近隣で戦争が起きたとたんに食料でもエネルギーでも「詰み」になってしまいます。全力を挙げて、死に物狂いで戦争を止める。そういう外交でないといけない。また、先日は、近隣の江田島に駐屯する自衛隊の給食が「ホーユー」に委託されていたために、同社の破綻で大混乱になってしまいました。岸田総理には武器をつくる前に、自衛隊員の食事をなんとかしろ、と申し上げたい。

◆筆者の案は「再生可能エネルギー」ないし「食料生産」基地

筆者の案は「再生可能エネルギー」の基地ないし「食料生産」の基地です。

2030年代には、今よりもさらに日本は食料やエネルギー事情が苦しくなるのは目に見えています。今までは、日本は食料やエネルギーは金を出して買える状況がありました。ところが、そうではなくなってきた。食料を買う外貨を稼ぐような付加価値の高い産業を育成しておけば良かった、それならば、食料やエネルギーは軽視しても構わないという話も、1990年代~2010年代くらいには横行していました。しかし、ここまで人口が多い国で食料やエネルギーの自給率が低い国というのは他には存在しません。

エネルギーについていえば原発は核のゴミ問題で2030年代には大変なことになっているし、それまでにまた福島のような原発震災の可能性もある。南海トラフだけではなく、伊方原発や島根原発、川内原発などの近傍にも大きな活断層はあります。再生可能エネルギーと蓄電池、スマートグリッドの組み合わせ、という方向しかないと考えられます。

再生可能エネルギーの生産については他の場所でもできるので、港という利点を生かすなら蓄電池の工場とか、あるいは、今後の技術の進歩も踏まえたタンパク質系を軸とした食料生産工場というのが妥当と筆者は考えています。昔は、田んぼや海を埋め立てて食料生産の場を減らしつつ、重化学工業を盛んにしていったわけですが、今は時代状況に合わせてその逆をやればいいのです。

◆民主的議論を経た住民投票で跡地活用策決定を

ともあれ、旧軍港都市転換法という市民の総意で出来た法律で呉市は再出発し、製鉄所もできています。その趣旨と歴史的な経緯を踏まえた跡地利用策であるべきと考えます。10年という解体期間があります。歴史的な転換期にあると考えれば、民主的な議論を経て住民投票でこの製鉄所跡地の利用策を考えるべきでしょう。

そして民間だけでも呉市だけでも、有効な利用策は明らかに無理です。県や国の支援、もっと踏み込んでいえば国の直轄事業でやるべきでしょう。「国の事業を持ってくるしかない。広島の地元財界で新しいことをガンガンやれる人はいない」(県内の企業経営者)「県も市もそこまで力量はない」(元呉市職員)というのが本当のところだと筆者も実感します。

なお、安倍晋三さんや広島県の平川教育長らのような、中途半端に政治家のお友達の民間企業に中抜きさせるような新自由主義政策ではだめです。できれば「軍転法」を活かしたまま「旧重厚長大都市転換法」のような、呉市のような全国の元重厚長大産業都市を円滑に転換させるための特別法をつくったらどうか?

ただ、筆者の上記の考えを実現するには、国の中央レベルでの政権交代が最低必要ですし、新自由主義が酷すぎる広島県知事、呉市長の交代もおそらく必要でしょう。新しい産業への投資に積極的な財政出動をしつつ、専守防衛と平和外交という基本を維持できる勢力への政権交代です。これがなかなか難しいが、10年という期間の間に不可能とは思えません。その意味からもきちんとした議論を地元で行い、呉市民投票ないし広島県民投票を経ての活用策決定を望みます。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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