◆リングを下りた後のイベント

一般のファンにはあまり知られない、ごく親しい者とその関係者から誘われなければ参加できないチャンピオンの祝勝会。

その選手が王座挑戦のチャンスを掴み、見事勝利して新チャンピオンと成った瞬間は、それまでの苦労が実った最高の快感でしょう。

過去、キックボクシングに於いて、王座戴冠した者のその後の待遇は、所属ジム会長や後援会が祝勝会を開いてくれることが、ある一定数は行なわれているようです。

その開催にはチャンピオンの知名度、存在感、期待感が示され、参加人数は人脈によって多いか少ないかが表れ、王座戴冠の達成感や今後の責任感が増すものでしょう。

お祝いの象徴、鏡割り、新妻聡WKBA世界スーパーライト級王座戴冠祝勝会にて(1997.2.22)

先週の格闘群雄伝にて、嵐(キング)選手のNJKF王座獲得祝賀会の様子も述べましたが、NJKFバンタム級チャンピオンという、世間一般から見れば「何のチャンピオン?」と言われるほど知名度は低く、実質まだ日本一には至っていません。

嵐本人も「全然こんなところで満足していないし、必ず最終目標である世界制覇を成し遂げる。」と語り、更にキングジム向山鉄也名誉会長が語ったように、「軽量級で世界一になっている奴、それが吉成名高。これに勝てば嵐の夢も達成出来ると思います。」という最高峰へ向けての叱咤激励するパーティーでした(嵐のパーティーは“祝賀会”)。

3月の嵐祝勝会にて、キングジムマネージャーから、花束贈呈もお祝いの象徴(2024.3.17)

◆祝勝会の規模

その祝勝会は黙っていても誰かが開催してくれるものではなく、先に述べた後援会は選手各々が度量、力量で築き上げるもので、その後援者などが、選手のそこまでのキツイ努力を労って祝勝会を開いてくれるもの。後援会も無く、支援者も少ない、ジム会長も開催する気が無いなど、開催されないチャンピオンも居ることでしょう。

1988年1月15日に越川豊(東金)に挑戦、判定勝利し当時、日本ライト級新チャンピオンとなった飛鳥信也(目黒)氏は、同年3月に京王プラザホテル八王子で祝勝会を開催。

当時、発起人は後援会会長で東京都議会議員だった方の人脈から100人以上が参加され、当時のタレント、工藤夕貴さんも御来場。ジム会長や後援会長、チャンピオンの御挨拶からトークショー、他にゲスト歌手の歌声や大型スクリーンによるVTRでの試合再現、飛鳥信也氏のマススパーリングと多彩な演目が披露。

報道で表現されること多い「盛大に行われました!」というフレーズはキックボクシング界に於いては遜色ない祝勝会だった模様。しかしマイナー競技故に報道されること少なく、これが大相撲の優勝やプロ野球のリーグ優勝、日本シリーズ優勝は労いの規模が大幅拡大するのはメジャー級競技、報道関係も多く押し寄せる等、想像に難しくないでしょう。

キックボクシング創設50周年記念パーティーにて、マススパーリング公開(2014.8.10)

 

5月19日には市原興行でメインイベンターとなる皆川裕哉、目黒ジム系のセコンドとスリーショット(2024.3.24)

◆老舗の体制

かつての名門目黒ジムは、祝勝会には関与しない態勢だったと言われます。元々からプロモーター野口修氏が祝勝会開催には関心が無い人、「防衛してこそ真のチャンピオン」を信条として、一時的な王座君臨は、今後の抱負を宣言したところで負けて陥落しては、タダの人に戻ってしまうギャップもあっての考え方か思われます。

この目黒ジムで祝勝会が行なわれた場合は、飛鳥信也氏のように後援会によるものです。

他のジムでは会長が選手の飛躍を期待し、自覚を持たせるという志向から祝勝会を開くこと比較的多いようです。

元・目黒ジムの勝次(高橋勝治)は2019年10月20日のWKBA世界スーパーライト級王座戴冠し後日、後援会主催で祝勝会が行われています。

勝次は「勝利は自分が嬉しいだけでなく、応援してくださっている方々も皆さん喜んでくれて、改めて自分一人の力だけではチャンピオンには成れないと感じました。皆さんの喜んでいる顔を見て、また、皆さんに喜んで貰えるように気を引き締めて頑張っていかないといけないなと、“勝って兜の緒を締めよ”の言葉のどおり、気を抜けない思いでした。」と決意を語っていました。

プロボクシングの場合、一概には言えませんが、日本タイトルレベルでは祝勝会は行わず、世界を戴冠してこその頂点を極めた証として、それまでの努力、険しい道程を労う祝勝会は後援会や、スポンサーの企画で行なわれているのかもしれません。

元K-1選手でプロボクサーの武居由樹が5月6日に世界初挑戦で王座戴冠。「祝勝会に呼ばれたら行きたい」というキックボクシング関係者が居ましたが、現在は井上尚弥のような主要4団体統一が最高峰ブランド。しかしプロボクシングの世界王座は従来どおり、一団体でも最高位に達した意味合いは大きいでしょう。

◆開催に至る覚悟

参加費用は会費制もあれば御招待もあり、会費が高ければ行くのを躊躇い、「1万円だったら行くけど、3万円だったら諦める。」という関係者もいました。一般社会においては物価高の時代、1万円札数枚単位はキツイ時代かもしれません。

中には選手本人が自分で開催に踏み切る場合もあるようで、「祝勝会開くので来てください。」という案内状配布。

「祝勝会って誰かにやって貰うものだろ!」とツッコミを入れたくなるものでした。

また競技の節目での記念パーティーを開く場合もあり、伊原プロモーション主催でキックボクシング創設50周年記念パーティーが開かれたのは2014年8月10日でした。

あれから10年、祝勝会というよりは祝賀会という言い方が適切ながら、60周年記念パーティーを開く覚悟は無いか、伊原信一代表に聞いておこうと思います。

50周年パーティーにて、創始者・野口修氏の御挨拶。もう10年前となる(2014.8.10)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

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