◆パリ協定は再エネ・原発推進が目的
パリ協定やIPCCの提言の最大の問題点は、科学的根拠に乏しい「人為的CO2温暖化説」(以下「CO2説」)に基いてCO2を排出しないクリーンエネルギーとして再エネ発電と共に原発を推奨していることである。パリ協定は2015年に原発大国であるフランスで開催されたCOP21で採択された。
その閉幕にあわせてオランド仏大統領とオバマ米大統領が会談。オバマ氏は化石燃料に頼った経済発展を「汚れた段階」と指摘し、CO2を排出しない「クリーンエネルギー」として再エネや原子力の分野で各国の投資を求めた。(2015年2月1日付『京都新聞』夕刊)
(1)再エネ発電について
まず再エネ発電について斎藤は「グリーン・ニューディールのような政策による国土改造の大型投資は不可欠である。当然、太陽光発電や電気自動車にどんどん切り替えていく必要がある。」(P95)と述べる。このようにSDGsに群がる独占資本を批判しながらも斎藤は太陽光発電や電気自動車の必要性を強調する。
しかし太陽光発電の主力であるメガソーラーは広大な緑の大地を壊す。また家庭用の太陽光パネルはほとんど中国産で安い石炭火力発電の電力で製造されている。太陽光発電はCO2排出を中国などに付け回しているにすぎない。(近藤邦明・前掲)。
また斎藤は、原油のエネルギー収支比は1単位から十単位を得るのに、太陽光は1単位の投資で2.5単位~4.3単位ほどしか得られない。しかし生産力が低下する中で、「労働の中身を、充実した、魅力的なものに変えていくことが重要だというマルクスの主張が再評価されないといけない」と述べる(P305~306)。
しかし太陽光発電のエネルギー効率の低さは石油や石炭などエネルギーの浪費であり、資源枯渇を早めるという意味しかない。資源枯渇を防ぐためには太陽光発電を進めるのではなく、電力に依存する生活を見直し、天然ガス、石油、石炭などの使用を減らして経済成長をマイナスにするしかないのである。そのことは、今後人口減少が著しい日本では十分可能である。
(2)電気自動車について
電気自動車は確かに走行中はCO2を出さないかもしれないが、電力需要の増加をもたらし、発電電力量を現在以上に増やさねばならない。現に昨年12月、政府の総合資源エネルギー調査会基本政策分科会で資源エネルギー庁は2050年の発電電力量について約1.3~1.5兆kwhと推測した。これは2018年の発電電力量より約3~5割多い水準である(橘川武郎『災後日本の電力業』)。そして「CO2削減」を口実にした補助金を目当てに自動車産業が群がっている。
斎藤は「グリーン・ニューディールが本当に目指すべきは破局に繋がる経済成長ではなく、経済のスケールダウンとスローダウンなのである」(P95)と述べるが、電気自動車は脱成長と正反対のものに他ならない。
(3)原発について
IPCCは原発について「成熟した温室効果ガスを出さないベースロード電源」として推奨する。これに対して斎藤は原発を「閉鎖的技術」の代表として「(原発)はセキュリティ上の問題から、一般の人々から隔離され、その情報も秘密裏に管理されなくてはならない。そのことが隠蔽体質に繋がり重大な事故を招いてしまう」(P227)と述べるが、IPCCの見解に対する反論や原発廃絶の緊急性についての言及はない。
一方、斎藤はスウェーデンのグレタ・トゥーンベリをたたえる。彼女は15歳のとき、COP24(2018年)で世界各国の政治家たちに対して「あなたたちが科学に耳を傾けないのはこれまでの暮らしを続けられる解決策しか興味がないからです。」だから「システムそのものを変えるべきだ。」と演説を締めくくった(P40)。
確かに経済成長を止めない限り、環境破壊や資源枯渇は止まらない。しかし、グレタは斎藤と同じくパリ協定やその根拠であるIPCCの報告書を否定しているわけではない。それらが「科学」であるとして、その忠実な履行(「脱炭素」)を政治家たちに求めているのである。
グレタはCO2の排出を抑えるためにガソリン車でなく電気自動車、飛行機でなく電車で移動する。そうすれば、これまで以上に電力が必要である。しかし、CO2の排出を抑えるためには火力発電は止めなければならない。だから、グレタはフェイスブックで原発について「個人的には反対」としつつも条件付きで「解決策の1つにはなり得る」としていた。そしてグレタの活動が活発になるのに合わせて国際原子力機関(IAEA)は原発再評価を進めようとした(真山仁「温暖化問題」2020年6月16日『朝日新聞』)。このようにグレタは原発推進を目論む資本の広告塔にされてしまった。
