携帯電話の基地局設置をめぐる電話会社と地域住民のトラブルが絶えない。2005年から、この問題を取材しているわたしのところには、年間で50件ぐらいのトラブル相談が寄せられている。わたしは取材すると同時に、問題解決にも協力している。
かつてわたし自身がトラブルに巻き込まれた体験があり、この問題の深刻さを熟知しているからだ。2005年、埼玉県朝霞市岡3丁目にあるわたしの住居(集合住宅)の真上にKDDIとNTTドコモが基地局を設置する計画が浮上したのだ。計画は頓挫させたが、そのための労力は大変なものだった。
基地局を設置する電話会社は、それがみずからの特権と言わんばかりに強引に目的を達する。過去には熊本市で九州セルラー(現、KDDI)が警備員を使って、座り込みの抗議を続けていた住民らを排除した事件が起きている。
その強権的な実態は、戦車が住居をなぎ倒して進んでいくイメージに類似している。しかも、無線通信網の普及が国策になっている関係で、マスコミはほとんど基地局問題を報じない。
本稿では、最初に基地局から放射されるマイクロ波が、人体にどのような影響を与えるのかを科学的な観点から説明する。その上で現在、さいたま市で起きている2件の事件を紹介しよう。
ひとつは、JR大宮駅の近辺に位置する高層マンションのケースである。事業主は楽天モバイルで、すでに基地局を稼働している。もうひとつはJR武蔵浦和駅に隣接する商業施設の中にあるタワーマンションのケースである。事業主はソフトバンクで、マンションの管理組合と協働して基地局設置に向けて計画を進めている。管理組合の理事長は、意外なことに「人権派」弁護士の集まりとして有名な東京法律事務所(新宿区四谷)の弁護士である。
◆市民運動体による誤情報
電磁波による人体影響で代表的なものとしては、①電磁波過敏症(吐き気、頭痛、耳鳴り、不眠など)と②電磁波の遺伝子毒性の2つである。他にも指摘されている人体影響はあるが、ここでは①と②に言及しよう。
しかし、本題に踏み込む前に、電磁波に関するいくつかの誤った情報を紹介しておこう。電磁波問題を科学の観点から検証するためには、何が客観性の乏しい情報なのかを把握しておく必要があるからだ。電磁波に関する情報は、誤情報が多いので、客観性の乏しいものを排除することが、科学的見地の最初のステップである。
たとえば「オランダ・ハーグで駅前に設置した5Gのアンテナ塔から実験電波を飛ばしたところ、隣接する公園の木の枝に止まっていたムクドリが次々に墜落し、297羽が突然死した」(『女性自身』)といった情報である。この情報は根拠に乏しい。このような現象は、ハーグ以外の場所では、どこも起きていないからだ。何か別に原因があると考えるのが常識である。
携帯電話基地局の下を歩くのは危険だという話もほとんど根拠がない。基地局からの電磁波は、極めて微弱で、携帯電話末端からでる電磁波の100分の1程度しかない。しかも、基地局の下を歩いて通過するわけだから、被爆の時間も短い。
問題なのは、微弱な電磁波であっても、それを1日に24時間、5年とか10年の期間で被曝した場合に、どのような人体影響が現れるかという点なのである。
さらに電磁波による人体影響を調べる際のアンケート調査の結果も誇張されていることが多いい。たとえば2008年にA医師が行った有名な調査がある。調査の発端は、A医師一家の住むマンションの屋上に基地局が設置されたことである。A医師の家族は、鼻血や精神攪乱などさまざまな症状に悩まされるようになった。まもなくA医師は、その原因が基地局からのマイクロ波に違いないと推察して、住居を引っ越した。それに伴い体調不良も回復した。
A医師は、マンション(47世帯)の住民に、聞き取り調査を行った。その結果、述べ170の症状が報告された。電磁波過敏症の諸症状に加えて、犬、小鳥、金魚などペットの死亡例も報告された。
マンションの管理組合は、調査結果を重大視して、電話会社に基地局の撤去を打診した。幸いに住民の要求は聞き入れられ、基地局は撤去された。
その後、A医師は再び住民を対象に聞き取り調査を実施した。その結果、報告された症状は述べ22件に激減した。
