◆阪神淡路大震災後の新長田駅 ── なぜここに「小川」なのか?
29年前の1995年1月17日に発災した阪神淡路大震災のあと、私は神戸のあちこちに支援に入った。最初は避難所に、そのうち様々な理由から街中の公園や空地にテントを張り避難している人たちに支援物資を届けるようになった。
火災で街を消失させた長田を訪れたのは震災からひと月後だった。その間何度か雨が降ったのに、焼け野原になった街にはまだ煙の臭いが漂っていた。
それから神戸は何度も訪れていたが、その長田を訪れたのは数年前だ。新長田駅に降り、いかにも復興のために建設されたような「アスタくにづか1番館」というビルに入る「神戸映画資料館」の上映会に行ったときだ。一緒に行った知人が、駅の反対側に冷麺の有名な店があるというので、上映前に寄り、そのあと街を散策した。
在日の人たちが多数住んでいたその街には、私の知人男性も、両親とケミカルシューズの工場を営んでいた。震災前の街は、メディアなどでしか知らなかったが、街は「復興」の名のもと劇的に様変わりしていた。
あるビルの前に小さな「小川」が流れていた。小川と言うより、その一角だけを流れる「小川」。火災の際、消火機能をもつ小川ではない。復興で乱立して建てられたビル群をおしゃれに演出するように流れる短い小川を見て、私はふと違和感を覚えた。長田の町におしゃれな小川が似合わないというのではない。でもなぜここに「小川」なのか?
◆3・11後の飯舘村 ── 村営復興住宅と三菱総合研究所
それと似た違和感を、私は、3・11以降、仲間と支援してきた福島県飯舘村でも感じた。飯舘村の面積は大阪市とほぼ同じ面積でそこに20の行政区があった。震災後作られた「いいだてまでいな復興計画」(「までいな」とは村の方言で「丁寧に」「心を込めて」を意味する)では、当時帰還困難区域だった長泥地区を除く19の行政区全体で計画が進む予定だった。
しかし、2013年9月、安倍晋三首相(当時)がIOC総会で「汚染水は制御されている」という嘘のプレゼンテーションを行い、2020東京五輪の招致に成功して以降、大幅な変更を余儀なくされた。村の中心にある「深谷地区」が復興拠点に選ばれ、村の復興はそこを集中的に進めることとなった。
なぜ深谷地区か? 深谷地区には村で唯一の幹線道路が通っており、復興はその道路上に「ハコモノ」を並べる形で進んだ。コロナ感染拡大などのため1年延期で開催となった東京五輪、注目を浴びる聖火リレーで飯舘村の走者は、幹線道路脇に建てられた「ふれ愛館」と道の駅「までい館」の間を走ることとなった。
前述したが、飯舘村の面積はほぼ大阪市と同じ。そのふれあい館からまでい館の距離は短く、大阪市内で例えれば心斎橋駅から難波駅までの1区間だ。その間を走者が走り、世界中から来日したメディアがその姿を追うだろう。道路脇に建てられたハコモノが全世界に披露され、世界中に「福島は、飯舘村は復興した」とアピールできたであろう。しかし、安倍政権のこの思惑は実質失敗に終わったのだが。
2019年、私は深谷地区を再び訪れ、までい館の裏に建設・整備された村営復興住宅を見に行った。赤、青、黄のカラフルな、まるでおとぎの国に出てくるような家々……。私はそこでも強烈な違和感を感じた。飯舘村の人にこんなにカラフルでかわいいい家が似合わないというのではない。しかし、こんな家は村に戻る人たちが住みたいだろうか?あるいは住みやすいのであろうか?