しかし、原発こそが最大の環境破壊である。2014年大飯原発の差止めを求めた元裁判官・樋口英明は「原発問題は間違いなく我が国で最も重要な問題であり、原発事故が起きればすべては水泡に帰すからである。止めるのは論理の帰結。地球温暖化どころの話ではない」(2021年3月7日、大阪での講演のレジュメ)と述べる。
原発が日常的に出す放射能はCO2よりも圧倒的に恐ろしい。しかも使用済み核燃料の処分方法は決まっていない。何よりも事故が起きれば福島第一原発事故のように周辺の住民は被ばくし、故郷を追われる。そして地震列島・日本では次の原発事故が迫っている(2021年2月13日にも震度6強の地震が東北地方を襲い、福島第一原発1、3号機の格納容器の水位は下がったままだ)。
前掲の樋口は「原発を徐々に減らすという考えは一見穏当そうだが、次の地震の発生場所がわからない以上、この考えをとることはできない」(2019年3月15日『週刊金曜日』)と述べる。原発は今すぐ廃絶せねばならない。
グレタをたたえる斎藤はグレタと同じく「CO2説」を「科学」であると信じるからこそ運転中にはCO2を排出しない原発の即時廃絶を主張しないのであると思われる。原発は斎藤のいう「脱成長コミュニズム」にもっとも反する存在である。原発の即時廃絶こそが現在の日本で最も緊急かつ肝要な課題である。
◆おわりに ── 「人為的CO2温暖化説」こそが経済成長を進める原動力である
本書にはマルクスといえば、これまで生産力至上主義者と考える傾向が強かったが、晩年の彼の思想から「脱成長コミュニズム」を読みとる新しい視点がある。そしてSDGsが「経済成長の持続であり、環境破壊や資源枯渇を救わない」との主張には共感できる。
しかし斎藤は、「CO2説」に基く「気候危機」を疑わない。科学的根拠に乏しい「CO2説」は、再エネ発電や原発によって発電電力量を増やして電気自動車やAI化などによる経済成長を進める原動力である。
「CO2説」は斎藤が述べる脱成長コミュニズムにも反する。斎藤は脱成長コミュニズムは晩年のマルクスが「生産力至上主義」や「ヨーロッパ中心主義」を否定して生まれたとする。しかし「CO2説」を唱えるパリ協定は再エネ発電や原発推進による経済成長を目指すものであり、「生産力至上主義」に基くものであることは明らかである。
また、パリ協定はCO2削減を義務づけることでヨーロッパの先進国がその技術的アドバンテージにより後発工業国によって奪われたシェアを奪還することにその目的がある(近藤邦明『検証温暖化』)。このように「CO2説」は「ヨーロッパ中心主義」に立つものである。
斎藤が「脱成長」を主張するのであれば、国連や日本政府・独占資本が進めるSDGsの根拠とされる「CO2説」こそが原発や再エネ発電、EVやAI化推進による環境破壊の根本原因であることを理解すべきであった。
「CO2説」を「信仰」するマスメディアにより「気候危機」が煽られ、官民を挙げた「脱炭素」に向けた取組みが推奨されている。学校などでもSDGsの理念が環境に優しく明るい未来を作ると、多くの若者が活動しているが、原発廃絶こそが現在の日本で最も緊急かつ肝要な課題であることから目をそらされている。
パリ協定やIPCCの「CO2説」は見事にその目的を達成していると言わざるを得ない。「CO2説」を全く疑わない本書はパリ協定やIPCCの提言を補完する。斎藤の言葉を借りれば、「人為的CO2温暖化説」こそが現代版「大衆の阿片」なのである。(本文中敬称略)
◎大今歩「人為的CO2温暖化説」こそが「現代の阿片」──《書評》斎藤幸平『人新世の「資本論」』批判」
〈前編〉「人為的CO2温暖化説」は「気候危機」の科学的根拠になりうるか
〈後編〉「人為的CO2温暖化説」こそが経済成長を進める原動力ではないか
本稿は『NO NUKES voice』(現・季節)29号(2021年9月9日発売号)掲載の同名記事を本通信用に再編集した全2回の連載記事です。
▼大今 歩(おおいま・あゆみ)
高校講師・農業。京都府福知山市在住