この調査は、電磁波過敏症を立証したものとして、市民運動の中で髙く評価されている。しかし、冷静に考えてみると決定的な疑問に逢着する。それは日本中に無数の基地局が立っているにもかかわらず、なぜ、このマンションの住人にだけ顕著なかたちで体調不良が現れたのかという点である。
わたしは、調査の前段で電磁波には人体に対する害があるという情報があらかじめ住民の耳に入っていたからではないかと考えている。電磁波に関する事前の情報があったから、些細な体調不良も電磁波に関連づけた結果である可能性が高い。たとえば頭痛や不眠症は、電磁波を被曝しなくても起こりうる。原因の特定が難しい。
しかし、体調不良の原因をすべて電磁波に結び付けた可能性が高い。また、電磁波が原因でペットが死ぬといったことも、普通はあり得ない。
ただ、A医師の一家が電磁波で体調を悪化させたことは事実である。世の中には、一定の割合で電磁波に対して極めて敏感に反応する人がいる。その人数は決して多くはない。彼らにとって、基地局問題は生死にかかわる問題なのである。
客観性がない情報は、フェイクニュースの種になり、逆に基地局問題の解決を遅らせる。電磁波過敏所が客観的な存在であるにしろ、わたしの取材体験から判断すると、その割合は極めて低い。しかし、重度の電磁波過敏症があることは紛れのない事実である。従って、電磁波に弱い住民を無視して、どこにでも基地局を設置していいことにはならない。基地局が住居の直近に設置された後、他の場所へ引っ越さざるを得なくなった住民もいるのだ。
◆マイクロ波の遺伝子毒性
では電磁波によって、万人が影響を受ける要素とは何か。それは電磁波の遺伝子毒性である。基地局からのマイクロ波を被曝しても、レントゲンと同じでほとんどの人は何の自覚症状も感じない。しかし、海外で行われた疫学調査で、基地局の近辺に癌患者が多いことを示す明確なデータが複数公表されている。
たとえば2011年のブラジルの疫学調査である。この調査は、ミナス・メソディスト大学のドーテ教授らが実施したものである。
ドーテ教授らが調査対象にしたのは、1996年から2006年まで、ベロオリゾンテ市において癌で死亡した7191人である。これら7191人と直近の基地局の距離を測定して、基地局と発癌性の関連性を調査したのだ。基礎資料として使われたのは、次の3点である。
1、市当局が管理している癌による死亡データ
2、国の電波局が保管している携帯基地局のデータ
3、国政調査のデータ
調査の結果、基地局に近いほど癌の死亡率が優位に高いことが分かった。また、基地局の設置数が多い地区ほど癌による死亡率が高いことも判明した。
この調査の信憑性が高い根拠としては、次の2点があげられる。
① 調査の対象が、ラットなどの動物ではなく、人間であること。ラットにマイクロ波を放射して発がん性の有無を調べる実験は、米国やイタリアで実施され、いずれの結果も2018年に公表され、発がん性が確認されているが、注意しなければならないのは、ラットと人間では体質が異なる点である。従って動物実験の結果はあくまで参考でしかない。それよりも人間を対象とした疫学調査の方がより信憑性が高い。ブラジルの調査は、人間を対象として行われたものなのである。
② 調査対象となった生物の個数が圧倒的に多いこと。先に言及した米国やイタリアの動物実験では、対象となったラットの数量は2000匹程度だった。これに対してブラジルの調査では、7191人を対象としている。
ちなみにドイツとイスラエルでも、ブラジルに類似した疫学調査が実施され、いずれも基地局の近辺(半径が300mから400m)で、それ以外の地域よりも3倍から3・5倍ぐらい癌が多いとする結果が出ている。従って「電磁波過敏症」に罹患しなくても、基地局の周辺では発がんリスクが高くなる。
以上の点を踏まえた上に、さいたま市の2件のトラブルを紹介しよう。(つづく)
▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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