※飯舘村深谷地区に建設された復興住宅 https://twitter.com/i/status/1117912386554384386
じつは、飯舘村の復興計画には、原発メーカーの三菱の系列の大手コンサルタント会社・三菱総合研究所が事務局で関わっている。そう考えると、までい館裏に建てられた復興住宅が、三菱所員が都内の一等地、空調の効いたこじゃれた設計事務所で「線をひいた」みたいな復興計画だということが良くわかる。
そこには膨大な復興予算がつぎ込まれ金の一部は当然、三菱総合研究所にも流れていく。ちなみに飯舘村と共同で進むメガソーラーに関わるのは、同じく原発メーカーの東芝だ。一昨年亡くなった飯舘村の元前田地区区長の長谷川健一さんが著書「原発にふるさとを奪われて」に書いていたように、「原発事故で多大な損害を受けた村が、原発で禄を食(は)んできた彼らの世話になる理由などないからです。そもそも彼らは抗議をする相手なのであって、世話になるパートナーではないのです」。
◆「原発を動かしては儲け、原発を壊しては儲けているハイエナ」のような連中
3月6日、ある男性が「復興はビジネスだ」と訴えた動画がX(旧Twitter)に投稿、250万回近く再生されている。ぜひ見て欲しい。この方は高山俊吉弁護士。現在も続くウクライナとロシアの戦争について話しているのだが、先の飯舘村の例を見ればわかるように、同じことが原発事故にも言えるのではないか。
※高山俊吉弁護士が「復興はビジネスだ」と訴えた動画
https://x.com/necoakachan/status/1765286053693231595?s=20
しかも、「復興」を被災した人たちのためともいわず、露骨に「金儲けのため」といわんばかりの計画が進んでいるのが、浪江町の請戸地区周辺だ。この地区は、地震で津波が押し寄せ、ほとんどの家屋などが流され、一面広大な更地になった。私が初めて訪れた2018年には、周辺に大きな工場がいくつも見えたが、それが何の工場なのか、どのような計画が進行しているのかはわからなかった。
同じ場所を昨年、今野寿美雄さんの案内で訪れた。今野さんのお話から、ここには様々な工場が誘致されているということだ。中には、飯舘村の復興に関わり大いに儲けた原発メーカー、あるいは全国の原発で労働者に被ばく労働を強い、儲け続けるゼネコンなどが関わっているということだ。
まさに「原発を動かしては儲け、原発を壊しては儲けているハイエナ」のような連中が集まってきているのだ。
今年元旦に発生した能登半島事件でも同じことが起こるだろう。金沢在住の知人から、能登半島には、数戸の古い家屋が点在する過疎地が多数あると聞いた。その知人が呟いていた。
「能登半島に現在残っている過疎地の年寄りの排除が出来た後ににやってくるのがリゾートなのか原発なのか廃棄物処理場なのか軍事基地なのかわからないがよく見ておく事にする」。
▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58
『季節』2024年春号(NO NUKES voice 改題)
能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切
《グラビア》能登半島地震・被災と原発(写真=北野 進)
《報告》小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
能登半島地震から学ぶべきこと
《報告》樋口英明(元福井地裁裁判長)
地雷原の上で踊る日本
《報告》井戸謙一(弁護士・元裁判官)
能登半島地震が原発問題に与えた衝撃
《報告》小木曽茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
珠洲・志賀の原発反対運動の足跡を辿る
《報告》山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
「大地動乱」と原発の危険な関係
《講演》後藤秀典(ジャーナリスト)
最高裁と原子力ムラの人脈癒着
《報告》山田 真(小児科医)
国による健康調査を求めて
《報告》竹沢尚一郎(国立民族学博物館名誉教授)
原発事故避難者の精神的苦痛の大きさ
《インタビュー》水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表)
命を守る方法は国任せにしない
《報告》大泉実成(作家)
理不尽で残酷な東海村JCO臨界事故を語り継ぐ
《報告》後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
《検証》日本の原子力政策 何が間違っているのか《2》廃炉はどのような道を模索すべきか
《報告》森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
すべての被災者の人権と尊厳が守られますように
《報告》平宮康広(元技術者)
放射能汚染水の海洋投棄に反対する理由〈後編〉
《報告》漆原牧久(脱被ばく実現ネット ボランティア)
「愛も結婚も出産も、自分には縁のないもの」311子ども甲状腺がん裁判第八回口頭弁論期日報告
《報告》三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
本当に原発は大丈夫なのか
《報告》佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
日本轟沈!! 砂上の“老核”が液状化で沈むとき……
《報告》板坂 剛(作家/舞踊家)
松本人志はやっぱり宇宙人だったのか?
《報告》山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈23〉
甲山事件五〇年目を迎えるにあたり誰にでも起きうる予期せぬ災禍にどう立ち向かうか〈中〉
《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
能登半島地震と日本の原発事故リスク 稼働中の原発は即時廃止を!
《老朽原発》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
《志賀原発》藤岡彰弘(志賀原発に反対する「命のネットワーク」)
《六ヶ所村》中道雅史(「原発なくそう!核燃いらない!あおもり金曜日行動」実行委員会代表)
《女川原発》舘脇章宏(みやぎ脱原発・風の会)
《東海第二》久保清隆(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《地方自治》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)
《反原発川柳》乱 鬼龍 選